第46話 代償

 現実が突きつけられるのはいつだって手遅れになった後だ。


  もう、遅い。


 このままでも何とかなると思ってた。


 いつかこの出口の無い迷宮から出られると、楽観視していた。


  でも、ちがった。


   もう、遅い……


 僕を取り巻く環境は、雷の轟音で一変した。


 ドォン!と轟く雷鳴は崩壊の合図か。


 雷が木を急襲し、

  空からは紅い雨が降り始める。


 焦げ付いてなお暴れる大木。

 そのうねりは叫びのようで、怒りにも悲鳴にも似た轟音を纏っていた。


 空からくる紅は大木に恵みを、日本人形には害をもたらした。


 紅い雨はぼたぼたと降り落ち、人形達を撃ち抜いた。

 人形達は破壊、あるいは溶かされていった。


 人形が、いなくなる。

  僕を護る形代は、もう無い。


 対岸の火事が、こちらに迫ってくる。


 獲物を失くした大木が、僕を見つけた。


  次は、お前だ。


 無いはずの眼が、僕を捉える。


 僕らの間にあったのは水じゃない、油だ。


 その火はより一層燃え上がり、際限なく広がっていく。

 火の手が迫る。あの紅く燃えるような、雨に打たれて染まった枝が。


 僕を護るのは教室のガラス窓のみ。


 もう人形は、身代わりはいないのだ。


 紅い雨が木に力を与える。


 血走った眼がこちらを見据える。


 荒れ狂う大木が両手を広げて僕を睨む。


 僕は、どうする事もできない。


 結局、何もできなかった。


 僕はただ、日記を見ていた。


 見ていただけ、だったんだ。


 日記とただ、遊んでいただけ、だったんだ。


 僕の現実逃避が結果的に僕の首を絞めた。


 キリキリと、本当に締まっていくような感覚に僕は首をおさえる。


 何も無い首をいくらおさえたところでキリキリと締まるナニカを止める事はできない。


 息が、できない……苦しい。


 本当に、徐々に締め付けられていくようで恐ろしく、もがけばもがくほどに締まるそれに抗う術も見出せない。


 窓の外、ゆっくりと伸びる指先……


 ゆっくり、ゆっくり。


 木が、その鋭くとがる魔女の指先にも似た枝を伸ばす。

 そのたびに僕の首が締まっていくようだった。


 僕のもがき苦しむ様を愉しむように。


 枝がのびる。


 じわりじわりと追い詰めて、

  徐々に徐々に逃げ場を奪っていく。


 僕の意識が遠のいていく。


 結局、あの人とやらの正体も分からぬままに翻弄され、理科準備室の時のように僕は弄ばれて終わるのか。


 あの時助けてくれた骨格標本も、美術準備室にいた石膏像ももういない。

 日記は動くものではないし、僕を助ける者はいない。


 目が霞む。


 視界が狭まる。


 僕の目に最後に映るのは、赤く染まる着物を着た、人、形……


 振り上げられる斧。


 風をきる音が、やけに鮮明に聞こえた。

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