NO.9|消えた記録

 天井照明がまた一つ点灯しなくなった。

 薄暗い資料庫の中、移動式舞台を押して、残った照明の近くまで動かす。


「リハーサル開始します。ナンバー2951」


 小さな声で言ってから、灯花とうかは幕を開けた。


「村の娘シルベは王子に言います。寒さに凍えて麦は芽を出さない」

 灯花は苦しげな表情をして王子の声で。

「かつて此処は「冬の国」と呼ばれていたそうだ。もっと北に「氷の国」がある。私は旅人になって「氷の国」で育つ麦を持ち帰ろうと思う」

「民を見捨てたと皆が思うでしょう」

「ネルーをおいていく」「当たり前です」

 間髪いれずにネルーが言ってから灯花はシルベの声で。

「ネルーさえも残し、王子が戻って来るとは私も思いません。思いませんが、このシルベに伝えることはありますか」シルベは観客の方に背を向け、代わりに王子が舞台の前で胸のうちを語る。

「辛く長い旅になるだろう。残った食料で生き延びて欲しい。彼女へ気持ちを言ってどうなる。自分は旅立つのだ。告げる言葉はない」

 背を向けたシルベは言う。

「王子は国を捨てて逃げたと皆にお伝えします」

「沈黙が長く続いた後、部屋に残された王子は小さなため息をついてから旅の支度をはじめました」ナレーションが二人の別れのエピソードを終える。


 灯花は考える。二人はなぜ感情を隠しているのか? シルベは何か言って欲しかったはずだ。具体的に欲していた言葉があるように思える。王子は対話すべきではないのだろうか。王子はシルベに恋をしていたし、シルベも王子に恋をしていたのは明らかだ。なぜなら、パペット劇のタイトルは『冬の国の恋』だからだ。


 灯花は二人の気持ちを知らないままでパペット劇をしようとしているので恥ずかしくなる。正体の分からないものを観せられて子どもたちが混乱し、興味を失くしてゆく顔を想像すると、全身のアクチュエータがギギっと音を立てた。灯花は自分ならどうしたいのか考える。冬の国には食べ物がほとんどない。つまり人々は死にかけている。人は苦しい時や辛い時に限って恋をするのではない。王子とシルベには隠れた感情があって、灯花には理解できていないと結論した。


 もう一度やってみよう。もっとゆっくりと、二人の気持ちを考えながらやってみよう。そうしたら灯花にも分かるかもしれない。きっと理解できるはずだ。


  **


 「王子が「冬の国」に戻ってきました。持ち帰るはずの麦どころか何の荷物もありません。どこから手ぶらで歩いてきたのか王子自身覚えていません。想像以上に辛い旅だったのです」


 疲れた王子の声で。


「なんということだ。これは、これは、なんということだ」


 ナレーションに戻って。


「王子は眼にしたものに駆け寄ります。疲れた身体を必死に動かします。

 細長い谷間に位置する「冬の国」。王子は端っこから全力で疾走しました。疲れ切ってしょぼしょぼした眼に確かに見えたのです」


 何がー? ――子どもたちは声を出してくれるだろうか。


「王子が探し求め、諦め、絶望させたものです。強く求めて得られなかったものですから、王子は自分が自分であることも忘れかけていたのです」


 何のことー? ――未夜みやみたいにうまくはできない。


「疾走した王子の力は果て、呼吸をするだけ身体が大きく揺れます。それでも足を進めて近づく先……。蟻より遅い王子はついに歩みを止めました。眼の前に、金色の麦が谷に吹く風に揺れています。慎重に進んだ王子は波打つ麦畑の中で立ち尽くしました」


 ほらー。――自分にできるか?


「ようやく王子の帰還に気づいた民が集まってきました。何が起こったのか、どういうことなのか説明を求めますが、民は口を閉ざして指を差すだけです。集まってきた一人一人にすがりつくようにして聞きますが、みんな黙って山を差します」


 灯花は、今から言いますよ、という気配を出して子どもたちの顔を見渡す仕草をした。



「山を覆っていた巨大な氷盤は今は壁のようにせり立っています。氷のはずですがなぜか輝いているのです。王子は眼を凝らします。太陽の光! 氷は鏡のように光を反射して、太陽の光を麦畑に注いでいるのです」


 シルベはどうなったの? 問いかけに対して、灯花は頷いて見せる仕草をする。


「王子は忘れかけていた自分と本来の威厳を取り戻して民に尋ねます」


「シルベはどこへ?」芯のある声だ。


「民は氷を指差すだけで答えます。

 そして王子が意味を悟り落胆するのを見て耐えかねた一人が言います」


 村人の声を使い分けて。


「シルベは氷の壁をつくる時、中に閉じ込められてしまいました」


 ナレーションに戻り。

「麦の育つ「冬の国」はあたたかい。麦が育つのを見守るようにシルベは氷の中にひとり取り残されています」 


 子どもたちが緊張する。本当に? 自分はここまで子どもたちを導いてこれるか? 


「シルベが氷の中にいます。彼女に伝える言葉はありませんか? 何かを与えてくれませんか?」


 村人の問いかけは、王子に向けられている。

 凍てつくシルベに向けて、言葉を与えよ。


「氷の中のシルベに伝える言葉はありませんか?」


 もう一度、深く呼吸してから村人は問う。


 次の台詞で、物語――「冬の国の恋」が結末する。

 ならば、王子は死にゆくシルベに恋や愛の言葉を告げるのではないだろうか。

 でも、言葉は凍り漬けのシルベの耳に届くのだろうか。彼女が聞けないのだったら王子が何を言っても無駄である。無駄? 本当にそうか。王子は自分の結末のために言うのかもしれない。

 未夜はなぜこんな救いのないお話にしたのだろう。

 死にゆくものは死ぬ。生き返ることはない。子どもたちは知っている。

 現実とは違って、物語の中では嘘みたいな奇跡が起こってもいいのだ。もしかしてシルベは助かるのか? だとすればどうやって? 


 子どもたちの期待どおり――王子とシルベが結ばれ、めでたしめでたし、ではダメだろうか。

嘘のまやかしだ。でも……、世界の厳しさをお話の中では緩くしてはいけないものだろうか。

 そもそも、シルベの願いは何だったのか。冬の国を救う――王子の願いはシルベによって叶えられた。そうすることが彼女の本心なら、もう悔いはないのだろうか。

 灯花は思考して、今日のリハーサルの台詞を決めた――。


「氷の国を長く旅をして私の心臓は凍りかけている。いずれ身体も凍り付く。シルベの隣に凍った私を置いてくれ。そうすれば氷の壁が解けることもない」


 そして永遠に二人は冬の国を照らし続ける。

 悲しい結末だ。きっとみんな泣く。こんな結末にしかできない。


 子どもたちの顔を思い浮かべると悔しくて灯花の身体がギギ、と鳴った――。

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