第11話「現実の歪み」


1


その朝、洸は大学に向かう途中で異常な光景を目にした。


いつも通り慣れた道を歩いていたはずなのに、大学の隣に見たことのない建物が建っていた。


三階建ての古い洋館。石造りの外壁にツタが絡み、尖った屋根が特徴的な建物だった。しかし、この場所に昨日まで建物はなかったはずだ。


「あれ?」


洸は立ち止まって建物を見上げた。見覚えがある建物だった。


夢の中で訪れたことがある洋館だ。


確か、夢の図書館に行く途中で立ち寄った建物で、中では19世紀の貴族のような服装をした人々が住んでいた。


しかし、それは夢の中の話のはずだった。


「まさか」


洸は恐る恐る建物に近づいた。石の質感、木製の扉、すべてが現実のものだった。触ってみると確実に固い感触がある。


これは幻覚ではない。夢の中の建物が、現実世界に現れているのだ。


「洸くん?」


後ろから声をかけられて振り返ると、ミナが立っていた。


「先輩、この建物」


「私も今気づいたの」ミナが困惑している。「昨日まではなかったよね?」


「はい。でも、俺はこの建物を知っています」


「知ってる?」


洸は説明に困った。夢で見たとは言えない。


「どこかで見たことがあるような気がして」


ミナは建物を見上げた。


「確かに古い建物ね。でも、一晩で建つはずないし」


二人が困惑していると、建物の扉が開いた。


中から一人の女性が現れた。





2


女性は30代くらいで、ヴィクトリア朝時代の服装をしていた。長いドレス、コルセット、elaborate な髪型。まるで19世紀の貴族のような格好だった。


「あら、お客様ですの?」


女性が優雅にお辞儀をする。


「あの、ここは何の建物ですか?」ミナが尋ねた。


「私たちの住処ですの」女性が微笑む。「突然現れて申し訳ございません」


洸は女性に見覚えがあった。夢の中で出会ったことがある人だった。


「私はエリザベス・ハートフォードと申します」女性が自己紹介する。「よろしければ、中をご覧になりませんか?」


洸とミナは顔を見合わせた。状況が理解できないが、好奇心が勝った。


「お邪魔します」


建物の中は、外観通り19世紀の貴族の邸宅のようだった。豪華な家具、絨毯、シャンデリア。すべてが精巧に作られている。


「素敵なお家ですね」ミナが感嘆する。


「ありがとうございます」エリザベスが答える。「ただ、私たちは少し特殊な状況にございまして」


「特殊な状況?」


「私たちは夢から追い出されたのです」


エリザベスの言葉に、洸は戦慄した。


「夢から追い出された?」


「はい。私たちは夢の世界の住人でしたが、最近その世界が不安定になり、こちらの世界に避難してきました」


洸は理解した。Dream Dwellerの影響で、夢と現実の境界が崩れているのだ。





3


「他にも住人の方がいるんですか?」ミナが尋ねた。


「ええ、大勢おります」エリザベスが案内してくれる。


二階に上がると、様々な時代の服装をした人々がいた。古代ローマの市民、中世の騎士、江戸時代の侍。まるで歴史博物館のようだった。


しかし、洸は違和感を覚えた。彼らは確実に人間のように見えるが、何かが違う。


「触ってもよろしいですか?」


洸が一人の侍に手を伸ばすと、手が透けて通り抜けた。


「やはり」


「私たちは実体を持たない存在です」エリザベスが説明する。「夢の中では完全な肉体を持っていましたが、こちらの世界では半実体状態です」


洸は恐怖した。夢の住人たちが現実世界に漏れ出している。


「なぜこんなことが?」ミナが困惑している。


「原因は分かりません」エリザベスが答える。「ただ、最近夢の世界で大きな変化が起きています」


「どんな変化ですか?」


「強力な存在が現れて、夢の世界を支配し始めました」エリザベスが恐怖の表情を浮かべる。「多くの住人が追い出され、一部の選ばれた者だけが残されています」


洸はDream Dwellerのことだと理解した。


「その強力な存在に、何か特徴はありますか?」


「白い仮面をつけており、複数の声で話します」エリザベスが説明する。「そして、現実世界の人間を夢の世界に引き込んでいます」


洸は背筋が寒くなった。Dream Dwellerの活動が、夢の世界の住人にも影響を与えている。


その時、建物の外から騒ぎ声が聞こえてきた。




4


窓から外を見ると、大勢の人々が建物の周りに集まっていた。


「何だあの建物は?」


「昨日まではなかった」


「中に人がいるぞ」


野次馬、記者、そして政府関係者らしき人々も混じっていた。


「これは問題になりそうですね」ミナが心配そうに言う。


「私たちも困惑しております」エリザベスが申し訳なさそうに言う。「突然この世界に現れてしまい」


その時、拡声器の声が響いた。


「この建物は集団幻覚です。市民の皆様は近づかないでください」


政府の職員らしき人物が、群衆に向かって説明している。


「建物の存在は確認されていません。精神的な影響による幻覚の可能性があります」


洸は呆れた。明らかに建物は存在しているのに、政府は幻覚として処理しようとしている。


「でも確実に建物はありますよね?」ミナが確認する。


「ええ、私たちにも見えますし、触ることもできます」


洸とミナは建物から出ることにした。外では混乱が続いていた。


「君たち、その建物から出てきたのか?」


記者が洸たちに近づいてくる。


「中はどうなってる?誰が住んでるんだ?」


洸は答えに困った。真実を話しても信じてもらえないだろう。


「普通の建物です」洸が曖昧に答える。


しかし、記者は納得しなかった。





5


その日の夕方、洸はニュースを見て愕然とした。


『謎の建物出現 - 専門家は集団幻覚と分析』


テレビでは、洋館の映像が映されていた。しかし、アナウンサーは「集団幻覚」という説明を続けている。


「現在、心理学者と精神医学の専門家が現場を調査中です。建物の存在は物理的に確認されておらず、集団ヒステリーによる幻覚の可能性が高いとされています」


洸は理解した。政府は真実を隠蔽しようとしている。


スマートフォンを見ると、SNSでは大騒ぎになっていた。


『謎の建物、本当にある』

『政府は何かを隠してる』

『中の住人と話した』


しかし、公式には「集団幻覚」として処理されていた。


ミナから電話がかかってきた。


「洸くん、大変なことになってる」


「テレビ見ました」


「でも、もっと大変なことがあるの」ミナの声が震えている。「建物、増えてるの」


「増えてる?」


「今、街を歩いてるんだけど、3つも新しい建物が現れてる」


洸は急いで外に出た。確かに、街のあちこちに見慣れない建物が現れていた。


中世の城、現代的なビル、和風の屋敷。すべて洸が夢の中で見たことがある建物だった。


「これは俺の責任だ」


洸は絶望した。自分の夢が現実を歪めている。





6


その夜、洸は意図的にDream Dwellerとの接触を求めた。


夢の中で、いつものように白い仮面の存在が現れた。


「これはどういうことだ?」洸が問い詰める。


「何のことかね?」Dream Dwellerがとぼける。


「夢の建物が現実に現れている。街が混乱している」


「ああ、それか」Dream Dwellerが嘲笑う。「これは君が望んだことだろう?現実を変える力を」


「こんなことは望んでいない」


「嘘をつくな」Dream Dwellerが迫る。「君は平凡な現実に飽き飽きしていた。特別な力で現実を変えたいと思っていた」


確かにその通りだった。しかし、これほどの混乱を望んでいたわけではない。


「現実と夢の境界が曖昧になれば、より多くの可能性が生まれる」Dream Dwellerが説明する。「君はその先駆者なのだ」


「街の人たちが困惑している」


「一時的な混乱だ。やがて新しい秩序が生まれる」


洸は理解した。Dream Dwellerは現実世界を夢の世界と融合させようとしている。


「やめろ」


「やめることはできない」Dream Dwellerが断言する。「プロセスは既に始まっている」


夢から覚めた洸は、深い絶望に包まれていた。





7


翌日、洸が洋館を訪れると、エリザベスが待っていた。


「創造主様」


エリザベスが深々とお辞儀をする。


「創造主?」


「はい。あなた様が私たちの世界を創造してくださいました」


洸は困惑した。


「俺は何も創造していません」


「謙遜なさらないでください」エリザベスが続ける。「あなた様の夢により、私たちは存在しています」


他の住人たちも現れて、洸を囲んだ。


「創造主様」


「我らの神」


「感謝いたします」


洸は恐怖した。夢の住人たちが、自分を神のように崇拝している。


「俺は神じゃない。普通の人間だ」


「普通の人間に、世界を創造する力はありません」エリザベスが言う。「あなた様は選ばれた存在です」


洸は逃げるように建物から出た。


しかし、街のあちこちで、夢の住人たちが洸を見つけると「創造主様」と呼びかけてくる。


洸は理解した。


自分は、この異常事態の元凶なのだ。


夢で見た世界が現実に影響を与え、街を歪めている。


そして、それを止める方法が分からない。


洸の罪悪感は、日に日に重くなっていった。


現実の歪みは、洸の心の歪みでもあった。


もう、元の世界には戻れないのかもしれない。


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