氷の悲しみ
紗倉もち
第一章
小さな製氷室の奥で
――これは、ひとつの氷に宿った、小さな恋のお話。
ずっと、ずっと昔。
人間たちの知らない場所に、小さな製氷室がありました。
そこは、夏でも冬でも関係なく、いつも静かに冷たい空気が流れていて、
整然と並ぶ透明な氷たちは、誰かに使われるその日をじっと待っていました。
でも――
その中の、いちばん奥の列。
ひときわ小さく、少しだけきらきらと輝く氷がひとつだけありました。
その氷の中には、“氷の精”が棲んでいたのです。
彼女の名前はありませんでした。
だれにも呼ばれたことがないからです。
彼女は、ただ静かにそこにいて、誰かに気づかれることもなく、
長い年月を、目を閉じてすごしていました。
――ある日。
製氷室の扉が、そっと開きました。
外の光が差し込み、涼しい風といっしょに、男の子の笑い声が聞こえてきました。
男の子の声が聞こえた。
「ここに、氷がたくさんあるんだ……」
まるで誰かに話しかけているような、独り言のような声だった。
男の子の声に、胸の奥が、きゅっと鳴ったような気がしました。
氷の精は、そっと目を開きました。
氷のすき間からのぞく、その男の子は――
とてもやさしい目をしていました。
その日から、製氷室に光が差すたびに、
彼女はその男の子を目で追うようになりました。
呼ばれなくても、触れられなくても、ただ見つめているだけでよかったのです。
「あなたに、選ばれませんように」
彼が近くに来るたびに、氷の精は、何度も何度も祈りました。
だって彼女は、選ばれてしまえば――溶けてしまうのですから。
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