第35話 涙のクッキー

「お邪魔するね」


 そう言ってサーティアは、僕の部屋に足を踏み入れた。


「ただいまお茶とお菓子をお持ち致します」


 部屋の入口でセバスが頭を下げる。


「セバス、言っておいたように、学院側に連絡を」


「承知致しております。ご安心下さい。それでは失礼します」


 と、扉が静かに閉じられる。


「学院に連絡って、何かあったの? 昨日の王女様との会談、失敗しちゃった……?」


「失敗でも成功でもなくて、前提が全然違ったんだ。

 一言で言えば、いたずらっ子の悪ふざけに乗せられた」


「いたずらっ子の悪ふざけ?」


 サーティアは皆目見当が付かないと言った調子で、その人差し指を口元に添え、首を傾げる。

 か、可愛い……今からする話が馬鹿みたいな、それでいて親友の人生掛かった話だからこそ、サーティアの微笑ましすぎる仕草に心臓がダンスして止まらない。


「あれ? 顔赤いけど、どしたの?」


「い、いや、サーティアが可愛くて」


「はふっ! そ、そん、そんなにストレートに言われても、な、何も出来ないよわたし?」


「はふって……可愛すぎてどうしたら良いんだこういう時って」


 僕はうっかりすると大笑いしてしまいそうな腹を抱えたまま、丸テーブルの手前の椅子に座った。


「ごめん僕今動けないからサーティア自分で椅子引いて座って」


「んー、お腹抱えてなんかヒクヒクしてるフィロス、変なのー」


 と、コンコン、と扉がノックされる。セバスだ。


「は、入って」


「はい、失礼致します。学院には、ご指示の通り連絡を入れておきました。こちら、お茶とお菓子でございます。

 本来フィロス様の婚約者様にお出しするようなお菓子ではございませんが、フィロス様の突然のご決意でしたので」


「こっ、ここ、婚約者……そ、そうよね、う、うん、結婚前提なんだから、そ、そう言われれば、そう、よね……」


「はい。ただ味の方は折り紙付きです。本領一番の菓子職人が丹念に焼いたクッキーでございます、お楽しみください」


 それでは、とセバスは頭を下げて扉を閉めて出て行った。


「婚約者様……」


「えーっと……今度はサーティアが帰ってこなくなっちゃったけど……サーティア? サーティア!」


「えっ。あ、うん。美味しいクッキーなのよね、これ」


「着地点が女の子らしすぎて可愛くて死にそう……取りあえずホント、今回の話、かなり馬鹿馬鹿しい話から入るから、クッキーでも食べながら話そう」


「学院への連絡って?」


「ん? 遅刻してくって。2人とも」


「えっ?! セットで?!」


「うん。『僕と婚約者のサーティアは、幾らか遅刻します』と伝える様にって言っておいた」


「えええっ! そ、そんな、こ、心の準備が……」


「整わない? 僕もだよ」


 思わず口からフフッと声が漏れたが、気にせず山と盛ってあるクッキーの1つを取る。


「サーティアも、ほら、クッキー。本当に美味しいんだよ、ここの」


「う、うーん……婚約者、学校にも、もう……」


 クッキーと関係無いことを呟きつつも、サーティアはしっかりクッキーの1つを手にした。


「じゃ、話していくね。まずさ、昨日の王女の説明。変だと思わなかった?」


「うーん、変な所は幾つもあったわね。国王陛下と2人で、って時点でもうおかしいのに、その国王陛下まで帰っちゃって、ひとりで来ました、なんて」


「そう。そこまず酷くおかしいよね。けれど、学院には『そういう体(てい)』で入ってきた。つまり、書類は整ってたんだと思う」


「書類が、偽物だけど通っちゃった、みたいなこと?」


「書類に関して言えば、そう言うことになる。王様を引っ込めた結果王宮を絡めずに済んだ。

 つまり、書類も学院だけにしたんじゃないかな。あとはうちの国、入国自体は緩いじゃない? そこを突かれた」


「もし正体が革命家とかの過激派だったら……怖い……」


 サーティアの視線が曇る。


「幸い今回の正体は、僕らの知ってる人物だった。外国から来た訳でも無ければ、元々学院の級友。で、当日だけいなくなったのは?」


「え……って、あのピンクくるくる頭のあの子が、ロザリアだったってこと?!」


「うん、そう」


 と、僕は驚き立ち上がりかけたサーティアに手のひらで座る様に示しつつ、もう片手でお茶を手に取った。


「で、でも、あのロザリー王女? 女の子の声してたよ? ロザリアの声じゃ、あの声は出せない。魔法?」


「魔法じゃない。魔法だったらまだマシだったんだけどね。『変身』とでも言うべきかも知れない」


 お茶をすする。うん、相変わらず適温で飲めるように淹れてくれるセバスの腕前。


「変身? ロザリアが? うーん、分かんない。詳しい事って聞いても大丈夫?」


「ロザリアには恨まれるかもしれないけど、サーティアに隠し事はしない。だから全部話すよ」


 それから僕は、定期考査の真っ最中にロザリアの家を訪れたことから始まり、

 魔法院で前院長先生がなさった『人間宣言』までを、余すこと無く語った。


「ホムンクルスってよく分からないけど……人間なのに、人間じゃない?」


「逆かな。元々人間じゃないけど、後付けで人間としての認定を得た、みたいな感じ」


「でも、人間になれたとしても、何千年も、1万年も、生き続けるなんて……」


「そこなんだ。僕たち人間は、どんなに生きてもせいぜい80か90年だよね。

 けれど、人造生命体・ホムンクルスのロザリアは、死ねない。だから本質的に孤独なんだ」


「クラスメイトに同情なんてするべきじゃ無いのかも知れないけど……可哀想」


「うん。僕もそこ、凄く思ってたし、流され掛けたところでもある」


「流され掛けた?」


「昨日、王女から呼び出されて応接会議室に通されたんだけど、そこでロザリアに言われたんだ。

『ぼくは君に、女性として恋してる。初めてだよ、恋って感情を知ったのは』って。

 その時目の前にしてるのは、その変身で女性化したロザリーだから、女性に告白されてる様な雰囲気ではあった」


「……そこで、流され掛けたの?」


 サーティアの表情が、少し悲しそうな無表情になる。


「ううん、そこよりもう少し後。その時は、ロザリアが自己完結してその話は流れた感じになった。

 それで会談が終わって、サーティアの言う通りヘトヘトになって戻って、早退して。少し考えようと思ったんだ」


「わたしを取るか、ロザリアを取るか?」


「うーん、2人を天秤に乗せたつもりは無くて、婚約者を取るか親友を取るか、みたいな、もう少し漠然とした感じ、最初は。

 でも考えていけば当然、サーティアが今言う様なことになってくる訳で、僕は情けないことに、即座の決断は出来なかった。

 ロザリアの背景を知ってる、ほぼ唯一の人間として、寄り添ってあげたいとも思う。一方で、サーティアが一番大切なのは変わらない。

 そこへ持ってきて会談の場で、ロザリアは『第2夫人を狙ってる』とも言っていた。だからその言葉にも余計翻弄された。


 実は第2夫人って話自体は、じいちゃんからも言われてる。サーティアを見つつも他を見る事も忘れるな、みたいな事を言われてるんだ。

 だからと言って今僕が第2夫人を考えてる訳じゃ無い事はハッキリ言いたいんだけど、偶然にもじいちゃんからの言葉とのかみ合いが、ね。

 じいちゃんの言葉は、僕にとって凄く重いから」


 僕は、だからちょっとしょうがないんだよ、みたいなニュアンスを意識していた。

 が、サーティアの握り拳が机をダンッと叩き付け、ティーカップがソーサーの上でガタガタ揺れたところで、僕は自分の説明に酔っていたことを痛感した。

 サーティアの見開かれた目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ、そのふっくらした唇が固く真一文字に結ばれ、涙溢れる瞳は僕のことをじっと見ていた。


「サ、サーティア」


「なんで? なんで彼女になった翌日に第2夫人との戦いを考えなきゃ行けなくなるの? それも大公家の宿命なの?

 わたしだって、男の子の『親友』っていうのがとっても固い絆だって事は知ってる。けど、それを恋にしちゃ、ダメじゃないの?

 いくらロザリアが可哀想な身の上だからって、わたしは?

 わたしはロザリアと違ってあなたと同じ様に老いるよ? おばあちゃんになってっちゃうよ? それじゃあダメなの?

 あなたにとって、『普通』なわたしじゃ足りない? ホムンクルスくらい突き抜けた個性がないと物足りない?」


 サーティアの涙は、僕の胸をキツく締め上げるのに十分だった。

 サーティアの言葉は、僕の配慮の無さに断罪の槍を鋭く突き刺すに等しかった。


 僕は、大きく息を吸って、止めた。吐き出すと迂闊に溜息になりそうだったから。

 その溜めた息のまま、口を開いた。


「サーティア、誤解しないでほしい。今伝えたことは、確かにありのままの真実だったことだ。一言も嘘は入ってない。

 けれど、伝え方が全然良くなかった。ごめん。本当に。まず最初にサーティアに言わなきゃいけなかった」


 僕は、こういう言葉を言うのは照れくささで難しいだろうと思っていたのだが、

 まさかこういう荒れ切った場面で初めてこの言葉を言うことになるとは思いもしなかった。


「僕は、サーティアの事を愛してる。サーティアの事がまず何より一番なんだ。そしてこれからも、それは変わらない」


 しっかり重さを掛けた声でそう言い切ると、サーティアの涙は蛇口の栓を閉めていく様に徐々に止まっていった。

 けれど、その表情は晴れない。不安感、怒り、困惑、そして多分嫉妬も……全部ごちゃ混ぜにした、複雑な困り顔をしていた。


「サーティア。僕は、自分で、サーティアを選んだんだ。この僕がだよ? 優柔不断で、1人で何も出来ないような僕が」


 少し声の重みを軽くし、おどけた成分をちょっとだけ混ぜる。サーティアの表情がわずかに変化し、何か言いたげに見える。


「言いたいことがあったら、言って、サーティア。フィロスのバカ、でも、フィロスなんて死んじゃえ、でも」


「死んじゃえなんて、思わないもん……わたしは、あなたと一緒に生きていきたいの。あなたの一番でいたいの。あなたに愛されたいの」


「うん。全部、必ず叶えるって約束する」


「……じゃあ、ロザリアのことはどうするの」


「女としてのロザリアからの言葉は、断る。ハッキリと。あくまで男同士の親友としての付き合いをする。

 それでもサーティアが不安に思うんなら、ロザリアとはキッパリ縁を切る。サーティア、君が最優先だから」


 僕は出来るだけしっかりした口調で言い切った。

 すると、サーティアは、まだ困り顔ではあるが刺々しさの抜けた、普通の困り顔になった。

 その顔のまま、丁度クッキーの山の上に、手を差し出した。


「握手、しよ。約束の握手。これからもわたしを愛していて。それから、わたしで満足して」


「サーティアのこと、ずっと愛し続けるよ。サーティアの笑顔こそ、僕が一番望むものだ」


 僕も手を差し出し、サーティアの手をそっと握る。

 その手は、さっきまでの涙でかびちょびちょに濡れていて、僕の手汗の比で無かった。


 サーティアが、より強く手を握る。僕も、サーティアの手が壊れない様に気をつけながら、合わせる様に力を強める。


 サーティアの顔を見ると、その顔にようやく笑みが戻っていた。

 ただ、いつもの明るい笑みではなかった。どこか不安げな、あるいは悲しげな笑みだった。


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