第2話 そでふるきみ

440には、ずいぶん泣かされた。なんて、まるで演歌だね。ほら、過去振り返ると自分っていつでもいまの自分より若いじゃない?20歳になったときゃあいっぱしの大人になった気分で、「18歳の自分て、まだまだなんも知らん子どもだったなあ」と思ったもんだけど、23歳には「あの頃はすっかりおとなになった気分だったけど、まだまだ…」、25歳になったらまた「あの頃は…」28歳になったら、といつ振り返っても、当時はすっかりいろいろを知った気に、おとなになった気分だった自分をかわいらしく思うのよね。しかし、30歳代に突入するとさすがにおばさんの自覚がでてきた。なーんて思ったのに、その30歳代でさえ「若かったなあ、じぶん」て思うときがやってきてしまうのね、長く生きていると。440と袖振り合ったのはそんな30歳代のときだった。奈良であった歌会の休憩時間にふらっと散歩していたら、むこうから手を振ってやってくるひとがいて、近づいてみても知らないひとだったのに「やあ」とか言って、「デートしよう」なんて言うの。おもしろいから、つきあっちゃった。

440はじぶん大好き人間で、仏教的意味はほんとはちがうんだろけど、「況んや悪人をや」つうのは、自分は悪人だとはっきり認めているひとこそ、自分が善人だ正直だと思い込んでるひとよりいっそ、往生できるって理解している。つまり440は悪人なんです。ひどい目にあってきたからこそ、「こんなにも自分にやさしい人間になりました」ってmixiでしりあってメッセージやりとりしはじめた頃に言ってたよ。そうして、悪人は魅力的なんです。真面目で面白みのないやつとつきあってなにがたのしいっての。「僕はやさしいのに、どうしてモテないんだろう」って男がときどきいるけど、女が魅かれるのはそういうトコロじゃないのさ。

「先斗町で雨の日の石畳、きみが下駄の鼻緒をきらしちゃって、俺がそれを一生懸命なおす…そんな出会いが、したかったなあ」

なんて言うんだけどね。はじめてデートしたときに、マクドにバカでかいキャデラックで迎えにきてくれて、乗り込んだら「へえ、可愛いじゃん」て言ってくれた。

「待ち合わせしたけど、可愛くなかったら『どうしても見つけられませんでした』とか言って帰ろうと思ってたけど、可愛いやん」

そうして、グレた娘が少年院送りになったばっかで、封建的で真面目で世間体大事な親に育てられた身としてはあり得ない事態に落ち込んでいるところを、「そういうところに行ったほうが、いい女になるって。母親より、いい女になるかもよ」とすごみのある青みがかった目でウインクしてみせるもんだから、惚れてまうやないか。

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