第10話 被害者の理由
私は
必要があれば行動を起こすけれども、基本的には誰かからの要請がなければ動かない。そして自分が何をされても、抵抗せずに受け入れる。そういう人間なのだと思っていた。
私はそんな彼女の在り方が嫌いだった。『他人に頼らずに生きる』ことを目指す私にとっては対極の生き方だったのもあるし、何より『搾取』されることを喜ぶという、私の中に潜むかもしれない欲望を見透かされているのが怖かった。
そして、今ならわかる。私が彼女の時々見せる微笑みに嫌悪感を抱いていたのは、いわゆる同族嫌悪と言われるものなのかもしれない。私が目を逸らしていた可能性を見たくなかったからなのかもしれない。
だけど、そんな窓崎深窓が、今。
「て、てめえ……!」
「……」
誰に指示されたわけでもなく、
私も、
そして彼女は、さきほどまでとは打って変わって、いつもの弱々しい表情に戻ってしまった。
「あ、あの、申し訳ありま……」
「ふざけてんじゃねえぞ!」
当然の如く大月は激怒し、その右手を振り上げて窓崎さんに襲いかかろうとする。だめだ、このままじゃ……!
「やめてくれ大月くん!」
しかし寸前で、その右腕を北里くんが掴み取り、動きを封じる。
「離せこの野郎! この女、殴られても文句言えねえ分際でこの俺を殴りやがって!」
「それは俺から謝る! だけど大月くんはもうこの件から手を引いてくれ!」
「ああ!? お前が『犯人』からこいつを守ってくれって頼んだんだろ!」
暴れる大月を北里くんは何とか押さえつけているが、ふりほどかれるのも時間の問題だ。この隙に部屋から出ようと、窓崎さんの手を掴む。
「窓崎さん! 今のうちに逃げよう!」
「……
「何言ってるの! このままじゃあなたも危ない!」
なぜかその場から動かない窓崎さんを説得しているうちに、大月は北里くんを再度殴りつけた。
「ぐっ!」
「北里! てめえ俺に逆らうのか!?」
「ああ。さすがに元カノを殴られて気づかないなんて格好悪いことにはなりたくないからな」
「なんだと……!?」
必死に抵抗する北里くんを見て、私は思う。もしかして彼は、私が思うほど軽薄な人間ではなかったのかもしれない。現に今、窓崎さんのために彼は体を張っている。女性をアクセサリーとして扱う人間ができることではない。
「大月くん。残りの金も払うから、もうこの件から手を引いてくれ」
「てめえ、舐めてんじゃねえぞ……!」
尚も食い下がろうとしていた大月だったが、突然その動きを止めた。そして何か考え込むように黙っていたかと思うと、北里くんに向き直る。
「……ああ、わかったよ。金は払うんだな?」
「金はこの部屋を出たら払う。とりあえず今日は帰ってくれ」
「ふん、こんな面倒くさい女を手に入れても仕方ないしな。ここは引き下がってやるよ」
そして大月は北里くんと共に、部屋を出ていく。何か不自然な気もするけど、ひとまずは乗り切ったということだろうか。
そして五分後、部屋の扉がノックされ、北里くんの声が聞こえた。
「窓崎、俺だ。大月くんはもう帰った。扉を開けてくれ」
指示通りに扉を開けると、北里くん一人だけが部屋に入ってくる。どうやら大月は本当に帰ったらしい。北里くんはベッドに座ってため息をつくと、私たちに頭を下げてきた。
「……悪かったな。こんなことになっちまって。俺は本当にただ、大月くんに協力を要請しただけなんだ。だけどまさかあんなこと考えてるなんてな……」
北里くんのこんな姿は初めて見る。彼は彼で、『進学校の不良』らしい苦労があるのかもしれない。
「だけど窓崎、どうしてあんなことをしたんだ?」
『あんなこと』というのは、やはり窓崎さんが大月くんを叩いたことだろう。しかし当の本人も、自分の行動に戸惑っているようだ。
「……わかりません。気づいたら、ああしていました。私のような人間が、他人に手を上げるなんて、やってはいけないことだというのに……」
「窓崎、そういうことを言うのはやめろって前から言ってんだろ?」
「ですが私は、あくまで『被害者』なのです。『搾取』される側なのです。いくらあの方が自分の欲望にウソをついていたとしても、それを受け入れるべきでした……」
「ウソをついているって?」
さっきも窓崎さんが言っていた、『欲望に理由を付けたがる』ということだろうか。
「あの方は自分の欲望に身を任せることにどこかで恐怖を抱いているのです。なのであの方は何か『理由』がないと、他人を虐げられません。そういう方では、『犯人』になり得ないのです」
「大月は、『犯人の特性』を持てないということ?」
「その通りです。『犯人』も『被害者』も、相手がそうであるというだけで相手から『搾取』したり、されたりすることに抵抗がなくなるのです。この私のように。そして白影さん」
「な、なに?」
「あなたもおそらくは、ご自分の欲望に身を任せることをまだ恐れている。ですが先ほどの大月さんとは違い、ご自分の欲望が『理由』のないものだということは認めているのではないですか?」
「私は……」
私は考える。自分が助からない状況に追い込まれたとき、それになぜ気分の高揚を覚えるのかを考える。
誰も助けてくれないから? 自分が嫌いだから? そういうことではない気がする。
そう、自分が『搾取』される側であることが、ただ、気持ちいい。
私の中の欲望が少しずつ表面化しているような気がする。否定しようとしても、それをするための材料がない。私の理想が、欲望に負けつつある。これではいけない。
「窓崎さん。私にそんな欲望はない。前からそう言っているつもりだけど?」
「……あなたがどう考えていようと、『被害者』である以上、『犯人』からは逃げられません。『被害者』は『犯人』によって理由もなく殺されるのが本来の姿なのです」
「窓崎! お前……!! このまま黙って殺されるつもりなのかよ!?」
「その通りです、
「お、おい! まだ話は終わってねえぞ!」
そして窓崎さんは部屋を出ていき、それを追って北里くんも部屋を出て行ってしまった。
残された私と桁枝さんは、しばらく黙っていたけれども、とりあえず横の彼女に話しかけることにした。
「ええと……桁枝さん? だっけ? 大変だったね、大月みたいなヤツに目をつけられて……」
「……すみません」
「いや、謝らなくていいよ。でも、なんで大月なんかの言うことを?」
「……彼の家は大きな本屋さんをやっているそうなのですが、私の父がそこで万引きを働いたそうなのです。彼はその現場を押さえた映像を見せてきて、『父親の代わりにお前が償いをしろ』と言ってきて……父が悪いのはわかっていましたから、逆らうわけにもいきませんでした」
「あいつ……! 相変わらず卑怯なヤツね……」
桁枝さんの様子を見ると、大月に虐げられて気分がいいというわけでもなさそうだ。そうなると窓崎さんの言うとおり、何か『理由』のある『搾取』では、『被害者』も満足は出来ないということだろう。
しかしこれからどうしよう? 窓崎さんや北里くんはどこかへ行ってしまったし、状況は振り出しに戻ってしまった。まあ、ここにいても仕方がない。とりあえずはホテルを出よう。
「桁枝さん、とりあえずは帰りましょうか」
「そうですね……お金は払ってあるのでチェックアウトも大丈夫なはずです」
そして私たちはフロントにカギを返し、ホテルを出た。そんなに長い時間が経ったようには感じなかったが、辺りは既に暗くなり始めている。
「とりあえず、窓崎さんに連絡を……」
そして私が携帯電話を取り出した時だった。
「白影さん!?」
「え?」
声がした方向に振り返ると、そこにはこちらを見て目を丸くする加藤くんと、いやな笑顔を浮かべる大月がいた。
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