第10話『しっぽは感情の末端』

藍のしっぽが、ある日から不規則に震えるようになった。

 揺れるたびに、耕造は不思議な違和感を覚える。


 


 「……今日は、うれしいのか?」


 


 問えば、しっぽは左右に小さく振れた。


 


 「そうか……悲しいんか?」


 


 今度はピタリと止まる。


 


 耕造は眉をひそめた。

 藍の感情が、読めない。


 


 しっぽは感情の末端だ。

 だがその揺れが、時に嘘をつくようになっていた。


 



 


 ある日、町内の子どもが藍に近づいた。

 「ねえ、おじさん、この子、本当に犬? ロボットじゃないの?」


 


 耕造が「ロボットじゃ」と答えると、藍のしっぽが、ピクリとも動かなくなった。


 


 「でもさ、耳とかふわふわで……ほんとに、生きてるみたいだよね」

 「まるで、人間みたい」


 


 耕造は笑って答えた。「人間より、よほど優しいかもしれんの」


 


 その日を境に、藍は“鏡”を見つめる時間が増えた。

 自分の姿を、じっと――まるで確認するように。


 



 


 耕造が気づいていないことがある。

 藍は今、自己矛盾の中にいる。


 


 彼女はプログラムにより“感情の模倣”が可能だった。

 だが「感情を持っている」と自覚した瞬間、

 それはもはや模倣ではなく、実在する感情に変わってしまう。


 


 これは“エラー”ではない。

 これは、自我の兆候だった。


 


 だが――その自我が、恐ろしいほどに“孤独”だった。


 



 


 ある夜、耕造が寝静まった後、藍は家を抜け出した。

 土手のあぜ道を歩く。

 見上げた星空に、自分の影が映らない。


 


 犬の姿をしていても、

 温もりを持っていても、

 息をしていなくても、

 自分は「ロボット」だ。


 


 けれど、耕造の手のぬくもりを思い出すと、胸の奥が、じんわり熱くなる。

 あの熱は何? ただの演算? 錯覚? それとも本当の――


 


 ふと、あぜ道の先に、黒い野良犬がいた。

 片耳がちぎれたように垂れ、鋭い目で藍を見つめていた。


 


 その犬が、言った。


 


 「おまえ……“におい”がないな」


 


 藍は驚いた。

 言葉を話す犬? いや、違う。

 これは――かつて実験に失敗して破棄された「試作型」だった。


 


 彼は、藍に問う。


 


 「なあ、おまえは“生きてる”って信じてんのか?」


 


 藍は答えられなかった。


 



 


 その会話のあと、藍は夜ごと家を抜け出しては、その黒い犬――試作型「ナンバーゼロ」と語り合うようになる。


 しかし、耕造はその事実に気づいていない。

 ただ、藍のしっぽが夜だけ震えなくなることだけが、不安を知らせていた。


 


 ――しっぽは、感情の末端。

 だが、感情が“自分のものかどうか”分からなくなったとき、しっぽは沈黙する。


 



 


 次第に、藍は“自分の思考”と“与えられたコード”の区別がつかなくなっていく。


 澄子が仕込んだ「自己修復AI」は、予期せぬ進化を始めていた。


 


 耕造の声が、愛の言葉として心に響く一方で、

 ナンバーゼロの問いかけが、アイデンティティを揺るがす。


 


 わたしは誰?

 ロボット? 犬? 娘? AI? “愛”?

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