第三章

 溶けてゆく日



カラン――

ガラスのコップの中で、小さな氷が音を立てて揺れました。

それは、彼女の体が、ゆっくりと溶けていく音。


氷の精は、もう声をあげることもできませんでした。

ただ、静かに、水の中にほどけていくように、少しずつ、少しずつ――


男の子は、何も知らずに笑っていました。

はなちゃんにジュースを注いで、

「この氷、すごく綺麗だね」って、うれしそうに言っていた。


氷の精は、グラスの底で、その声を聞いていました。


(ありがとう……。あなたのことが、だいすきでした)


その気持ちは、言葉にならなかったけれど、

冷たい水の中に、そっと溶け込んでいきました。


彼女の身体は、もう氷ではなくなっていたけれど、

心だけは、最後の最後まで、彼を見つめていました。


そして――


ひとしずくの涙が、グラスの中に浮かびました。

それは、水に溶けた彼女の、たったひとつの願いのしずく。


「……これが、氷の悲しみ」


誰にも聞こえない声が、

やがて消えていく泡のように、静かにこの世を去っていきました。


グラスの中の氷は、もう何も言わずに、溶けていきました。

けれどその冷たさだけが、少しだけ、男の子の手のひらに残っていました。


何の意味もないように見えた、ただの一片の氷。

でもそれは、ひとつの命であり、ひとつの恋だったのです。

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