第23話 彼からのリクエスト

「ありがとうございます」


 私は笑顔でアンドレ様に告げる。笑顔が引きつらないように、細心の注意を払いながら。


 アンドレ様が私の前世の世界を知っているとすれば、私がいわゆる『盗作』をしたこともバレているだろう。この世界では、『エリーゼのために』も『ラ・カンパネラ』も私が作った曲になってしまったのだ。


 ……いや。もし、アンドレ様があの世界を知らないとしても、アンドレ様に嘘をついていることはいけないと思う。仮にも夫婦になったのだから、夫婦の間に隠し事はいけない。

 たとえアンドレ様が激怒しても、アンドレ様には伝えるべきだろう。



「あの……」


 恐る恐る声を出すと、その声は酷く震えていた。アンドレ様との距離が近くなったのに、また離れられるのが酷く怖い。だけど……嘘はいけない。


「あの……私が弾いている曲は……

 

……私が作ったのではないのです!! 」


 意を決して告げた。もちろん声は震えていて、心臓もバクバクと音を立てている。もうすぐ冬だというのに、背中を嫌な汗が伝った。アンドレ様を見るのが怖くて、私はぎゅっと目を瞑って下を向いている。


 こんな私を、


「リア」


相変わらず穏やかにアンドレ様が呼ぶ。その声があまりにも優しげだから、少し安心してしまう。

 

 おずおずと顔を上げると、目の前のアンドレ様は口角を少し上げて私を見ている。どうやら、怒ってはいなさそうだ。


「そうなのか。……教えてくれて、ありがとう」


 アンドレ様は低い声でそっと告げた。


「君はそんなことを悩んでいたのか。

 君が本当のことを言っても、この世界では信じる者はいない。だから必然的に、あれらの曲は君の曲となるだろう」


 (やっぱりアンドレ様は……)


 その疑惑は、確信へと変わっていく。アンドレ様がどんな記憶を持つのかは分からないが、アンドレ様もあの世界の記憶を持っているのだ。


 (ですが、怖くてそれ以上聞けません)


 アンドレ様があの世界で何をされていたのか。どんな生活をして、誰を愛したのか。知らないほうが幸せかもしれないと思ってしまうのだった。




 私は複雑な顔で食事を食べていたのだろう。美味しいデザートのジュレを食べ終わりスプーンを置くと、アンドレ様が立ち上がる。


「さあ、今日の昼の約束だ。

 俺に、君のピアノを聴かせてくれ」


「えっ……本当に……? 」


 私は驚いてアンドレ様を見て、その美貌に頬を染めて俯く。アンドレ様はやたら顔面偏差値が高く、この世では男慣れしていない私には、ハードルが高すぎる。

 真っ赤な私に、アンドレ様は困ったように聞く。


「嫌か? 」


 (嫌というより、アンドレ様は私のピアノを聴きたくないのではなかったのですか!?

 それなのに、何ですかこの変貌ぶりは……)


 だが、アンドレ様の頼みを拒否することは出来ない。私は真っ赤な顔のまま立ち上がり、アンドレ様を見てさらに頬を染める。だって、アンドレ様はその綺麗な瞳で、優しく私を見つめているのだから。


「ど、どんな曲を弾きましょうか? 」


 苦し紛れに聴きながら立ち上がる私に、アンドレ様は告げた。


「『月の光』という曲を知っているか? 」


「はい。ドビュッシーですね」


 私はピアノに座り、蓋を開けた。そしてひと呼吸してから弾き始める。そして、リクエストされたにも関わらず、暗譜で弾きこなしてしまう自分に驚いた。





 『月の光』を弾いていると、ある光景が頭に浮かんだ。もちろん、前世の記憶だった。あの日も、今日みたいな寒い日だった。


「このボス、強くて倒せないんだけど。

 俺、もう三日間も戦ってる」


 テレビの前に座り、慎司はゲームをしていた。テレビには、暗い夜空の下、幽霊みたいな透明で儚げな敵が映っている。だがこの敵、儚げだが強いらしいのだ。


「この曲もうぜー!! 」


 慎司が叫ぶから、私は笑いながら彼をなだめる。


「うざいとか言わないでよ。

 この曲、本当はすごくいい曲なんだよ? 」


「えっ、マジ? 弾けるの? 」


「うん、弾ける弾ける!」


 私がピアノを弾くと、慎司はゲームをやめて聞いてくれた。敵に負けて不貞腐れていた顔も、いつの間にか笑顔になっている。


「本当だ、すげーいい曲」


「でしょ? だから慎司もうぜーとか言わないの」


 私たちは、顔を見合わせておかしそうに笑う。こんな些細な毎日が、とでも幸せだった。


「なぁ、香織。これからも弾いてくれる?

 香織のピアノを聴いていたら、ゲームで負けたくらいどうでもいいって思えた」


「あはははは!! 」





 あの幸せが続くと思っていた。だけど、長くは続かなかった。私は足を滑らせて窓から落ち、きっと死んだ。

 私が死んだあと、慎司はどうしたのだろう。出来ることなら伝えたかった。


「大好きだよ。

 慎司に会えて、私は幸せだった」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る