天鵞絨の底

リス(lys)

駅のホームにて

 今にも出発しそうな電車に、人々が小走りで乗り込んでいく。スピーカーからは、間もなく発車します、駆け込み乗車はおやめください、と音声が繰り返し流れている。

 あれに、乗ったほうがいいのかな。でも行き先はどこだろう。知らない土地の知らない駅で、適当な電車に乗ってしまったらどこへ着いてしまうかわからない。

 そうして悩んでいるうちにシューッ、と音を立てて扉は閉まり、シルバーの車体はギシギシと音を立てて去ってしまった。ポツン、とひとり、取り残される。

 ……待っていれば、電車は来る。焦ることはない、もう、ここまで来れたんだから。


 ホームのベンチに座る。よくある、オレンジ色で背もたれ付きの、ツルリとした硬いベンチ。意外と座り心地は良い。椅子の横に、買ったばかりのキャリーバッグを置く。昔使っていたものより大きくて、寒色なのも気に入っている。

 ザラザラしたキャリーバッグの表面を無意識に撫でていると、一両の電車がホームに滑り込んでくる。いや、これは、バス? ……こんな形の電車も、この地方にはあるのかもしれない。

 改札から次々と乗客がホームへ入ってきて、そのまま乗り込んでいく。ほとんどみんな、制服を着ている高校生だ。きっと近くに高校があって、ちょうど帰宅時間なんだろう。ブレザーの制服、見覚えはない。当然だ。ここは地元じゃないから。

 この電車、いや、バス……ええと、車両。この車両の行き先はどこなんだろう。電光掲示板を見ると行き先の地名が書いてあるけれど、その土地の名前を知らないから自分の目的地に着けるのかわからない。

 車両に乗り込もうとするひとりの女子高校生に声を掛ける。


……あの、この車両の行き先って、どの辺りですか?


――えっと〜、どこだろう。私もわかんなくって。すいません。ここの路線、駅と駅の間隔めっちゃ広いから、乗り間違えたら大変ですよ。


……そうですか。すみません、引き止めて。


 彼女はにこりと微笑んで会釈して、先に乗車していた友人に「ごめんごめん」と声をかけながら乗り込んでいった。

 この車両に乗るのもやめておこう。間違ってしまったら、大変だから。

 また、ベンチに座る。涼しい風が吹く。みんな乗り込んでしまって、ホームには私一人だ。学生たちの、ガヤガヤと楽しそうな雰囲気だけが風に乗って届く。……ふふ、良いなぁ。あんな日常、私にもあったかな。羨ましいな。

 さて、どうしよう。あの人に、電話をかけようか。それとも……いや、もう少し、自分で頑張ってみよう。なんとか、調べる方法はきっとある。でも、スマホ……見つからない。最初から無かったのかもしれない。私って、何も出来ないなぁ。

 

 ふと顔を上げると、離れたところに立っているのは、あの人。昔みたいな明るい髪色をしている。仕事を始めてからは、何年も髪は染めていないはずなのに。いたずらっぽくおどけた笑顔でこちらに駆け寄り、隣のベンチに腰を下ろす。ふわりと、懐かしい香水の香り。爽やかで、ほんのり甘い。これも、昔はよくつけていたけど……もう何年もつけていなかったはずなのに。


……どうしたの? その髪。いつの間に染めたの? ふふ、その色で、仕事は大丈夫?


――今日だけ、染めてきた。驚くかな、と思って。


……驚いたよ。それに、懐かしい。見て、あの車両。学生たちがたくさん乗ってて。行き先、知らない地名だから、乗るのやめたんだ。それで……どうしようかと、思ってて。


――だから迎え、来たんだよ。迷ってると思って。……じゃあ、行こうか。ちゃんと着いてきてね。


 当然のように、私のキャリーバッグを引いて歩き出したその背中を追うと、あの車両も、動き出した。

 どこへ向かうのかは、結局、知らない。



 


 



 

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