第24話『しっぽが動いた日』

しっぽが、ふわりと揺れた。


耕造がそれに気づいたのは、ある晩のことだった。

静かな月の光が縁側を照らし、外は虫の音が絶え間なく響いていた。


テレビもつけず、何をするでもなく、ただ沈黙に包まれた時間。

そんな中で、ふと目を向けた先にあったもの――


藍のしっぽが、小さく、小さく、左右に揺れていた。


 


 


「おい、……今、しっぽ、動いたか?」


誰にともなく呟いた耕造の声に、藍は顔を上げた。

あのまっすぐな瞳で、耕造を見つめる。


だが、犬型AIである藍には、しっぽを“自発的に振る”機能はない――

はずだった。


それは感情の発露と連動しない。

刺激によって反射的に動くことはあるが、

人間に対して「喜び」を表すようには作られていない。


だからこそ――

その“ひと振り”は、あまりに静かで、あまりに重たかった。


 


 


耕造は、しっぽを振るような行動を教えてはいなかった。

澄子も、おそらくその機能について詳しくは話していなかった。


なのに、なぜ。


 


 


耕造はあることを思い出した。


澄子が亡くなる数ヶ月前――

朝、誰よりも早く起きては、藍に向かって静かに話しかけていたことがある。


その姿を、ふとした瞬間に見たのだ。


台所に立つ澄子の背中。

足元に寄り添う藍。

澄子は、まるで昔の娘にでも話すような口ぶりでこう言っていた。


「……しっぽ、振るのよ。悲しくても、優しくても。

 ほんのちょっとでいい。

 誰かが近づいてきたら、その心を見て、ふわりと、ね」


「そうしたら、きっとこの家は……また笑えるようになるから」


 


 


あの時の澄子は、誰に話していたのだろう。

自分自身か。

記憶の中の誰かか。

それとも――藍か。


いや、今となっては、それらすべてだったのかもしれない。


耕造は、その場でしゃがみ込み、藍の目の高さに合わせた。


「……おまえ、今、わしに“笑っていい”って言うたんか?」


藍は答えない。

けれど、しっぽが、もう一度だけふわりと揺れた。


 


 


その一瞬が、耕造の胸の奥を、

遠い昔に触れたやさしい手のように撫でた。


言葉よりも、命令よりも、何よりも確かだった。


それは、ただの動きではない。

**記憶の向こうから届いた、感情の“残響”**だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る