第14話 深淵の対話:女神の涙、凍てつく真実
深海へと引きずり込まれる「みらい」の艦内で、橘遼は、ただ茫然とメインモニターを見つめていた。捕獲された船体は、巨大な人型物体によって優しく、しかし確実に握り締められ、周囲の海水は、その強大なエネルギーに圧迫され、奇妙な歪みを見せている。
「艦長…脱出を試みます…魔力機関、応急起動…」
ユイの声は、辛うじて通信回線を通じて遼に届く。しかし、船体を拘束する力が強すぎるのか、あるいは、相手の放つエネルギーが干渉しているのか、魔力機関の起動は不安定で、微弱なエネルギーしか生み出せない。
「無駄だ、ユイ…あれは、我々の想像を遥かに超えた存在だ…」
遼は、諦念にも似た感情を抱きながら呟いた。あの光り輝く人型の存在。それが、この世界の女神なのだろうか。もしそうなら、なぜ彼女は、自分たちを深海へと連れ去ろうとするのか?
深海の水圧が、船体を軋ませる。周囲は完全に暗闇に包まれ、モニターに映る女神の姿だけが、異質な光を放っている。
その時、女神の巨大な手が、ゆっくりと「みらい」の艦橋部分に近づいてきた。直接的な接触を避けようとするのか、彼女の手は、艦橋の窓の外で静止した。
そして、信じられないことが起こった。女神の瞳から、強烈な光が放たれ、それが艦橋の窓を透過し、遼の意識へと直接流れ込んできたのだ。
言葉ではない、純粋な感情と、映像、そして思考の奔流。それは、遼の脳髄を直接揺さぶり、彼の記憶と感情を奔流のように掻き立てる。
故郷の海、仲間たちの笑顔、イージス艦「みらい」での任務…それらの記憶が、女神から送られてくる映像と交錯する。
イステリアの創造、人々の誕生、そして…突如として現れた、異質な存在──魔獣。女神が、その力をもってしても、完全に排除することのできない、海の淀み。
女神の悲しみ、苦悩、そして…深い絶望。それは、この美しい海が、魔獣によって蝕まれていくのを、ただ見守ることしかできない無力感から来るものだった。
そして、女神が最も恐れていること。それは、魔獣の力が、このイステリアという世界そのものを、ゆっくりと、しかし確実に崩壊させつつあるという事実だった。
女神の意識が、遼の深層心理へと深く侵食していく。彼女は、言葉を持たない。しかし、その感情と映像は、遼に、この世界の真実を、否応なく突きつける。
魔獣は、単なる海の生物ではない。それは、このイステリアとは異なる次元から、この世界に侵食してきた異質な存在。その根源は深く、その力は強大で、女神でさえ、完全に封じ込めることはできない。
そして、女神が「みらい」を深海へと連れてきた理由。それは、遼が持つ「異世界」の力、そして、その艦に搭載された技術が、この絶望的な状況を打破する、最後の希望になり得るかもしれないと感じたからだった。
女神の意識が、さらに深く遼の記憶へと潜り込んでいく。彼女は、遼が故郷の世界で、いかにして海を守ってきたのか、その経験と知識を求めている。そして、彼が持つ「鋼の舟」の力、その未知の可能性に、最後の望みを託そうとしているのだ。
その時、女神の意識の中から、一つの明確な「問いかけ」が、遼の心に響いた。
『汝は…この淀んだ海を…救う意思があるか…?』
それは、言葉を超えた、魂の共鳴だった。遼は、女神の悲しみ、そして、この世界が抱える絶望を、痛いほど理解した。そして、同時に、自分の中に湧き上がる、決して諦めないという強い決意を、改めて自覚した。
故郷の海を守ってきた誇り、そして、このイステリアで出会った、海の民たちの希望。それらが、彼の胸の中で、熱く燃え上がった。
「…ああ…! 俺は…この海を…必ず救ってみせる!」
遼は、心の中で、強く答えた。それは、女神への誓いであり、自分自身への誓いでもあった。
彼の強い意志を感じ取ったのか、女神の瞳から放たれる光が、より一層強くなった。そして、彼女の意識が、ゆっくりと遼の意識から離れていくのを感じた。
船体を拘束していた巨大な手が、静かに緩んだ。「みらい」は、深海の底で、自由を取り戻した。
「艦長…一体…何が…?」
ユイの声が、訝しげに響く。彼女には、女神との意識の交感は感じられなかったようだ。
「ユイ…あれは、おそらく、この世界の女神だ…そして…彼女は、俺たちに、この海を救ってほしいと願っている…」
遼は、女神との間で交わされた、言葉なき対話を、ユイに説明した。ユイは、最初は信じられないといった様子だったが、遼の真剣な表情と、深海から脱出できたという事実を前に、徐々に理解を示し始めた。
「…女神が…我々に…ですか…しかし、なぜ直接…?」
「神が言っていた『制約』だろう。彼女自身が直接手を下すことはできないのかもしれない。だからこそ、異世界から来た俺たちの力が必要なのだ」
遼は、神の言葉を思い出しながら答えた。
「艦長…状況は理解しました。しかし、深海で見た、あの巨大な不定形の物体は…一体何だったのでしょう? 女神とは、全く異なる、異質な存在でした」
ユイの疑問は、遼も感じていた。女神とは明らかに異なる、邪悪な気配を放つ、不定形の巨影。あれこそが、魔獣の根源なのかもしれない。
「あれこそが、この海を蝕む『淀み』の正体なのかもしれない。女神でさえ、完全に排除できない、強大な力を持つ存在…」
遼は、深海で見た巨影を思い浮かべながら、重々しく言った。
「艦長…では、我々の戦うべき相手は…女神ではなく、あの不定形の巨影…そして、その眷属である魔獣たち、ということになるのでしょうか?」
ユイの問いは、核心を突いていた。女神は味方なのか、それとも…? しかし、彼女の悲しみと絶望は、嘘ではないように感じられた。
「おそらく…そうだ。女神は、この海を救いたいと願っている。だが、自らの力ではどうすることもできない。だからこそ、俺たちに、最後の希望を託したのだ」
遼は、確信を持って言った。
「艦長…では、我々は、女神の願いに応え、この淀んだ海を浄化するために、戦うということですね?」
ユイの声には、新たな決意が宿っていた。
「ああ。俺たちの使命は変わらない。イステリアの海を、魔獣から解放する。女神の願いを、必ず叶えてみせる」
深海の底で、言葉なき対話を通じて、遼は、この世界の真実の一端に触れた。そして、彼の戦うべき相手、そして、進むべき道が、より明確になった。
再び、「みらい」の魔力機関が、静かに、しかし力強く鼓動を始める。深海の暗闇を抜け出し、再び、希望の光を目指して、鋼鉄の巨艦は、新たな航海へと出発する。その艦には、異世界の海を救うという、揺るぎない決意が乗せられていた。
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