2
イベルダのことは一旦レベリウスに任せ、孫六はトーハン・アーデンのところにいるゲインズ・アブールに会った。
「黒づくめの連中ですか?」
ゲインズは意外そうな声を出した。
「儂も不思議に思うておる。たかが一介の飯屋の女将を、例の連中が何故狙っているのか。あの飯屋の女将は、どういう素性の者か知っておるかね?」
「いや、そこまでは。ですが、私が知っている限りでは、取り立てて何かあるような女性には思えませんね。ましてや黒づくめの連中と繋がっていたり、かかわりがあるようには。……」
であろうな、と孫六がふと考えこむと、
「見間違い、ということはありませんか?マゴロクさんがおっしゃるのは、目つきがそのように見えている、という、主観の話ですよね?それが間違っているというのは。……」
「この目に狂いはない。見間違うはずもなかろう」
孫六はそういって一呼吸おくと、
「……、と、言いたいとこだがな、実はそうも考えておってな。……、儂の見間違いというのが、一番良いのだ。だが、どうしても、こう、喉になにかが引っかかるような違和感を覚えるのだよ。どうにも儂の頭の中で合図が鳴っているらしい」
「合図、ですか」
「左様。念のためだ、誰か手配をしてやってもらえんか」
「わかりました。では、二、三人ほどそのイベルダの店を張らせましょう。マゴロクさんは、一度手を引いていただけると助かります」
「ああ、そうする。レベの奴も戻るように伝えておこう」
工房に戻り、孫六は表の扉に手をかけようとしたが、すぐにその手をひっこめた。そして今度は扉を一気に引き、
「何者だ!!」
だしぬけに叫ぶと、見たことのない男が驚いて孫六の方を向いた。男の足元には、縄で縛られて転がっているレベリウスがある。
孫六は、繰り出してきた男の手をかいくぐり、懐に潜り込むと鳩尾に肘鉄をかました。男は孫六にしなだれかかるように倒れると、悶絶している。
「たわいもない」
孫六は言い捨てると、レベリウスを縛っている縄を解いた。
「すまねえ、親方」
「でかい図体をして情けない奴め、今度儂が一つ鍛えてやろう」
孫六が笑うと、男は鳩尾を抱えるようにしながら立ち上がる。
「まだやるか」
孫六が構えたところへ、男は、
「ちょ、ちょっと。……、待ってくれ」
男は呻きながら言った。
「話は通じるようだが、ならば話を聞こう」
男はエディンと名乗った。
「エディンとやら、まず、この工房を襲ったわけを聞こう」
「話を聞こうとしただけだったんだ」
「話を?話とは」
「イベルダのことだよ」
「飯屋の女将のことか。女将の何を聞きたい」
「こいつ、イベルダの店に入り浸ってたろう?どういう関係なのか知りたくてな」
「つまり、お前さんは、イベルダに惚れ込んでいる、ということか?」
エディンは耳を赤くして黙っている。孫六は思わず大きく笑った。エディンが、
「笑うな!!」
と孫六につっかかろうとするのへ、
「馬鹿にするつもりはなかった。すまなかったな。ただし、お前さんのやったことは、立派な罪科であることは分かっているな?」
エディンは我に返ったように顔を青白くさせると、小さくうなずいた。
「どのようなことでも受け入れます」
「よし、では儂の後をついてきなさい」
孫六はエディンを連れてイベルダの店に行った。
「あら、エディンじゃないか。珍しいわね、おじいさんと一緒だなんて」
「女将、先だって絵師に描いてもらった似顔絵を出してもらえんか」
「え、ええ。いいわよ」
イベルダは不思議そうに答えると、例の肖像画をエディンに見せた。
「見覚えはあるか?」
エディンはしばらく食い入るように眺めていたが、見たことない顔だ、といった。
「ますますわからんな」
孫六がぼそり、とつぶやいた。
「わからない?」
イベルダがたずねた。
「もしかすると、最初の当て推量からして間違っておるのやもしれんな。……、邪魔をしたな」
ちょっと待って、とイベルダは孫六に声をかけると、
「今日の分。レベの分もあるから」
と、弁当を渡してきたので、孫六はレベリウスからもらっている銀貨で支払った。
どうにもわからんな、と孫六は工房でレベリウスとともに昼飯を使っている。エディンは工房を襲ったために、昼飯を抜かされている。
「一体、どういうやつなんだろうね」
「一つ言えるのは、イベルダの言っている『妙な男』というのは、このエディンという人物ではない、ということだけだ。後は、要するに誰も分からん」
「ということは、もう一度その野郎が来るのを待つしかないってことか」
そうなるな、と孫六は頷き、
「これはちと長丁場になるやもしれんぞ。まあ、暇つぶしにはちょうど良いがな」
と笑った。
翌日、孫六はウィリシュに例の似顔絵を見せると、
「これがどうかしたのか?」
とウィリシュは尋ねた。
「飯屋の女将の話なのだがな」
「飯屋の女将。……、もしかして、イベルダのことか?」
「そうだ。女将がな、妙な男に付きまとわれているらしい。で、これは、ここへ来る前、女将から借り受けた、そやつの顔を絵師に頼んで描いた似顔絵だ。もしかすると、よからぬ者かもわからんでな」
「そういうことなら、俺たちも気をつけておこう」
「ときに、剣の具合はどうだ」
「ああ。……、今度見てもらいたいな。手入れをしてほしいんだ」
「よかろう。折を見て持って来なさい」
わかった、とウィリシュは一旦似顔絵を預かり、
「これは、写しが終わり次第、イベルダに返すよ」
といった。
それからしばらくの間、孫六やレベリウス、エディンにウィリシュらが事ある毎にイベルダの店に現れては例の妙な男を探していたが、全く現れる気配はない。
「本当にくるのか?そいつは」
ウィリシュは、供に店を見張っている孫六にたずねた。
「さあな、なにぶん相手のあることゆえ」
「そんなことじゃ困る。俺だって暇じゃないんだぞ」
「まあ、そういいいなさんな、大将。ことが終ったら飯の一つでも奢らせてもらう」
「本当だろうな」
ウィリシュがなおもいいかけたところへ、イベルダが二人に目くばせした。それとなくイベルダが指さす方をみると、確かにあの『妙な男』が座っている。
妙な男は、誰かを待っているようだった。しきりにあたりを伺い、店に入ってくる客を一人残らず目で追って、しかし、声をかける様子はない。
ウィリシュが男のそばへ寄ると、男は魂消たような顔をして、逃げようとした。
「なぜ逃げる?」
ウィリシュが尋問を始めた。
「べつに、逃げてはいない」
「ならば、どこへ行こうとした?」
「よ、用を足しに。……」
「それなら、店の奥だ。看板がかかっているだろう?」
「見逃していたんだよ」
男が用を足そうと向かった時、何かが落ちた。
紙片であった。
「見せてもらうぞ」
男は激しく抵抗したが、ウィリシュはものともせず、紙片の中を読んだ。そして、
「これは、どういうものだ?」
と、ウィリシュは男に紙片を突き付けた。そして、
「じいさん、えらいことかもしれんぞ」
孫六を呼んでそういった。孫六も紙片を読み取り、
「何かの符丁だな」
とつぶやいた。
「おい、これはどういうサインか教えてもらおうか」
男は口を割ろうとしないので、ウィリシュは衛兵たちをよび、ひとまず牢獄に入れることになった。
取り上げた符丁をウィリシュと孫六は眺めているが、どういうもので何を指しているのか。それがいつ、どこで行われるものなのか、全く分からない。
「これだけではわからんな」
ウィリシュが匙を投げると、孫六は、
「これは、昔に聞いたことがあるが」
と前置きをして、
「たしか、貿易の際であったか、互いの船が分かるように、割符を使う事があったらしい。関は山国であったゆえ、そのようなことにはとんと無縁だったが、海に面したところではそのようにしていたらしい」
といった。
「つまり、これはその合図?」
「考えられんことではない。牢獄にいるあやつがその手引きか、あるいは相手方か。まあ、口を割らんことには先は分からんがな」
突然、牢屋の守衛が飛び込んできた。
例の男が、死んだらしい。
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