三月

追憶の少女

 その日の最初の下り電車を、おばあさんは駅員さんといっしょにホームで待っていました。

 おばあさんは今日から病院に入院するのです。小さな荷物の中には、駅員さんが作った桑の木のスプーンも入っていました。

「病院にいても桑の木のスプーンを使えば、この駅のことも、あなたのことも、マレちゃんのことも食事のたびに思い出せる。わたしがに来てから過ごした森の家の暮らしだって、忘れずにいられる」

 おばあさんの口振りは、まるでもう森の家には帰ってくることはないと言っているようでした。

 駅員さんも「すぐに帰ってこれますよ」なんて心にもないことを言って慰めることができず、曖昧あいまいに頷いただけでした。



 列車が到着すると、駅員さんはおばあさんの荷物を座席まで運びました。

「ありがとう。いつか、また、きっとね」

 背の高い駅員さんを見上げ、おばあさんが言いました。駅員さんは口元だけで微笑み、何も答えずにホームに戻りました。

 おばあさんを乗せた列車は定刻通りに病院のある街に向かって出発して行きました。



 列車の窓から笑顔で手を振るおばあさんの姿は故郷の海辺の街で前世の遠い日に別れ、二度と会うことがなかった少女といつしか重なっていました。

「いつか、また、きっと」

 あのとき、それを言ったのは哀しげにうつむく少女ではなく、前世の駅員さんの方でした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る