第23話 被害者の混乱
今日も私は、変わらぬ日常を過ごしている。学校に行き、授業を受け、休み時間にはクラスメイトと雑談をする。
そう、いつからか、これが私にとって、『変わらぬ日常』となっていた。
「
「ええ。私もあの人から『被害者』のことを聞きたいと思ったの」
私に話しかける
「おう白影サン、アンタも友達が出来てよかったなあ」
「余計なお世話よ。別に
「へえ? アンタ、友達がいないこと、ちょっと気にしてたんだなあ?」
「う、うるさい!」
思わず叫んでしまった私に対し、北里くんはいつも通りにヘラヘラと笑っている。だけどこのやりとりが、今の私にとっては心地良い。もしかしたら、私はやはり、心の底で孤独を感じていたのかもしれない。
「そういえばさ、北里。やっぱり
話題を変えようとした加藤くんが声をかけると、北里くんの顔が少し曇った。
「あ、悪い……そうだよな。連絡が取れたら、俺たちに言うよな……」
「いや、気にすんな。あれだけ俺たちを巻き込んでおいて、謝罪の一つも無い女なんて、もう気にしてねえよ」
そう言いながらも、北里くんが窓崎さんのことを一番気にかけているのは私にだってわかった。あの一件で、普段の軽薄そうに見える彼の一面は、照れ隠しのようなものなのだと私は思った。
「でも、窓崎さんがこのタイミングで姿を消したとなれば、本当に最悪の事態もあり得るかもしれない」
「白影サン。アンタも窓崎には思い入れがあるかもしれない。だけど、アンタが動くのは危険だ。アンタが『犯人』に出会ってしまったら今度こそ終わりかもしれない。それは忘れちゃならねえ。違うか?」
「そうだけど……」
北里くんの言う通り、私は『被害者』である以上、身の危険が迫っても他人に助けを求めることが出来ない。窓崎さんに何かあったとしても、私が動くのは危険だ。それはわかっている。けれども……
「……白影さん。窓崎さんが気になるのはわかる。俺も彼女にもう一度会って、あの時のことを謝りたい。だけど俺たちに出来ることがない以上、待つしか無いのかもしれない」
「……そうね」
加藤くんにも制止されて、私は自分の考えを改める。窓崎さんが転落した時は私は誰にも頼りたくなかったし、頼りたくなかったから、自分一人で動いていた。だけど今は違う。今の私は、自分一人で動くことの危うさや怖さをわかっている。それに今はまだ私の『被害者』の欲望は弱まっているけれども、何かのきっかけでそれがまた強まる可能性だってある。そうなれば、加藤くんや北里くんを巻き込むかもしれないし、最悪の事態もあり得る。
そうだ、今の私には頼れる人間がいるし、私一人で出来ることが限られていることを知っている。窓崎さんのことは心配だけど、今は待つしかない。
放課後。授業が終わった私たちは、いつも通り桁枝さんのお見舞いに向かおうとしていた。彼女はまだ入院しているが、傷の治りも順調で、もうすぐ退院出来るということだ。加藤くんも彼女の入院費を稼ぐためのアルバイトを探し始めている。
「北里、それじゃあ行くか」
「おう。あ、ちょっと待ってくれ。メールが入ってる」
荷物をまとめていた北里くんは、携帯電話を見てメールを確認していた。しかしその彼の顔が、画面を見ながら固まっている。
「……どうしたの?」
ただならぬことが起こったのかと思い、北里くんに声をかけるが、彼は震えた声で言った。
「……窓崎から、メールが入った」
「え!?」
窓崎さんから連絡が入った。この二週間、姿を消していた彼女からの連絡。その事実に、私も加藤くんも驚いている。
「それで、なんて書いてあるの!?」
「……学校の正門前に来てくれって。そこで待ってるって……」
「北里! 今すぐ行くぞ!」
加藤くんが震えている北里くんの肩を揺さぶり、彼を正気に戻す。そのことで幾分か落ち着いた彼は、怒りと安堵が合わさったような複雑な表情をしていた。
「あいつ、心配させやがって……!」
やっぱり北里くんは、今でも窓崎さんが好きなのかもしれない。悪ぶっていても、根本から悪人にはなれないのが、北里功海という人間だということは、ここ最近でわかっていた。
連絡を受けて急いで校門に辿り着いた私たちは、すぐに周囲を見渡した。
「窓崎さんは!?」
「こっちにはいない! あいつ、どこにいんだよ!?」
校門の前には、それらしき人物は見当たらなかった。高等部の制服を着た生徒たちの他には、学校の前を通り過ぎる通行人や、待ち合わせをしている様子の男性しかいない。制服を着ている生徒たちの中にも、窓崎さんはいなかった。
「北里、窓崎さんは確かにここにいるって言ったんだよな!?」
「ああ、メールの内容にはそう書いてある! あの野郎、どこまで俺たちを混乱させんだよ!?」
確かに私もメールの内容を見たが、正門前で待っていると書いてあった。別の校門の可能性も考えたが、正門はここだ。彼女が私たちを惑わすつもりでも無い限り、ここにいるということだろう。
「くそっ! どうなってんだよ!」
苛立つ北里くんの姿が、彼の焦りを表している。一体どういうことだろう。窓崎さんはどこに……?
「あー、君たち、ちょっといいかな?」
その時、校門の前に立って、待ち合わせをしている様子だった男性が、私たちに声をかけてきた。白いワイシャツにスラックス、上着の代わりにジャージを羽織った、どことなく爽やかな印象を受ける人だ。
「なんですか? 申し訳ありませんが、僕たちはちょっと立て込んでまして……」
加藤くんが男性を牽制するが、男性は意に介していないかのように、話を続けた。
「いやいや、別に大した話じゃないんだよねー。ちょっとした質問をしたいだけだよ」
「手短にお願いできますか? 僕たち、人を探してる最中なので」
「あー、そうなの? もしかして、君たちさ」
そして男性は、その爽やかな笑みを少し歪ませる。
「窓崎のこと、探してるのかなー?」
その名前が出た瞬間、私たち三人が固まったのは言うまでも無かった。
「お、当たったかな? いやー、先生もな、困っている若者を見ると、放っておけないんだよなー」
まるで優しい大人のようなことを言う姿が、こちらの神経をいやというほど逆なでする。だけど私が彼に質問を投げかける前に、北里くんが動いていた。
「てめえ! 窓崎に何かしたのか!?」
北里くんは男性の胸ぐらを掴み、怒りの表情で詰め寄る。そんな状況になっても、男性は笑顔を崩さない。それどころか、まるで楽しくて仕方が無いと言わんばかりに笑っている。
「はは、こんな学校にも、気が荒い生徒はいるんだなあ。先生もちょっと驚いているぞー?」
「ふざけてんじゃねえぞ! 窓崎はどこにいる!?」
「うーん、そのことを話したいんだけどなー、ちょっと周りを見てみた方がいいぞー?」
「ああ!?」
男性が周りを指し示すのにつられて周りを見ると、生徒や通行人たちが、何があったのかと一斉に北里くんを見ていた。
「先生はなあ、窓崎みたいに周りに助けを求められない人間じゃないからなあ。もし先生がこのことを問題にしたら、君も面倒なことになるぞー?」
「……!!」
今、この人は確かに言った。『窓崎みたいに周りに助けを求められない人間ではない』と。つまりこういうことだ。
この人は、『被害者』のことを知っている。
「わかったかー? 先生も君たちと落ち着いて話をしたいんだ。手を放してくれるかー?」
「……」
北里くんも、男性が何を知っているのか聞きたかったのか、大人しく手を放した。
「うんうん、聞き分けの良い生徒はいいなあ。先生も楽しいことは好きだけど、仕事が増えるのは好きじゃないからなあ」
「そろそろ話してもらえますか? あなたが何者なのか。そして窓崎さんの何を知っているのか」
つかみどころの無い様子を見せる男性のペースに巻き込まれたくなかったため、こちらから質問をぶつけることにした。
「おいおい、質問はひとつずつにしろって、君たちの先生は教えてくれなかったのかー? まあいいや、ひとつずつ答えようか」
そして男性は右手を差し出して、握手を求めるようなポーズを取った。
「先生の名前は、『
「中学校の、教師?」
なんで中学校の教師が、こんなところに? だけどそんなことはどうでもいい。問題は、この人が窓崎さんと関わっているということだ。
「それで、もうひとつの質問の答えだけどなー。窓崎は先生の教え子だったからな。結構詳しいんだよねー」
「……なんだと?」
その答えに、北里くんの顔が再び曇る。この人――鈴木みどりは、窓崎さんの中学時代の先生だった。そのことが何を示すのか、私にもわかりかけてきた。
「てめえが……」
「ん?」
「てめえが窓崎に何かしたのか!? 窓崎が、自分の死を望むように仕向けたのか!?」
そうだ。窓崎さんは中学時代に何かがあった。その原因が、この鈴木みどりという男にある可能性は高い。
「おいおい、先生はただ、窓崎の中学の先生だったって言っただけだぞー? 随分短絡的だなあ、元カレさん?」
「てめえ、そんなことまで……!?」
「窓崎に未練があるんだろうけど、そんなにしつこいと、ストーカーとして訴えられるぞ? あ、窓崎はそれも無理なんだっけ?」
楽しそうに笑う鈴木みどりの姿が、私たちの怒りを誘う。こんな人が中学の教師だというのか。
「あー、それで、そっちの白影さん?」
「……! なんで、私の名前を……!?」
「窓崎から聞いたんだよ。君たちのことはな。それで、君もその、『被害者』なんだってなあ。いやあ、怖いなあ。殺されそうになっても、誰も助けてくれないんだからなあ」
それを聞いた加藤くんが、私の前に立つ。
「……白影さんに、何かするつもりなんですか?」
「んー? 何かしようとしたのは、お前の方じゃなかったっけ? 窓崎を突き落とした犯人さん?」
「……!!」
そんなことまで聞いていたのか。どうやら、この人が窓崎さんに接触しているのは間違いなさそうだ。
「冗談だよ、冗談。そんなに怖い顔するもんじゃないぞー?」
「……そう思うのなら、はぐらかさないでもらえますか?」
「んー? はぐらかしているつもりはないんだけどな。ただな、これはちょっと言っておくけど、窓崎は先生が保護しているんだ。お前たちみたいに悪い生徒たちと関わらないようになー」
「てめえが窓崎を拉致したのか!?」
「言ってるだろ? 保護だよ保護。先生は中学校の先生だからなあ。ちゃんとあいつが危なくないように保護しているんだよ」
そんなことが信用できるわけがない。窓崎さんはかなり危険な状況にあるのは間違いない。
「保護も何もあるか! 窓崎を返せよ!」
「んー? 先生に対する口の利き方は気をつけた方がいいぞー? 特にそこの……白影はな。仮に、仮にだけど、もし窓崎のせいで白影が死んだら、窓崎はさぞ悲しむだろうなあ」
「え……?」
窓崎さんのせいで、私が死んだら?
考える。窓崎さんのせいで私が死ぬというのはどういうことか考える。私たちは窓崎さんを取り返そうとしている。その過程で、私が命を落とすとする。そうなったら……
窓崎
だけどそんなことは詭弁だ。鈴木みどりが何もしなければ、そんなことにはならない。だけど窓崎さん本人がそうは思わないかもしれない。彼女は自分が『搾取』されることは喜ぶが、『搾取』することには強い拒否感を示していた。鈴木みどりの言うことは、間違っていないのかもしれない。
「そうだよなあ、また自分のせいで人が死んだら、窓崎は悲しむよなあ。苦しむよなあ」
「てめえ、何が目的なんだよ!?」
「さあねえ。あ、でもね、先生はこう思うんだよな」
鈴木みどりは、両手を広げる。
「窓崎は誰にも必要とされていない。だからあいつは、生きている必要も、その資格もない。それはちゃんとあいつに教えてある。だけどな、そう簡単に死んでもらってもつまらないんだよなー。あっさり死なれるより、苦しんで生きているのを見る方がいいだろ?」
私は……今、この言葉で確信した。
この男、鈴木みどりは、『犯人』でも『被害者』でもない。こいつを言い表す言葉があるとしたら、『邪悪』だ。
「だからさ、先生にうかつにケンカを売らない方がいいぞー? 悲しむのは窓崎なんだからなー」
だけどそんな言葉に対しても、加藤くんは前に出た。
「鈴木さん、俺たちはあなたを敵と認識しました。窓崎さんはどんな手を使っても返してもらいます」
「おうおう、殺人未遂犯が言うと、説得力が違うなあ。ま、別にいいけどね、先生が殺されたら加藤が殺人犯になるだけだし」
「……死ぬのが怖くないって言うんですか? あなた一体、どうしたんですか?」
「どうなんだろうねえ、あー、でも他人が嫌がることをするのは、割と好きかな? まあ別に、それもどうでもいいんだけど」
そこまで言った後、鈴木みどりは背を向けた。
「それじゃ、挨拶は済んだから先生は失礼するぞー。それとなあ、白影なあ、ちゃんと帰り道には注意するんだぞー? お前の周りには、殺人未遂犯や不良がいるんだからなー?」
「あなたは……!!」
「それじゃあなあ。いやあ、今日は楽しかった」
……結局のところ、私たちは鈴木みどりに何も出来なかった。だけどこれだけは言える。
このままいくと、私たちの日常は鈴木みどりによって、破壊される。
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