第2話

 あの日は、いつだっただろう。7歳になった時だろうか。 翠嶺中学のパンフレットを親に見せて、僕はこう言った。


「ねえ、ぼく、ココ行きたい!」

 

 その時、何でそんなこと言ったんだっけ。そうだ、父の母校だったんだ。父の中学の友達がカッコよくて、そんなこと言ったんだった。


 科学者で、名前がーそう、田中先生だ。田中先生は、アメリカでDNAの研究をしているんだって。

 

 その話を聞くたびに、僕はワクワクした。知らないことがたくさんあって、まるで宝探しみたいだと思った。


 優しく僕を見守る瞳と、いろいろなことを経験してきた大きな手。

 そんな田中先生の姿が、僕の中で科学者のイメージになっている。


 だから僕は、翠嶺中学で勉強して、いつか田中先生のように、人の役に立つ研究がしたいと思うんだ。


 ーそんな夢を見るのは、何年ぶりだろう。

 最近は、翠嶺中学に落ちる夢しかみていない。


「こんなこと、思ってたこともあったよな……」

 

 思わず、ひとりで苦笑いした。



 キーン、コーン、カーン、コーン。


「はい、では今日の授業はここまで。」

 

 チャイムと同時に、教室が一斉にざわつき始めた。

 

 女子の輪の中心でにぎやかに話していたナツキが、こちらに向かってくるのが見えた。


「ねえ、ユウキ。今日、一緒に帰ろうよ。ちょっと話したいこともあるし。」

 

 ナツキは、少しカールのかかった茶色の髪が印象的で、ぱっと目を引く可愛らしさがある。でも、ただの「かわいい子」じゃない。

 

 実は誰よりもサッカーを頑張っていて、ナツキがいるだけで周りの空気が明るくなる。そんな不思議な力を持っている子だ。



「なんか、どうしたの?今日ずっとぼーっとしてたよね。またテスト、だめだった?」

 

 帰り道、ナツキが歩幅を合わせながら聞いてきた。


「……うん、まあね。たぶん、またダメだったかも。」


「なんでユウキって、そんなに自信ないの?勉強頑張ってるんだからさ、もっと自分に自信持ってよ!」


「自信がないんじゃなくて……オレがバカだからだよ。」

 僕は苦笑いをした。


「はあ、またそんなこと言ってさ。私より頭いいくせに。ま、ユウキらしいっていうか。」


 ナツキが僕を見て、ニコッと笑った。

 ……ふん、こういうときは可愛らしくなるんだな。


「でも、こんなこと言ってるけど、私も最近うまくいってないんだよね。」


 ナツキがぽつりとつぶやいた。いつもはしゃぎまわってるナツキらしくなくて、少し意外だった。


「え? サッカーのこと?」


「……うん。昨日もまた、コーチに怒られた。」


「なんで?」


「勝ちたい気持ちが強すぎて、一人で走っちゃってさ……パス無視して突っ込んで、結局ボール取られて終わり。最近、そればっか。」


「……。」


「バカだよね、私。本当に。」


 ぶつぶつ言うナツキを見ながら、悩んでるのは僕だけじゃないんだ、と少し安心してしまった。

 でも、いつも明るく僕を励ましてくれるナツキが、しょんぼりしてるのを見るのは――ちょっと、嫌だった。


「フェニックスに入るのが夢なんだろ? オレは翠嶺中学に行くのが夢でさ……」

 僕は、ポケットの中で手をぎゅっと握った。


「じゃあさ、賭けしない? どっちが夢をつかむか。」


 さっきまで落ち込んでいたのが嘘みたいに、ナツキは急に元気を取り戻して、まくしたてる。


「いくら賭けようかな~。勝ったら、焼肉?それとも新しいスパイク? あ、ユウキの参考書とかもらってもいいよ?」


「おいおい……」

 取らぬ狸の皮算用って、こういうのを言うんだろうなと思いながら、僕は小さく笑った。

 

 そして、ほっと胸をなでおろすように、ため息をついた。




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