2話:小規模な騒乱と覚醒

 夜の風が、村の端をなぞる。腐った血のような匂いが混じっていた。


 俺は屋根の上に座り、足元で身を潜める三匹の猫に意識を集中する。


 ──来たか。


 ミケが闇に目を凝らし、クロが鼻を震わせ、トラの耳が風の異音を拾った。


 中型。四足。甲殻。瘴気を撒く。

 北西の森から単独で侵入。狙いは村。


 村の広場に明かりが灯り、人のざわめきが上がる。

 訓練不足の傭兵たちが散漫に武器を構え、村人たちが物陰から顔を出す。


 ──無駄な足掻きだな。


 その中に、セレスの姿があった。

 短杖を構え、恐怖を押し殺した瞳で前を見据えていた。


「囲め。煙。高所から」


 俺が囁くと、猫たちが一斉に動く。

 言葉は要らない。俺の魔力がすべてを伝える。


 ──魔物が姿を現す。


 甲殻が鈍く光り、口から瘴気の泡を垂らしながら地を這う。

 村の空気が腐るような気配。


 セレスが詠唱を始めた。


「──風よ、縛れ。雷よ、打ち据えよ!」


 見事な術式。風が脚を絡め、雷が関節の隙間を正確に貫く。


 けれど──止まらない。


 魔物が泡を撒き散らしながら跳ねるように突進する。

 セレスが退く。詠唱に移るその一瞬──


 棘のような前脚が振り上げられ、横薙ぎに裂かれた。


「……ッ!」


 右肩から血が噴いた。

 刃は逆向きに返され、引き裂く構造。狙いは殺しではなく“壊す”こと。


「下がれ、魔術師」


 俺はそう呟き、指を鳴らす。


 煙が広がる。白く、重く、視界を奪う霧。

 その中を、猫たちが走る。音もなく。


 クロが跳ぶ。甲殻の隙間を突く。目元から、脳へ。

 一撃──即死。


 静寂。

 煙が晴れる。


 村人たちのざわめきが戻る。


「何が……終わったのか?」「魔物は……?」


「猫がやった。俺は見てただけだ」


 それだけ言って背を向けた。

 拍手も賞賛もいらない。どうせ、誰も真実なんて信じない。


 屋敷に戻ろうとしたとき、血に染まったセレスが俺の前に立った。


「……力を隠すには、ここは狭すぎる」


 俺は視線も向けず、歩き出す。


「猫が勝っただけだ」


 それでも彼女の声は、俺の背にしっかりと届いていた。


 気づかぬまま、俺の中で何かが目を覚まし始めていた。

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