第3話 『わかってもらえるさ』

「……それにしてもさ〜、赤ちゃんになりたいってなんなんだよ」


七輪の炭火がじゅうっと音を立て、最後のサバが焼き上がる。空は明るくなりきる前の、まだ眠たげな都会の朝。俺たちは相変わらず、有史以来と言っても過言ではない程までにどうでもいい話をしていた。



「え〜? ハルちゃんにはまだわかんないかな〜?」


 

「いや赤ちゃんプレイとかさ、知ってるよ!?でもキャバの子も“赤ちゃんになりたい”って言われても困るっ……」



「はいはいはい、ごめんよハルちゃん。君こそまだまだ赤ちゃんだったわ」


食い気味に目を閉じ、あごをしゃくらせ、肩をすくめつつ「やれやれ」といった感じで呆れるようなジェスチャーをしているレグは本当にムカつく顔をしていた。


ドランは焼けたサバを皿に移しながら、無言で首を振った。

 その動きが「相手にするだけムダだ」と言っているようで、俺は少し安心した。


 缶を握りつぶした後、レグは慣れた手つきでタンブラーに甲類焼酎と並々と注いで申し訳程度に炭酸水を注ぐ。指で中身をかき混ぜて空を仰ぐ。


「でさ、キャバの子も意外とノッてくれてさ〜、“じゃあレグちゃんのオムツ替えてあげる〜”とか言ってくれてさ〜」


「いやマジで理解できないわ……」


「本当にそれ言ってる!?これだから平成ヒトケタ生まれは──」


 カツン。


 カツン。


 聞き慣れたヒールの音が、階段の奥から冷たく響いてくる。

 レグの耳がビクッと動き、光がふっと消えた。


「……やべえ」


直前まで調子に乗っていたチャラ男の顔が一瞬で真っ青になった。俺もドランも一瞬だけ全身に力が入ったものの、それぞれ喉の渇きを手に持っていたもので潤した。開きっぱなしだった屋上のドアから静かに彼女は現れた。


「朝から騒がしいわね、相変わらず」


 白いカーディガン、落ち着いたスラックス。ムー特有の透明感ある耳を揺らしながら、どこか涼しげに見下ろしてくるその人──


「おはようミリエルちゃん!」


 レグが反射的に立ち上がり、いつもの調子で軽く手を挙げる。


「今日も相変わらずかわいすぎるんだけど!なに、お出かけ?」


「レグの言葉って本当、水素より軽いわね」


「やだも〜!そんなに褒めたってドリンク入れないぞっ!!」


 俺とドランは、黙って立ち上がる。何を言うまでもなく、ミリエルの存在には空気を変える力がある。


 彼女はミリエル・アスティナ。

 このシェアハウスの管理人。元診療所の頃からの持ち主であり、ムー出身のエルフ。レグとは幼なじみで、俺ともまあ、昔からの知り合い。


 なぜかは知らないが、ミリエルは俺にだけちょっとだけ甘いんだよな。


「ドラン、また朝から音楽かけてたでしょ?」

「聞かなくたってわかってるだろ、姐さん。」


「ふふ……それもそうね」


 それだけ言って、ミリエルは俺に視線を向けた。


「ハルマ、あなたは──」


 何かを言いかけて、ふっと笑った。


「……今日も元気そうね。よかった」


「え、あ、うん……?」


 たぶん褒められてる。たぶん。


「それじゃあね」


 ミリエルはまるでこの場にいなかったかのように、階段を降りて行った。

 レグに釘を刺しに来たんだろうが、何をしに来たのか?俺にはよくわからなかったが、彼女は昔からあんな感じだ。


メイン具材のサバもなくなったところでピーマンやネギなどを七輪の網に乗せて飲み直す。肩の力も抜けたところで時代遅れの紙タバコに火をつける。


 


「……なあハルちゃ〜ん」


「なんだよ」


「なんでミリエルちゃんってさ、俺のときだけいつもあんな塩対応なの?」


「そりゃお前……、昔からやらかしてたからじゃね?」


「えぇ〜!? ドランのときは笑ってたのに!?ハルちゃんには優しかったのに!? なんで俺だけ!?同じエルフなのにぃ!!」


「それこそ、ミリエルにバブバブしてみたらいんじゃね?」


「それはちがうのぉ!」


 気がつけば雑踏が騒ぎ始めた。

俺たちはいつものように、くだらないやりとりを続ける。


ヒトとエルフとドワーフのスローライフ。


魔法は禁止──でも、ここではそんなの関係ないのかも知れない。

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