髪 コーヒー 持病

 Nolaにて帆足じれ様からお題をいただきました!ありがとうございます!

 今回は5つお題をいただけました。それならば、と思いまして、今回は3題噺にしてみます!

 お題は3つ!「髪」「コーヒー」「持病」です!それではお楽しみください!どうぞ!


 ………………………………………………………………


「先生、一息つきませんか?」

 

 そう言って、彼女はコーヒーを差し出してきた。

 難しい顔をして原稿と睨めっこをしていた彼は顔を上げると、晴れやかな笑顔を浮かべた。

 

「やあ、ひじりさん、いつもすみません。ちょっと休憩させてもらいますね。」

 

 聖さんが差し出したコーヒーから漂う香りに誘われて、真壁まかべは仕事の手を止めた。


 ひじりさんの入れるコーヒーはいつも美味しい。

 彼女が家政婦さんとして来てくれれようになってもう半年経つが、このコーヒーの味は格別だ。あまりにも美味しすぎて、もうインスタントや市販のドリップには戻れそうにない。

 昔から、執筆中は常に傍にカフェインを置いておくのが常だったが、今は聖さんのコーヒーの特等席だ。

 

 聖さんもよくわかっていて、一杯目はカップについでくれるが、2杯目以降が飲めるように、常にポットに多めに作って、焼き菓子を添えてくれる。

 筆が走り始めると寝食を忘れがちな真壁にとって、貴重な糖分補給だった。


 真壁はカップを持ち上げると、かぐわしい黒琥珀色のそれを口元に持っていき、少しだけ香りを楽しむ。鼻腔をくすぐるその豊かな香りで嗅覚を満たすと、慎重に口をつける。

 ほろ苦さと豆の甘みが、香ばしい香りと共に体を通り抜けて、ほっとした幸せの瞬間が訪れる。真壁は満足げに目を細める。

 その様子を、聖さんは傍に立ってニコニコと笑って眺めていた。

 

「いかがですが先生?ちょっとだけ、いつもの豆と違うのですが……。」


「とっても美味しいですよ。聖さんはコーヒーを入れるのお上手ですね。まるで喫茶店に来てるみたいだ。」


「そう言っていただけると励みになります。」


 聖さんはニッコリ笑うと、口元に可愛らしい笑窪が浮かんだ。


 真壁まかべは人気小説家だ。

 賃貸マンションに一人で暮らし、主に自宅で執筆をしているが、筆がのり始めると、生活そっちのけで仕事に没頭してしまうため、丸一日まともな食事を取らない日もしばしばあった。

 掃除や洗濯にも気が回らなくなるため、見かねた真壁の担当が、家政婦さんを斡旋してくれた。

 

 それがひじりさんだ。

 

 聖さんは個人契約で家政婦をしている方なのだが、以前担当が聖さんに家事代行を依頼して、とても良かったとかで、真壁にも紹介してくれた。

 

 実際、彼女が来てくれるようになってから、部屋の中で衣服につまづいて転びそうになる事も、資料をどこに置きわすれたか思い出せなくてイライラする事も、ほとんど無くなった。

 

 そして何よりもこのコーヒーブレイクが習慣になった事が、真壁の創作に大きな影響を与えた。

 頭を休める時間ができたおかげか、執筆の進みが格段に上がった。アイディアも浮かびやすくなり、随分と仕事のストレスが減ったように思う。

 そして何より……聖さんみたいな美人が毎日来てくれると言う事が、真壁の密かな楽しみになっていた。


 ある日の事、一本作品が仕上がり、担当にメールし終えると、真壁は背伸びをして一息ついた。

 仕事が捗るせいか、珍しく今日は、急ぎの要件はない。

 少し息抜きをしようかと思って立ち上がると、書斎を出てリビングに行く。

 リビングと繋がったキッチンでは聖さんが夕食の仕込みをしているようだった。真壁が入っていくと、顔を上げて笑顔を浮かべる。

 

「先生、お疲れ様です。何かご用ですか?」


「いえ、仕事がひと段落したので、少し息抜きに散歩でも行こうかと思いまして。その前に、コーヒーを一杯いただいてもいいですか?」


「構いませんよ、おかけになって待っててください。」


 笑顔でそういうと、ひじりさんはテキパキとお湯を沸かし出した。

 見事な仕事ぶりだなあと感心しながら、ソファに腰掛けると、ふと、妄想をする。

 

 ――ああ、このまま、聖さんがずっとうちにいてくれたらな……。

 

 などと言う考えが頭をよぎるが、途端に真顔になって、頭を振る。

 イヤイヤ、キモすぎだろ。相手はお仕事で来てくれてるんだ。それに妙齢の女性で家事も上手い。きっともう旦那さんがいるに違いない……。

 そんな妄想をして、真壁が勝手に落ち込んでると、芳しい香りと共に聖さんがカップを二つ運んできた。


「私もご一緒させていただいてよろしいですか?」


 と言いながら、聖さんはトレーからカップをおろし、真壁の前に差し出した。あらぬ妄想をしていた事にドギマギしながら真壁は「えっあっ、構いませんよ?」と上擦った声を出していた。

 

「ありがとうございます。」


 そういうと、聖さんはエプロンを取って丁寧に畳むと、自分もテーブル横のスツールに座って、カップを持ち上げた。

 二人してコーヒーの香りを楽しむ。

 コーヒーを持ったまま、挙動不審気味に聖さんを盗み見ると、彼女は上品にカップを口につけてコーヒーを味わっていた。

 所作が綺麗だなぁ、などと考えながら、コーヒーを口に含む。

 そして、ん?と一瞬考えた。いつもと、少しだけ風味が違った気がした。

 もちろん十分美味しいコーヒーなのだが、どこか違ったものに感じて、それが思わず顔に出た。


「ごめんなさい……お気に召しませんでしたか?」


 聖さんが、少し不安そうな顔で聞いてきたので、慌てて答える。


「いえいえいえ!十分美味しいです!

 いつも書斎で飲んでいるのと少し風味が違ったので、なんでだろう?と思っただけで!」


「すみません、いつも使っていたコーヒー豆が在庫切れだそうで、豆を変えたんです。お店の方と相談して近しい物を紹介していただいたんですが、やっぱりいつもと勝手が違うので、今、試行錯誤中なんです。」


「ああ、なるほど。それにしても、そこまでこだわってらっしゃったんですね。どうりでいつも美味しいコーヒーをいただけるわけだ。感謝してますよ。」


 真壁はコーヒーを口に含みながら、笑顔を聖さんに向けた。


「お褒めいただきありがとうございます。

 そうですね、昔から一つのことにこだわりだすと、中々止まらなくて。夢中になりすぎてしまうんです。一種の持病みたいな物です。」


「わかります。小説家も同じような物ですよ。拘りだすと止まらない。まあ、そのせいで聖さんにはいつもご迷惑をおかけしてしまうのですが。」


「あら、迷惑だなんて。家事が好きでこの仕事をしてますし、先生のお手伝いができるのは嬉しいですよ。」


「そう言っていただけると気が楽になります。ただ、休日も付き合っていただいて、聖さんのご家族には申し訳ないなぁと思っているのですが。」

 

「大丈夫ですよ。私、独り身なので、時間も余裕があるんです。」


 ほほぅ?と真壁は心が躍る。

 なんと、それなら自分にもワンチャンあるのか、と浮かれながら、コーヒーを飲み終えるまでの間、しばし聖さんとの会話を楽しんだ。


 その後、予定通り近くの公園でウキウキと散歩を楽しむ。

 そっかぁ、ワンチャンあるかぁ、と浮かれていたが、

ふと我に帰り、わしゃ高校生か、と恥ずかしくなった。

 お互い、もういい大人なのだ。ましてや、聖さんは年上……。変に色目を使って、気分を害してしまったら、もう来てもらえなくなってしまうかもしれない。

 とはいえ、男女が一つ屋根の下で過ごしているのだ。慎重にアプローチすれば……などと考えていると、いつのまにか自分の賃貸マンションの前に着いていた。

 

 いつもは聖さんが上がってくる時に、郵便受けの物を持ってきてくれるのだが、たまには自分で確認するかと中を見る。

 いくつかのダイレクトメールやチラシの他に、白地に赤い模様が入った封筒がみえた。

 差出人の名前や住所は書いていない。いや、それどころか住所も宛名も書いていない。

 

 あっ…………。


 真壁は、先ほどまでの楽しい気分が急に萎んでいくのを感じた。

 触りたくなかったが、万が一、通報する事態になった時のために、証拠を残しておかねばならない。

 他のチラシで挟みながら何とか持ち上げると、鬱々とした気持ちでエントランスに入り、エレベーターに乗った。


 真壁は学生時代から異性にモテた。小・中学校の時から同級生どころかお母さん方からも熱い視線で見られていた。

 高校生で小説家デビューし、その噂が広がったことで、その傾向は更に加速した。

 真壁自身はモテたかったわけではない。オシャレや自分磨きは好きだが、それは、理想の主人公を創造するために、自分を実験台にしていただけにすぎない。

 いい意味で文学バカの真壁だったが、反面、何気ない台詞や素振りが女性を舞い上がらせてしまうことがしばしばあった。

 

 大学に通いながら活動していた頃、とある賞を受賞した時に、調子に乗って、うっかりメディアに露出してしまった。

 別の学部の女の子が、自分の推しが同じ大学にいると気がついて、熱烈なアピールをして来た。

 真壁もその頃はまだ世慣れしてなかったし、ファンを無碍にする事もできず、曖昧な態度を取ってしまった。

 

 その子は真壁に入れ込むようになり、行動はエスカレートしていった。流石に耐えきれなくなった真壁が否定的な態度を取り始めると、今度は様々なストーカー行為を繰り返す様になっていった。

 結果、警察が介入する様な事態にまで発展して、真壁は精神的に参ってしまった。半年ほど大学は休学し、執筆もしばらく出来ないほどだった。


 そんな経験を経て、彼はセキュリティのしっかりしたマンションに住む様になり、できるだけ外出時には顔を隠す習慣を身につけた。メディアへの露出も極力減らし、現在の隠棲生活に至る。

 担当が聖さんを紹介して来たのには、そういう理由もあっての事だった。

 

 だが、今の時代、個人情報を完全に遮断するのは難しい。ごく稀ではあるが、今回の手紙の様に、住所まで特定されて、怪文書やエキセントリックなプレゼントが郵便受けに投げ込まれる事があった。とはいえ、ここしばらくはそんなことはなかったのだが……。

 

 エレベーターは彼の家の階に着くとチーンと音を立てた。深いため息をつきながら真壁は廊下をとぼとぼと歩くと、玄関を開けて「帰りましたぁ。」と声をかける。


「お帰りなさい、せんせ……。どうかしたんですか?」


 出ていった時とは真逆の青い顔をして真壁が戻って来たので、聖さんは驚いた顔をした。


「いえですね……。」


 と、封筒を見せながら、これまでの経緯をかいつまんで話した。聖さんは話を聞きき終わると、まあ……と気の毒そうな声を上げた。


「……で、これがその封筒なんですが……。」


 と真壁は気味悪そうに封筒を差し出す。

 少し厚みのある封筒は、どうやら手紙以外の何かが入っている様だった。ただ、外から見ただけでは何が入っているかわからない。


「重要なお知らせかもしれないし、開けないといけないのですが……経験上、何だか嫌な物が入ってる気がするんですよ……。」


 真壁は深くため息をついた。より念入りに開封するなら警察を呼んだほうがいいのだろうが、開けてみてただのチラシだったらと思うと、気軽に呼べなかった。


 聖さんはそれを聞いて少し首を傾げると、

「私が開けてみます。少々お待ちを。」

 と言って、台所から空き箱と、ビニール手袋を持って来た。


「いや聖さん、悪いですよ。もしかしたら不快なものかもしれないし……。」

 聖さんの思い切りの良さに驚きながら、真壁はオロオロと引き留めようとした。


「もし刃物が入っていてお怪我でもしたら、先生のお仕事に関わります。私の代わりはいますが、先生の代わりはいませんから。

 少し離れてみていてください。」

というと、聖さんは封筒を箱の中に入れると、真壁に頷いた。


 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも頷き返す。そして、聖さんの男前な姿に憧れを強めつつ、真壁は少し下がったところから、聖さんが封筒を開けるところを見ていた。


 慎重に鋏を入れて、封を開ける聖さん。

 ゆっくりと視線を封筒の中に向けると、眉を顰めて、

「……とりあえず、危険なものではなさそうですが……たぶん、髪の毛ですね。」

 と言った。


 うわぁ……と青い顔をする真壁を見ながら、

「……重要書類ではなさそうですし、警察に連絡しましょう。」

 と、聖さんは言った。

 

 それ以上は封筒を弄らずに箱の中に収めると、二人で近くの交番に届け出た。

 警察官は真壁の話を真摯に聞き、調書をとって証拠を受け取った。また何かあったら連絡くださいと言ってくれたが、その帰り道、昔を思い出して真壁はため息をつく。


「残念ですけど……日本の警察はあの程度だと動いてくれないでしょうね。」


「聞いた事があります。ストーカー被害は、実害がないと捜査に踏み込めない……とニュースで言っていたような……。」


「そうです。法律上、仕方ないとはいえ、正直しんどいです……。前の時は、不法侵入までされてから、初めて動いてくれた感じだったんですよ……。

 これからしばらく、こんな生活が続くのかなぁ。どうしよう、引っ越そうかな……。」


 真壁は深いため息をついた。

 聖さんは真壁の横を静々と歩いていた。聖さんは、真壁にかけるべき言葉を選んでいるというより、何かを考え込むように、視線を空に向けていた。

 

 それからしばらくして、真壁の部屋に不法侵入した女が逮捕された。

 

 女は一体どうやったのか、マンションのセキュリティをかいくぐり、どこからか手に入れた合鍵を使って、真壁の部屋に侵入した。

 侵入して何をするつもりだったかは神のみぞ知るところだが、幸い、真壁と出くわす前に通報された。

 

 通報したのは聖さんだった。

 

 その日、真壁は担当さんから急な呼び出しがあって、夜の街に出ていた。

 実際に行ってみると、ストーカーの事で気落ちしてた真壁を励まそうと、担当とその仲間たちが酒宴を設けてくれただけだったのだが、これのおかげで、真壁はストーカーと鉢合わせずに済んだ。

 

 さらに偶然は重なる。

 その日、真壁を見送って、戸締りを終えた聖さんは帰路に着いたのだが、駅に向かう途中、うっかり忘れ物をした事を思い出し、真壁の部屋に戻った。

 

 エレベーターに乗り、真壁の部屋の前に立った時、誰もいないはずの部屋の中から、物音がした。

 先生が早めに帰って来たのかしらと思い、声をかけながら部屋に入ると、まさにストーカーが部屋の中を物色しているところだった。

 女は見つかった事で逆上し、聖さんに襲いかかって来た。聖さんとストーカー女は揉み合いになったが、偶然足を滑らした女は自分で頭を打って昏倒してしまった。

 聖さんは相当怖い思いをしたはずなのだが、何とか気を保つと、相手が気絶している間に警察や管理人さんを呼び、事なきを得た。

 

 警察から連絡があって急いで自宅に戻った真壁は、保護された聖さんを見つけると、慌てて駆け寄った。

 聖さんは真壁の顔を見て安心したのか、涙を流しながら真壁にしがみついて来た。

 自分に関する事で聖さんを危険な目に巻き込んでしまった事を後悔しながら、真壁は聖さんを抱きしめた。


 後日、警察が来て、取り調べの内容を少し話してくれたのだが、ストーカー女は、誰かが手引きをしてマンションに入れてくれた、合鍵もそいつが用意したんだ、と言っていたらしい。

 だが、警察の方で調べても、そういう人物の影は見当たらなかったし、結局ストーカー女は不法侵入の現行犯で裁かれるだろう、という事だった。


 こうして真壁の杞憂は、呆気なく解決し、不幸中の幸いか、少しだけ聖さんとの距離が近くなった。


 小説家らしいといえばそうだが、真壁は今回のことを受けて、ストーカーの恐怖を描いた新しい作品を手がけることにした。

 少しでも世の中からこう言った犯罪が減ってほしいし、実体験からよりリアルな世界観を読者に提示して、危機感を感じてほしいと思ったからだ。

 

 パソコンに向かいながら、資料に目を通していると、ノックの音がする。

 は〜い、どうぞ、と返事をすると、聖さんがいつものようにコーヒーをトレイに乗せて持って来てくれた。真壁は眩しそうな顔をしながら聖さんを見つめる

 

「コーヒーをお持ちしました。」

 

「ありがとう、聖さん。いただきますね。」

 

 そういうと、真壁は仕事の手を止めて、聖さんがついでくれたコーヒーをゆっくり味わう。

 芳しい香り。やはり聖さんのコーヒーは最高だった。

 傍らで聖さんがその様子を嬉しそうに眺めている。

 二人は目が合うと、お互いにふふふっ、と笑った。


「聖さん、本当にありがとうございます。

 あんな目に遭われて、もしかしたら辞めてしまわれるかもと、内心心配していたのですが……。」


「そんな……先生の責任ではありませんし、この通り、私も特段、大きな怪我はなかったので、平気です。」


「そう言っていただけると、僕も安心します。

 ところで、その……よろしければ今度、今回の件のお詫びを兼ねて、一緒に食事に行きませんか?

 美味しいお店を見つけたんですよ。是非、聖さんにも味わってほしいなって思いまして……。」


「あら、そんな……お気遣い頂かなくても、私は気にしてませんのに……。」


 そう言いながらも、聖さんは顔を赤らめ、恥じらうように上目遣いをしていた。


「遠慮なさらず、日頃の聖さんへのお礼だと思ってください。それに……僕はもっと、聖さんの事、知りたいな……って思ってます。」


 真壁は真剣な目で聖さんを見つめた。誠意が伝わったのか、聖さんは姿勢を正すと、優しい笑顔を浮かべながら、

「……わかりました。是非、ご一緒させてください。ちょっと私も予定を確認しますから、日取りはまた後ほど。」

 と言った。


「よかった!じゃあ仕事が、ひと段落したらまたお声がけしますね!楽しみにしててください!」


 真壁の嬉しそうな顔をみると、聖さんは、

「はい、お待ちしてますね。」

 と笑顔を浮かべながら、踵を返す。そして書斎のドアから出る瞬間、意味ありげな視線を真壁に向けて部屋を出ていった。

 真壁はその背中を見送ると、無言でガッツポーズをしてテンションを上げたまま、執筆に没頭し始めた。


 ……聖さんは廊下に出たあと、背後で真壁が喜んでいる気配を感じると、にこやかな笑顔を浮かべた。

 ここまで長かった。やっと、理想の形で彼が私に興味を持ってくれるようになった。それでも、慎重に、慎重にいかなければ。

 

 それにしても……今回のことは、落ち度だった。

 

 普段なら、郵便受けに入れられた不審物は、先生の目につく前に排除していたのだが、タイミングが悪かった。

 

 しばらく前から、あの女が先生を付け狙っているのはわかっていた。

 以前、あの女が不審物を入れに来た時、逆に尾行をして名前も住所も職場も全部把握していたから、いつでも排除できると思って油断していた。

 先生があの女の存在に気付いた以上、ちゃんと排除した事を見せないと、先生の不安が消えないだろう……。そう思って、一芝居打つことにした。

 

 私の存在がバレないように、偶然を装ってマンションの裏口から侵入する方法を教えたり、わざと合鍵を目のつく場所に置いて盗ませたりするのは中々骨が折れた。

 担当さんに、先生を元気づけるために誘って上げてください、と根回しをして先生を外出させ、この事を女に知らせてやった。案の定、女は罠にかかり、真壁の部屋に忍び込んだ。

 まんまと不法侵入した女を取り押さえるのは簡単だった。安い挑発に乗ってつかみかかって来たアイツを、昔習った格闘技で投げ飛ばし、倒れたところをゴム製の警棒で殴って昏倒させた。

 おそらくあの女は、何が起こったかわからなかっただろう。いい気味だ。私の先生にまとわりつくなんて、百年早い。

 

 それにしても、髪の毛を送りつけてくるとは、趣味の悪い女だ。

 自分の体の一部を、意中の人に贈りたくなる気持ちは理解するが、髪の毛そのものだと、見た目が悪くて嫌がられるし、よほど細かく切って食べ物に混ぜても食感が悪い。

 だから、髪の毛そのものを相手に贈るより、髪から抽出した成分だけを摂取させた方が、相手に気づかれにくい。


 そう……例えば、コーヒー豆と一緒に混ぜてドリップするとか。


 そう思って、聖さんは自慢の長い髪をそっと撫でる。

 

 ――ああ……先生、今日も美味しそうにコーヒー飲んでいらっしゃったなぁ……。

 

 背徳の快感が背筋に走り、聖さんは恍惚とした表情で顔を撫でた。

 いけない、いけない。つい夢中になり過ぎるのが、私の持病だ。

 

 この間、リビングでコーヒーを飲んだ時は、流石に先生の前で髪を混ぜれなかったから、今後は何か工夫しなければ。

 先生との距離が近づくにつれて、私がやってる事がバレやすくなってしまうのだから。


 とはいえ、差し当たっては先生のお誘いの日程を考えることとしよう。

 少しずつ近づいてくる、想い人との明るい未来を感じて、聖さんはウキウキとキッチンに向かうのだった。

 

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