第19話 日常は旅とともに
無事に初めての王都への旅を終えて、マリエルは今、ミネス村にある自分の家の前にいる。
「どうもありがとうございました。ここまで送ってもらって、申し訳ないです」
「いいえ、お安い御用ですよ。それじゃあ、また」
セシウスやギネス、それに兵士達と馬車を、父であるグリンガムと一緒に見送った。
やっと家に戻ってこられて、ほっと胸を撫で下ろすマリエル。
王都での時間は新鮮で楽しくはあったけれど、やはりここの方が落ち着くのだ。
せわしなく人が動く大きな街よりも、静かに風がそよいで、どこまでも空が青くて、小鳥たちが謳うこの村が。
マリエルはずっと、ここで育ってきたのだ。
優しい自然と、両親からの大きな愛に包まれて。
「ただいま、お父さん」
「お帰り。疲れただろう。さ、お入り」
慣れない旅や交渉を終えて、体に疲労は溜まっている。
でも今のマリエルはそれ以上に、グリンガムと沢山話したかった。
王都であった出来事を。
「そうだお父さん、あの熱気球、セシウス様に買ってもらったよ。10万ギルダーで」
10万ギルダーは、金貨でいえば10枚になる。
片田舎でひっそりと暮らす二人にとっては、しばらく仕事をする必要が無いほどに、無茶苦茶大きな収入だ。
「そうか、それはよかったね。マリエルが稼いだお金だ、大切に使いなさい」
「そんなの、お父さんにも手伝ってもらったからできたんだよ。今日は美味しい物を食べようね」
着替えもそこそこに、マリエルは捲し立てるように、グリンガムに言葉を向けた。
グリンガムはいつものように柔和な笑顔と一緒に、黙って耳を傾ける。
「そうか、工房と人は、なんとかなりそうだね。よくやったね、マリエル」
「ありがとう。まだ始まってもいないから、どうなるか分からないけどさ。それとね、魔道具協会で、すごい人に会ったんだよ」
「へえ、どんな人だい?」
「グリゲーラ・ド・ベテルギウス様。王国の三賢者のお一人なんだってさ」
「……グリゲーラ……」
(……あれ? どうかしたのかな、お父さん? なんだか急に、落ち着かない様子だけれど……)
マリエルの気のせいだろうか?
グリンガムは視線を宙に泳がせて、何かを考えているように見える。
「どうかしたの、お父さん?」
「え? あ、いや、なんでもないよ。そうか、すごい人に会ったんだね」
「うん。その人の紹介があったお陰で、魔法学校の見学だってできたんだ」
息をするのも忘れたかのように嬉々としてしゃべり続けるマリエルに、また柔らかな笑顔を向けるグリンガム。
マリエルは一しきり話をし終わると、今度は家を飛び出して、フェリオ商会に向かった。
注文をもらっている製水機について、目途が立ちそうだと知らせるためだ。
「よおマリエルちゃん、久しぶり。今日も可愛いねえ」
マリエルの顔を見たブフトは、いつもの感じで応じる。
この商会を訪れる女の子は少ないので、ブフトにとってはマリエルが、可愛くて仕方がないのだ。
もちろんそれは、変な意味ではない。
ブフトには妻も子供もいて、子煩悩パパとして評判なのだ。
そんな彼に、王都であった出来事を、一つ一つ丁寧に説明した。
「……なので、人が集まって、工房が動かせるようになれば、ご注文に応じられると思います」
「そうか、それはよかったよ。しかし王都で工房を開くなんて、考えたね」
「まあ、アドバイスをくれたり、力を貸してくれる人もいてね。その人達のお陰だよ」
王都まで連れていってくれたセシウス、一緒に世話をやいてくれたギネス、魔道具を運んでくれた兵士の人達や、親身になって相談に乗ってくれた魔道具協会の人達。
みんなのお陰なのだと、感謝の想いを噛みしめている。
「それはそうと、別の仕事も頼めるかな? 君とグリンガムさんに」
「もちろん。なんでもお申し付けを!」
商会で新しい魔道具作りの仕事をもらってから、次は市場で買い物だ。
ずっと一人で留守番をしていてくれたグリンガムに、美味しい物を食べさせてあげたい。
それに、大好きなお酒だって。
重たい荷物を抱えて家に帰って、新しくもらった仕事のことを伝えると、グリンガムは早速動き出した。
「私もやるよ、お父さん」
「いや、今日はいいよ。疲れただろうから、ゆっくりしてなさい。私もたまには身体を動かさないと、鈍ってしまうからね」
「ありがとう。じゃあ頑張って、美味しい晩御飯を作るからね!」
「いつもすまないね、楽しみにしているよ」
こうして、いつもの日常が帰って来た。
一日の始まりには爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸って、グリンガムと一緒に工房で汗を流す。
一緒にご飯を食べて、ゆっくりとお風呂に浸かって、ベッドの上で静かな時間を過ごす。
こんな何気ない毎日が、マリエルは大好きなのだ。
ただ、今は、セシウスやギネスに会えない寂しさを、時々は感じるのだけれど。
そんな日々を送っていたある日、マリエル宛てに封書が届けられた。
かなり分厚くて、ずしりと重い。
それは王都にある、王立魔道具協会からのものだった。
はやる気持ちを押さえながら封を切ると、手紙と一緒に、幾人もの魔道具師の経歴書があった。
名前や年齢、いままでにやってきた仕事などが、細かく記載されている。
『マリエル様の工房で働きたいと応募をしてきた方々です。一度面接をするなどして、どなたにするか、決められてはと思います』
工房で働いてもらうために、魔道具協会を通じて募集をかけていたのだけれど、その反響のようだ。
雇いたいと思っていたのは三人だけれど、応募者はそれよりも遥かに多い数だ。
(どうしよう……人を選ぶなんてこと、やったこと無いよ……)
困ってしまったマリエルは、すぐにグリンガムに相談を持ちかけた。
グリンガムは一通り経歴書に目を通して、いつものように優しく笑った。
「優秀な人が、沢山応募してくれたみたいだね。誰にするかは、マリエルが好きに決めるといい」
「好きにっていったって、せっかく応募をしてくれたのに、断るなんて申し訳がないよ」
「気持ちは分かるよ。けど、三人だけが必要なら、それは選ばないといけないんだ。それだけに、慎重に考えないといけないんだよ。でも、あまり深刻に考えすぎてもいけないよ。実際に雇ってみないと分からないことだって、沢山あるんだ」
(難しいなあ……また王都へ行って、実際に会ってみるかなあ……)
少し思案してから、マリエルはグリンガムと向き直った。
「分かった。もう一度王都まで行ってくるよ。悪いけどお父さん、またお留守番をお願いできる?」
「こっちのことは気にしなくていいから、思う存分にやってくるといい」
グリンガムに背中を押されて、また王都グレナダへ向かう決意をした。
それから数日後、マリエルは王都へ向かう馬車に揺られていた。
今度は、従者の男性以外は誰もおらず、一人の旅路だ。
出発をする前に、王立魔道具協会宛てに、書簡をしたためておいた。
お礼を述べた後で、応募者に面接をしたいこと、そしてできれば、協会の職員の誰かに、面接に同席して欲しいといった内容だ。
ずうずうしいとは思ったけれど、自分一人で選ぶには、すこぶる自信が無かったから。
そこからまた5日ほどを経て辿り着いた王都で、早速協会の方へ足を運んだ。
そこで出迎えてくれたのは、グレン・ステアノス。
前回訪問した際に魔道具の審査をしてくれて、工房探しも手伝ってくれた、黒髪の若き男性だ。
「いらっしゃいませ、マリエルさん。話は聞いています。面接には、私が同席をさせていただきます。いつ面接をするかを決めて、応募者に連絡を入れましょう」
「はい、ありがとうございます。今回もお世話になってしまって、申し訳ありません」
恐縮して頭を下げるマリエルに、口角を上げて応じるグレン。
「いいえ、お気になさらずに。魔道具師の人達が働きやすくするのも、我々魔道具協会の仕事ですから。それに……」
「……それに?」
「シーマさんも言ってましたけど、何故だかマリエルさんは、応援をしたくなるのですよ」
「……あ、ありがとうございます……」
なんだかとても照れくさいけれど、心の中はポカポカと温かい。
前世で仕事をしていた時には、冷たい言葉を沢山浴びて、心は冷え切っていた。
でも今は、全く逆だ。
(幸せだな、今の私。でも今があるのって、きっとあの時の私、
その時に苦労して得た知識や経験が無ければ、今の自分も無かったと思っている。
昔の自分のことを、ほんの少し好きになったマリエルだった。
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