第12話 「締切」~魔と線とアップロード~

 翌日 正午。


 冬の光はスタジオの窓をかすかに照らし、外気は冷え切っているのに、室内は熱を帯びていた。

 ペンタブレットの操作音、プリンターの排出音、ペン先のこすれる微かな音。

 それらが混じりあった騒がしさの中で、誰もが黙々と机に向かっていた。


 マナセがタブレットの画面に顔を近づけ、うめくように呟いた。


 「……重い。トーン貼っただけで、処理落ちって……」


 Wi-Fiルーターのランプが青から黄色に変わって点滅している。

 ネット接続が不安定なせいか、クラウド上の共有ディレクトリの更新も妙に遅い。


 「あと7時間半……ギリギリですね」


 そうつぶやいたのは、プリンターの前で汗を拭いていたサチハだった。


 紙の束を整えながら、彼女はちらりと壁のタイマーに目をやる。


 ──推奨アップロード時間:残り7h 29m 。

 キズナはモニターに表示された見開きページを見つめたまま、ペンを持った手を止めていた。

 視線の先にはまだ未完成のコマ。台詞が粗く、線もあやふやなままになっている。



 しばらくすると、玄関のドアが突然──

 

 バンッ!


 勢いよく開き、エリック・フクハラが大荷物を抱えて駆け込んできた。


 「ハイッ! お疲れさまですーッ! みなさん、気合い入ってますかー!? 締切りまであと少し! 魂燃やしていきましょう!」


 一斉に作業の手が止まり、空気が凍りつく。

 ペンを止めたケンがぼそっと言った。


 「……なんかヤバいの来たな」


 「フクハラさん……今日は何か、あったんですか?」


 キズナが深呼吸しながら聞くと、フクハラは満面の笑みで言った。


 「そりゃもう、ありますよ! 今回は“実質”連載スタート号! アンケートも勝負時! 今回落としたら未来はないってくらい、攻めどきなんです!」


 サチハが小声でつぶやいた。


「テンション高すぎて怖いです……」


 アツはラフ線の上に細いペンを走らせていたが、少し手を止めて、ぼそりと呟いた。


 「……自分の線が、原稿になるの、まだ変な感じですけど……やります」


 キズナは彼に軽く頷き返すと、静かに言った。


 「大丈夫。今、このページを描いてるのはアツくんだけじゃない。全員で描いてる」


 サキが無言でタイマーをセットしながら言う。


 「アップロード目標は19:30。最終チェックを18:45に設定済みです」


 「そうそう、夜になると編集部のサーバー混むからね〜」


 フクハラが調子よく補足する。


「早め早めに動きましょう!」


「……え、今って何時ですか?」


 アツがそっと問いかけると、サチハがスマホを見ながら答えた。


 「12:45。ってことは……あと、6時間45分?」


 タイマーの秒針が、無慈悲にカチカチと刻む。


 「締切」という名の“敵”が、静かに足音を忍ばせていた。



15:50。


 日が傾いた頃、空気が変わった。

 雲が厚くなり、わずかに風の匂いが湿ってきている。


 そのとき、キズナのスマホが短く警告音を発した。

 ほぼ同時に、壁の大型モニターに赤いアラートが点滅する。


 《Priority Alert/警戒レベル:SR級》

 《発生地点:大田区西部/ターゲット半径300m±20m》

 《予測時間:+00:58:00±04:00》


 「反応、大きくはないけど……これは無視できないね」


 マナセが画面を見ながらつぶやく。


 ランもペンタブを握ったまま、視線だけを動かした。


 「……タイミング、悪すぎ」


 アツは戸惑いながら、キズナの方を見た。


 「今、行けば……間に合うんですか?」


 「予測時間は一時間前後。ただし、展開は不明」


 冷静にそう返すのはサキ。いつもと変わらぬ声だったが、画面を操作する手にだけ微かな緊張が走っていた。


 キズナはフクハラに悟られぬようにモニターはすかさず消したが、手元の原稿とスマホを交互に見つめていた。


 見開きページ。コマ割りは仮、セリフも未確定、ペン入れはまだ。


 「でも……今抜けたら、このページが、間に合わない」


 その沈黙を破るように、フクハラが明るい声をあげる。


 「何か今テレビつけてました?集中!集中!手止まってませんか? あと3時間44分ってところですよ〜?」


 サチハが目をそらし、ランが立ち上がった。


 「あー、ちょっと近所の取材で外出してきまーす」


 「取材? そんなの校了後でしょ──」


 フクハラが口を挟もうとした瞬間、ケンがさりげなく声をあげる。


 「みんな煮詰まってるからさ、フクハラさん差し入れ買って来てよ。 飲み物とか、糖分とか塩分とか」


「……まあ良いでしょ。その代わり皆さんは全集中で作業してくださいよっ!」



 フクハラが外出した事を確認すると、皆の視線がキズナに集まる。


 キズナは短く息を吸い込んで、静かに言った。


 「……どっちもやる。交代で行く。戦って、戻って、描く」


 緊張が、一瞬だけ、スタジオを満たした。


 「では出動班は……アツ、マナセ、ランの三人」


 サキが冷静に指示を出す。だが次の瞬間、マナセが慌てたように言った。


 「え、えっ!? ちょっと待って! ボクが運転だよね?田舎でしかクルマ乗らないし……ケンさんが行くんじゃ──」


 「いや無理だな」


 ケンが即答した。


「オレが抜けたらフクハラさんが暴走する。てか今も不審がってる」


 「でも、ボク、都内ほぼ初心者だし……ナビ頼りで事故ったら……」


 「大丈夫、現場は川一本越えた先。すぐそこ。つべこべ言わずに、行けっ!」


 ケンは半ば本気、半ば励ますようにマナセの背中を叩いた。


 キズナもマナセの目を見て頼んだ。


 「マナセン、ごめん。信じてる。運転、お願い」


 「……了解。えーっと、安全運転で行ってきます……」


 「私も行くよー。近距離だし、弓だけあればなんとかなる」


 ランがパーカーを羽織りながら笑う。


 アツは眼鏡ケースを手に取り、黙ってうなずいた。


 「……オレも、行きます」


 チームは静かに動き出した。



16:15。


 フクハラが差し入れを買って戻ると、サキが淡々と、ただ有無を言わさずに告げる。


 「フクハラさん、大至急ページ進行チェック、お願いできますか。レイアウト確認が一部止まってまして」


 「あ、ああ……うん。じゃあちょっと確認しようか……」


 その隙に、戦闘班はすでに玄関を出ていた。


 彼らの目の前にあるのは、「描く」か「戦う」かではなく、その両方を同時にやりきるという無謀な選択だった。



16:50。


 県道から丸子橋を渡って都内に入る。


 「いや〜……都内はやっぱり車多いな。ていうか……さっきから気圧が変だ。たぶん、もう来る」


 環八から逸れた住宅街の路地裏。細い通りに低く差し込む冬の曇り空が、灰色のアスファルトに溶けていた。


 車が急停車し、マナセがハンドルを握ったまま息を吐く。


 「……僕も、感じます。空気が……揺れてる」


 助手席のアツが眼鏡を取り出し、そっとかける。


 その瞬間、こめかみに微かな振動。眼鏡の縁がきしむような警告音を立て、視界の中に情報ウィンドウが投影される。


 - 《危険度=SR》

 - 《ターゲットレンジ=300m±20m》

 - 《方角=南西》

 - 《予測時間=+00:05:00±02:50》


 「範囲狭い……すぐそこだ」


 ランが後部座席で指を走らせ、弓の軌跡をなぞるようにエネルギーを描いた。


 「変な感触……矢が、すり抜ける気がする。けど、撃たなきゃ始まらないしね」


 マナセがパーキングブレーキを踏み、振り返って言った。


 「アツ、聞いて。今回はキズナがいないから、チームリンクは使えない。視界共有も、戦術マップも、全部オフライン」


 「え……全部?」


 「つまり──“全部、口で伝えるしかない”ってこと」


 アツは言葉を失いかけたが、すぐに飲み込んだ。

 マナセの表情は真剣だった。


 「見えたこと、感じたことは、すぐ声に出す。こっちも伝える。間違えてもいい、止まるな。言葉が武器だよ」


 「……うん、わかった。できるだけ──」


 「できるじゃない。“やる”んだよ」


 マナセが軽く肩を叩いて、笑った。


 その不器用な笑顔に、アツも小さく頷いた。



16:55。


 現場に到着するやいなや、アスファルトの隙間からじわじわと黒いもやが立ち上ってきた。

 空気が澱み、耳の奥で鼓膜がきしむような違和感。重力が歪んでいる。


 「……来た」


 魔は、まだ明確な姿を持っていない。

 輪郭が曖昧で、光と影がぐにゃりと曲がっている。まるで線が結べないノイズの塊だった。


 「もう……素粒子偏差が不規則だ。空間が歪むと矢が曲がる、当たるかな?」


 ランがエネルギーの弓を構えながら言う。


 「頼むよ、一本目……」


 「……でも、見える。ぼんやりだけど、さっきよりは……」


 アツはそう言いながら、右手で刀を描く。


「excellent!」


 線が、指の動きに応じて転送され、やがて形を持ち始める。


 もう彼にとって身体の一部ともなった日本刀。


 「仕上げの線と同じ……はみ出さないように、集中して……一本の線を引くんだ……!」


 アツは、無意識のうちに刀を握っていた。


 はみ出さずに、正しい線を引く──それが、彼の“戦い”だった。


 剣先がきらめくと同時に、魔の一部がこちらへ滑るように接近する。


 「いくよッ!」


 マナセが先陣を切って斧を振り上げた。


 ランが矢を放ち、アツも刀を構えて駆け出す。


 魔は散らばるように歪み、風に溶けるように逃げようとする。


 だが、アツの刀がそれを追い、空間に“一本の白い線”を刻んだ。



 その頃、スタジオではキズナがラフの上にペンを走らせていた。

 見開きページの左下──キャラクターの表情。線が細く震えるが、描き直しはしない。


 「……あと3ページ」


 サチハがプリンターの前で叫ぶ。


 「トーン、あと1枚! 圧縮バグったっぽいです!画像が壊れてて……もう一回取り直します!」


 サキはフクハラにお茶を差し出しながら、タブレットの端末で音声接続の安定性を確認する。


 「フクハラさん、こちらでお待ちください」


 「てかアツくんとか、見かけなくない……」


 「今、集中してるので」



17:20。


 現場でアツは「リンクが無い状態だと……サキさんにログ、送れますか?」と既に事後の報告にまで気が回るようになっていた。


 「帰ったらまとめて送る。今は音でいく!」とマナセ。


 ランが戦闘中に音声で連絡を飛ばす。


 「あと2ページだけ埋めといて! 背景、ざっくりでもいいから!」


 キズナがペンを握ったまま苦笑する。


 「……適当な線なんか、引けるわけないでしょ」



 戦場で、そして作業机の上で、

 彼らは同じように“線”を引いていた。

 目の前の魔を斬る線。

 ページの上に刻む線。

 どちらも、誰かの“日常”を守るために引かれる、たった一本の描線だった。



17:50。


「状況終了。もう魔の残滓もない」


 すっかり暗くなった路地裏で、マナセがそう声をかけ、眼鏡を外す。


「アツくん。最初の一閃でほとんど勝負決めてたよね」


 ランがポンと肩を叩いてアツを労う。


「……何か、はっきり刻む線が見えて来た気がします」


「フフ……仕上げの線もきっちり刻めるようにね」


「……が、頑張ります」


「ちょっとこの時間帯だと……スタジオまで戻れないかも。みんなを信じてるけど早く戻ろう」


 マナセが時計を気にすると、ランとアツも慌ててミニバンへと駆け出した。



 19:20。


 帰路は渋滞に巻き込まれ、往路の倍の時間は掛かったが、締め切りの直前に、戦闘班の三人──マナセ、ラン、アツが無言で戻ってきた。


 フクハラが怒声を浴びせようと駆け寄るが、ただならぬ雰囲気に声が詰まる。


 その姿に、血や泥、異常な点は何ひとつない。

 ただ、顔だけがほんの少し、疲れていた。

 が、それは現実の「輪郭」に触れてきた者にしか出せない沈黙だった。


 その時サキがノートPCに目を落とし、即座に報告する。


『check……!「眼鏡の女の子 第1話」入稿完了』


 「入稿完了。サーバー転送成功。現在、レイアウト班がチェック中です」


 キズナはようやくタブレットの電源を切り、背もたれに身を預けた。


 その指には、まだインクの汚れが残っている。


 誰もが無言で席に着く。作業が終わったというだけなのに、呼吸が少しずつ深くなる。



「……無事に入稿終わったので、これ以上の詮索はしないよ」


フクハラがつぶやく。


 「……このスケジュールで、よく落とさずに済んだよね」


 彼の目は、入稿完了通知のポップアップと、沈黙する面々を交互に見ている。


 「いやいや、ほんと。夜になるとサーバーが重いんだよ。混み合うと失敗率も上がるし……これ、すんなり通ったの、ちょっとした奇跡ですよ?」


 サチハが、わざとらしい咳払いをひとつ。

 ランが、プリンターの前で作業用紙を整えながら、つぶやくように言った。


 「……奇跡じゃなくて、日頃の行いってことで」


 フクハラがニコッと笑う。


 「なるほど、それだ!」


 アツが静かに椅子に座り直し、顔を伏せたまま、ぽつりとつぶやいた。


 「……全員で、戦ったんです」


 その言葉に、フクハラは「ん?」と首をかしげたが、すぐに冗談だと受け取ったようだ。


 「そっかそっか、締切ってのは“戦い”ですもんね! いやー、いいチームだほんと!」


 スタジオ内の誰かが、小さく吹き出した。



 ラジオからは、深夜番組の軽いトークが流れている。


 仕事が終わったのに、どこか戦場のあとを思わせる静けさが残る。


 キズナが手近のペン軸を指でくるくると回しながら、ポツリと言った。


 「……それでも、描くよ。明日も」


 その声が、照明の下でわずかに滲んだ空気を切り裂いた。



 “締切”それは漫画家、いや全ての創作者クリエイターにとって悪夢であり過酷な現実。


 だが今日のところは──その言葉を乗り超えた。


 彼らは、戦って、描いて、生きていた。

 ただ、一本の線で。


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