婚約破棄? ……いえ、破棄どころか2ヶ月前に解消済みで、今は皇太子の婚約者ですけど?

ひだまり堂

第1話 婚約破棄?……婚約していませんが。


 きらびやかなシャンデリアがきらめき、音楽と歓声が重なる王立学園の卒業舞踏会。

 アリア・フェルネストは、煌びやかな社交界の真ん中で、まるで一輪の白薔薇のように静かに佇んでいた。


「皆さま、本日はご参列いただき、まことにありがとうございます」


 壇上に立つ第三王子――カイン・グランディールは、まるで舞台役者のような完璧な微笑みを湛え、ゆったりと両手を広げてみせた。

 鮮やかな金髪に、生まれついての華やかな容姿――誰もが夢見る“王子”像そのものだ。


 だが、その言葉の端々に、まるで自分一人が主役だと言わんばかりの驕りが滲み出る。

 会場に詰めかけた卒業生やその父母たちも、どこか首を傾げながら耳を傾けていた。


「この晴れやかな舞踏会の席をお借りして、皆さまにご報告がございます――」


 彼は一拍の間を置き、わざとらしいほどゆっくりと視線をアリアへ向ける。

 会場の空気が、微かに緊張をはらむ。


「私、カイン・グランディールは……アリア・フェルネスト嬢との婚約を、ここに破棄いたします」


 まるで喝采を待つかのように、堂々とした声で言い切った。


 ざわり、と空気が震えた。

 卒業生やその父母たちが顔を見合わせ、誰もが息を呑む。まるで劇の中の一幕のように。


 けれど、注目を集めて然るべき当のアリアは――あまりにも静かだった。

 ひとつ、グラスを静かにテーブルに置く。その仕草すらも美しく、凛としていた。


「……それは、どういうご冗談ですの? カイン殿下」


 静かな反応に一瞬だけ目を瞬かせたカインだったが、すぐにまた芝居がかった笑みを浮かべる。


「冗談ではないさ。君とは、もう続けられない。僕には……他に愛する人がいる」


 彼が視線を流した先、後方で控えていた一人の少女――ミレーネ・ヴァレリアが、まるで合図のように微笑んだ。


 ピンクブロンドの髪を揺らし、赤いドレスが挑発的に煌めく。

 その目配せを受け取ったカインの顔には、勝者のような誇らしさが滲んでいた。


「僕は、“真実の愛”を選ぶよ。アリア、これまでありがとう。君の未来に祝福を」


 その言葉と共に、彼はアリアに向かって手を差し出した。王子様が、役目を果たすかのように――。 


 次の瞬間、アリアは静かに一歩、前へと歩み出た。


 彼女の瞳は凛と澄み、まるで冷たい湖面のように静謐で、そして冷ややかだった。


「……残念ながら、殿下。破棄も何も、わたくしは“すでに”カイン殿下の婚約者ではございませんの」


 場が一瞬、息を止めた。


「……は?」


 カインの眉がひくつき、卒業生たちの間にも戸惑いが広がる。


「そんなはずがない……。これまで婚約者として――」


「婚約者として?」


 アリアはふわりと首を傾げ、不思議そうに微笑みすら浮かべる。その笑みには、遠慮も怒りもない。ただ、真実を静かに突きつける強さがあった。


「……では、お伺いしてもよろしいかしら。

 殿下は、わたくしに何か“婚約者らしいこと”をしてくださったかしら?」


 会場に、しんとした静寂が落ちる。


「たとえば、学園の行き帰りを共にしていただいたことは?」


 ……否。誰の記憶を辿っても、そんな事実はひとつも浮かばなかった。


「い……い……いや……」


「誕生日や季節の贈り物や、何か心のこもったお手紙をいただいた記憶もございません。

 舞踏の相手をしていただいたことも一度たりとも。

 本日の卒業舞踏会も、わたくしのエスコートもなく――あなたは別の方と手を取り合っていましたわね?」


 ミレーネの顔がひきつり、会場のあちこちから小さなざわめきが起こる。


「“真実の愛”を語るのはご自由です。ですが、義務も誠意も尽くさずに“元婚約者”としてわたくしを見送るご気分は――いかがですか? 少しは胸が痛みましたでしょうか」


 皮肉たっぷりに告げられたその一言が、会場の空気を震わせた。


「……アリア、君は何を言っているんだ……?」


「ですから、婚約破棄? ……いえ、破棄どころかわたくしたちは二ヶ月も前に婚約を解消済みですのよ。

 婚約解消の書類は、殿下の“ご交際相手”とされる方々の証言や証拠と共に、すでに提出済み。

 そしてそれは、二ヶ月前に陛下のご承認をいただいておりますわ」


 しん、と音のない時間が流れた。

 次に聞こえたのは、ミレーネの硬直した息と、カインが立ち尽くす衣擦れの音だけだった。

 会場が再びざわつく。カインの顔から血の気が引いた。


 浮気として名が上がり青褪めるミレーネ嬢はその場にへたり込んだ。

 周囲から囁き声だけでなく失笑があがり出す。

 そして、そこにさらなる視線が注がれた。


 高鳴る足音が一つ、舞踏会の空気を裂いた。

 誰もが振り返るその先、蒼き紋章を胸に、王家の血を引く青年がゆっくりと歩み寄る。

 ――彼が来るとは、誰も予想していなかった。

 

「王太子殿下……?」

「どうして、ここに……?」


 卒業生たちの間にざわめきが広がる。まるで空気が一瞬で変わったかのようだった。

 その中心にいたカインは、瞬き一つで青ざめた。


(兄上……なぜ……? こんな場に現れるなんて……聞いてない。何も聞いていない!一体何が起こっているんだ!)


 心臓が跳ね、喉がかすかに震える。

 アリアの告白だけでも場を制されたのに、そこへユリウスの姿が加わったことで――彼の計算は完全に崩れた。


「この件に関して、王家の第一王子として証言しよう。彼女のいうことはすべて真実だ。そして、彼女……アリア・フェルネスト嬢は、正式に“私の”婚約者である」


 王太子ユリウス・グランディール。聡明で威厳ある彼の言葉に、ひと時騒然とした会場が静まり返った。


「カイン、お前の軽率な行為は王家の名に泥を塗った。責任は後日、正式に問われるだろう」


「ま、待ってください兄上! 婚約解消って一体――」


 カインの声を、ユリウスの鋭いまなざしが封じる。


 一方、アリアは微笑みすら浮かべていた。

 これが――彼女にとっての、終わりでありはじまり。


 舞踏会の幕は上がったばかり。

 けれど今宵、断罪されたのはアリアではなく、軽薄な“第三王子”だった。


 静まり返った会場に、オーケストラの音が再び流れ始める。

 だが誰も踊り出そうとはしない。

 まるで誰もが、今見た光景を反芻し、現実として受け止めきれずにいるかのようだった。


 ミレーネはへたり込んだまま動けず、カインは拳を握りしめたまま、凍りついたように立ち尽くす。

 一方で、アリアのそばに並んだユリウスは、ほんのわずかに微笑みを浮かべた。


 ――王太子とその婚約者。

 騒がしい舞台が静まる中、真の主役たちが、ゆっくりと中央へと歩を進める。

新たな物語の幕が、今、静かに上がった。

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