人魚姫は泡沫の初恋を歌う

藤烏あや@『死に戻り公女』発売中

プロローグ

 薄水色の髪を束ねた少女が夜の海辺を跳ねる。

 その度に扇柄おうぎがらの羽織とトンボ玉の付いたかんざしが髪の中で踊っていた。

 少女の住む漁村では、夜漁やぎょの際、皆の安全を願って夜通し神さまに舞を捧げるのだ。

 今宵の舞当番はただ一人で、少女は軽やかな足取りで舞を踊る。

 感情の読めない黒曜石のような瞳が、灯台付近の船を捕らえた。

 それは探照灯たんしょうとうを光らせて暗い海を照らしている。

 どうやら何かを探しているようだ。しかし、少女は素知らぬ顔でまた舞い始める。

 しばらく舞っていると、ふと視界に人が見えた。

 夜の海は危険だ。泳ぐ人などいるはずがない。

 そう頭では分かっているものの、気になる気持ちを抑えられず、目を凝らす。


(あれは……)


 確かにそれは人だった。

 この闇夜に海で泳ぐなど自殺行為だ。だが、その人は泳いでいるわけではなさそうで、今にも沈んでしまいそうだ。

 さっと少女の顔が青ざめる。


「っ、大変!」


 纏っていた全てを脱ぎ捨て、戸惑うことなく少女は海へと飛び込んだ。

 近づけば、黒髪の少年がかろうじて木の板に引っかかって浮いていた。

 手があと少しで届くというところで、少年がずるりと海にのみ込まれてしまう。

 大きく息を吸い込んで潜った少女は、抵抗なく沈んでいく少年を引き上げる。


「ぷはっ! 大丈夫!?」


 目を固く閉じた少年から返答はない。

 急いで少年とともに浜辺へ上がる。

 少年を引きずりながら数歩進み、少女はへたり込んでしまった。

 すぐに助けを呼びに行きたいが、自身よりも一回り大きい少年を担いで村まで戻るのは難しい。

 せめてもと少年に息があることを確認し、彼女はぱっと顔を上げる。


(やっぱり誰か大人を……って、今日は夜漁でいないんだった。あたしが彼を助けるしかない)


 少年は頭の先からつま先までずぶ濡れだ。早く体温を上げなければ命に関わる。


(まずは濡れた体をどうにかしないと。何か拭くものは……)


 必要な物を思い浮かべるが、都合よく布があるはずもない。

 辺りを見渡した少女は手を伸ばせば届く距離にあるものを見つけた。

 脱ぎ捨てた自身の着物だ。

 たぐり寄せ、少女はほっと息を吐いた。

 そして少年が纏う質のいい着物を躊躇いもなく絞る。

 顔を背けながらもできる限り着物を脱がし、羽織で体温を奪う水気を取った。


(次は温めて……)


 少年の着物のような上等なものではないが、まだ温かさが残る自身の着物をかける。

 その間に少女は、湿気た羽織で手早く自身の体を拭き、襦袢じゅばんに手を通した。

 少年へ目線を落とせば、まだ青い顔をしている。


(もっと温めなきゃ)


 しゃがみ込み、少年を抱きしめた。

 ぎゅうっと自分の体温が移るようにと力をこめる。


(ちょっと、顔色よくなってきた……?)


 どれほど時間が経ったかは分からないが、青白かった顔が僅かに血色がよくなった気がする。


「……う」


 少年がかすかに目を開ける。海の底のような青色の瞳が少女を見上げた。

 初めて見る美しい色彩に少女は、身に沁みるような冷たい海風の寒さも忘れて、思わず魅入ってしまった。


「……ここは……?」


 きょとんとする彼にはっと我に返り、少女は笑いかける。


「あなたさっきまで漂流してたの。それであたしが助けたんだけど」

「……恩に着る」

「なにそれ、お祖父ちゃんみたいなこと言うのね」


 その言葉が気に障ったのか少年は黙り込んだ。しかし少女は口を止めない。


「まさか人が流れてくるなんて思わなかった。初めての海ではしゃいじゃったの? だから船から落ちたの?」

「質問ばかり、しないでくれ。俺も、混乱しているんだ。まず、どうして君は、俺に抱きついて、いる……?」


 少年の指摘に、少女はぼっと顔を赤くした。


「これは、体温が下がるといけないからで!!」

「……なるほどな。どうりで体が、動かしにくい」

「こっち見ないで。あたし襦袢はだぎなんだから。見たら責任取ってもらうからね!」

「分かった」


 素直に頷いた少年は、少女とは反対の方向を向く。

 ほっと息を吐いた少女が夜空を見上げ、恥ずかしさを紛らわすように口を開いた。


「ねぇ、あたし達の状況って、嵐の中王子を助けた人魚姫みたいじゃない?」

「はぁ? あれは悲劇だろ。どこがいいんだ」

「なにがあってもずっと王子を好きでいる人魚姫が好きなの。人魚姫は自分の好きを貫いたんだよ? ね、すっごく、かっこいいでしょ?」

「……そういう考えもあるのか」


 意外だと声に滲ませ少年が夜空を見上げた。その時。

 一筋の光が夜空に輝く。


「流れ星! えっと、お願い、えっとえっと、あっ、あぁ~……」


 言いよどんでいるうちに、光は消えてしまった。

 少女は残念だと言わんばかりに眉を下げる。


「何か叶えたいことでもあるのか?」

「うん、あるよ!」


 力強く頷いた少女が、もう一度空を見上げた。

 途端、数え切れないほどの星が降る。

 昼間かと錯覚してしまいそうな明るい夜空に、少女は感嘆の声を漏らす。


「わぁ!」

「絶景だな。願い事はいいのか?」


 彼の言葉に少女がはっと我に返り、願い事を三回口にする。


「お母さんの病気が治りますように、お母さんの病気が治りますように、お母さんの病気が治りますように!」


 一息で願いを言い切った少女は満足げに笑う。

 すると願いを叶えるかのように、星が少女めがけて落ちてきた。

 予想外の光景に少女は思わず起き上がる。


「え、落ちてきた!」

「……は?」


 奇々怪々な現象に少年があっけにとられていれば、星はすぐそこまで迫っていた。

 少女の胸に吸い込まれるように、星が衝突する。

 勢いはない。だが、少女は暗転する視界に釣られ、倒れ込んだ。

 衝撃でトンボ玉の簪が折れ、まるでさざなみのように薄水色の髪が浜辺に広がる。


「おい……っ!」


 少年の焦る声もしだいに闇の中へと消えていく。

 その後の記憶は、少女にはない。

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