私の使命は、お嬢様を王太子妃にすることですので!

八星 こはく

第1話 お嬢様との出会い

「……は? えっ? 嘘、でしょ……?」


 数時間ぶりに家へ帰ったら、家が荒らされていた。

 強盗でも入ったかのような惨状だが、それは違う。なぜなら年季の入ったテーブルの上に、汚い文字で書かれた手紙がおいてあったから。


『ごめんなさい、シルヴィア。私、真実の愛に出逢っちゃったの』


 手紙を放り出し、部屋の最奥にある棚を開ける。

 最悪な予想通り、そこに入っていたお金は全部なくなっていた。慌てて自室へ行き、母に隠れてこっそりとお小遣いをためていた箱をベッド下から取り出す。


 その中も、空っぽだった。


「あのっ……! クソババア……っ!」


 シルヴィアが少女らしからぬ暴言を吐くのも当然であった。

 なぜなら今日は彼女の記念すべき10回目の誕生日であり、にも関わらず、母親に頼まれて近所の店の仕事を手伝いに出かけていたのだから。

 もしかして誕生日パーティーの用意をしてくれているかも……などという淡い期待を抱いたシルヴィアが馬鹿だったのだ。


 色情魔。色狂い。男好き。


 母は、そんな言葉が似合ってしまう人だ。本人いわく『人よりちょっと運命の相手が多いだけ』らしいけれど。


「……ていうか、本当に出ていっちゃったの? 私を残して、お金も全部持って……?」


 今まで、無断で何日も家を空けることはよくあった。けれど手紙を残して、金を全部持って出かけたのは初めてだ。


 そして、最悪なことは重なる。

 明日はこのぼろい家の、家賃の支払い期限日なのであった。





 大家に土下座をしたら、1ヶ月だけ家賃を待ってもらえることになった。

 けれど1ヶ月後に家賃を払える目途なんてないし、そもそもこのままでは、1ヶ月後をむかえられるかどうかも怪しい。


「……お腹、空いた」


 家を出てきたのは、空腹が限界を突破したからだ。

 3日もなにも食べなかったのは生まれて初めてかもしれない。


 一歩前へ進むたびに、通行人が逃げるように去っていく。自分では分からないけれど、かなり酷い見た目と匂いをしているに違いない。


 残飯……なんて、都合よく落ちてないわよね。


 今なら、多少鳥の糞が混ざっていても食べてしまいそうなほど飢えている。シルヴィアは溜息を吐いて、市場に並ぶ店を眺めた。

 お菓子、野菜、肉、果物……様々な物が販売されている。母の機嫌がいい時は、一緒にきたこともある場所だ。


 まあ、帰る途中でお母さんは男についていっちゃったから、一人で家に帰ったんだけど。


 ぎゅる、とまた腹が鳴った。身体も、そろそろ食べることを諦めてもよさそうなのに。


 あの林檎、とったらバレるかしら。


 ふと、頭にそんな考えが浮かんだ。盗みをしたことなんてないし、上手くいかないかもしれない。

 けれどこのままなにもしなくても、飢えて死ぬだけだ。


 覚悟を決め、目の前の林檎をわしづかみにする。店主は他の客と話していて、気がつきそうにない。このまま走って逃げれば、きっとなんとかなる。

 それなのにシルヴィアは、林檎を掴んだまま、身動きがとれなくなってしまった。


「おい、ガキ、盗もうってのか!?」


 シルヴィアに気づいた店主が声を荒げる。その怒鳴り声に、シルヴィアはホッとしてしまった。


「いい度胸じゃねえか!」


 男の拳がシルヴィアの頬をぶつ寸前、お待ちくださいませ! と場違いなほど上品な声が響いた。

 振り向くと、人形のように愛らしい少女が立っている。その後ろには、上質な燕尾服を着た執事が立っていた。


 いかにも箱入り娘、という出で立ちの少女は、シルヴィアの手からそっと林檎をとった。


「この林檎、わたくしが買いますわ。それでいいでしょう?」


 穏やかでありながら、堂々とした力強い声。おそらく彼女は今まで、一度だって話を遮られたことはないのだろう。

 愛されて育った者特有のオーラを、彼女は嫌味なく纏っていた。


「もう大丈夫よ」


 微笑んだ少女は、そっとシルヴィアの手を握った。薄汚れたシルヴィアの手を、何の躊躇いもなく。


 ほんの少しでもシルヴィアの腹になにかが入っていれば、きっとシルヴィアはその手を振り払っただろう。

 けれど今のシルヴィアにはなにもない。偽善だろうが、同情だろうか、哀れみだろうが……目の前に差し出された手に、縋るしかなかった。


「助けて……助けてください、どうか……!」


 必死に叫んで、勢いよく土下座する。


「顔を上げて」


 ゆっくりと顔を上げ、少女の顔をじっと見つめる。

 見れば見るほど美しい子だ。金色の髪も、桃色の瞳も、全てが人をひきつけてやまない。


「お母様が言っていたの。わたくしと年の近いメイドを探しているって」


 少女は高そうなドレスが汚れることも気にせず、地面にしゃがみ込んでシルヴィアと目を合わせた。


「貴女に会えたのは、きっと運命だわ。よかったら、今日からうちにきてくれないかしら?」


 天使が差し出した手を、シルヴィアはぎゅっと掴んだ。


 ―――この瞬間、シルヴィアは心に誓ったのだ。

 一生、この方に仕えようと。


 これが、後に最強と呼ばれるメイドと、その主人の出会いだった。

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