第42話 八大地獄の案内人

 足元には、深紅色の岩漿がんしょうがたくさん広がっていた。身体にまで熱さが伝わってくる。周りには、怖気づく罪人たちがうなだれていた。見上げると、地下に続く階段の向こうには、赤い鳥居が見えた。


 茄子川 岳晃なすかわ たかあきは、下界での沢山の罪を償うために閻魔大王の指示で八大地獄の入り口に来ていた。本名は小茄子川 岳虎こなすがわ がくとと名乗っていた。死を迎えると同時に地獄での名前を茄子川 岳晃へと変更された。警察として正義を貫いてきたはずの現世での行いは何がいけなかったのかと舌打ちをする。殺人事件はすべて自分ではなく、躑躅森 顯毅がやったと記憶をすり替えて生きていた。ずるい人間だった。躑躅森 顯毅を犯人としてなすりつけたのだ。


 地面に転がる石ころをぽんとマグマに蹴ると、じゅっという音を立てて燃えていく。


「 岳ちゃん。なーに、すねているのかな? これから楽しいことがはじまるんじゃないのー。ねぇ?」


 本名は躑躅森 顯毅、地獄での名前は、地獄谷 正真。この度、閻魔大王に指示されて茄子川 岳晃の地獄の案内人として付き添うことになった。そう、正真が八大地獄に行ったのには理由があった。もちろん、現世での数々の殺人事件を起こして来たのは事実だが、茄子川 岳晃が起こした事件を代わりに犯人としてそのまま演じていた時もある。幼少期からの付き合いであるがゆえ、助けたいという気持ちもないわけじゃなかった。


「……正真、俺はまだお前を許したわけじゃない」

「ほー。罪をかぶった俺様に言うの? へー、そう。まぁ、好きにしなよ。俺にダメージはないから。さぁ、どう道案内しましょうか。茄子川 岳晃さん」

「……俺は一人でも行動できる。案内なんて、必要ない」

「ハハハ、強がっちゃって……いいの? そんな風に言って。珍しいんだよ? 君みたいにあまりにも罪が重い八大地獄にスキップして行くのは。普通は順番に行くのよ? 俺は、丁寧に初心者コースから行ったわけなのよ」


 小鬼たちが石でできたベッドの上で、罪人の胃や腸の内臓をほじくり返す等活地獄。それだけでまだ初心者コースであること自体、おかしな話だ。ごくりとつばを飲み込む茄子川 岳晃に、それ見たことかとドヤ顔をする地獄谷 正真の姿があった。


「すごいだろ? あんたはあれやらなくてもいいんだぜ。もっとすごいやつだから。期待していいと思うぞぉ。あー、そうそう。釜茹の刑っていうのもあるけど、あれ、下界で言うところの温泉だから痛くもかゆくもないんだよ」


 辺りを指さしながら、地獄谷 正真は茄子川 岳晃を案内する。アトラクション体験を案内する遊園地のスタッフみたいだ。行っている内容はとてもじゃないが体験したくないものばかりだ。


「……ショートカットなのか。これよりもひどい刑って一体どんな……考えただけでぞっとする」


 茄子川 岳晃は体を震わせて、自分の体を抱きしめた。地獄谷 正真は、手元に持っていた巻物を広げて、改めて八大地獄のそれぞれの刑を調べ始めた。


「確かに俺はすべての地獄を体験してきたわけだけど……説明しろって言われてもさ、何千年前もあるから忘れているんだよなぁ。どうだったっけ」

「は? 何千年前? どういうことだよ、それ」

「あーー、言わない方、良かったかな……」

「ここの地獄空間は時間の概念がないんだけど、感覚的は下界の千年で次の地獄に移動って決まりがあるわけなのよ。その千年間は同じ刑の繰り返しね。生き地獄ってことよ。苦しいよ、かなり。でも耐え抜くのさ。さっきの等活地獄もおれは千二百年はやっていた気がするわ」


 司録が記録として書いていた地獄谷 正真の八大地獄の任務完了報告書が緑の巻物に記されていた。視力の弱い正真は、目をこらして眺める。司録の字はとても達筆でもあった。


「昔の字って読みにくいよな。『ゐ』とか『ゑ』とかさぁ。蛇文字じゃんね」

「……通知表的なものなのか?」

「学校じゃないけどな。俺の個人的記憶を残しておかないと、ずっと地獄出られないぞって言われたからさ。コツコツ地道にやり続けたわけよ。勉強は苦手だけど、こういうのは俺好きだからさ。優秀の判子もられて嬉しかったわって地獄なのになぁ、不思議な世界だよ」

「へぇー……そうなのか。やり続けたら、お前みたいに上にまた這い上がって来れるのか?」


 地獄谷 正真はその言葉を発して沈黙になる。表情は歪まなかった。ただまっすぐに巻物を見つめる。


「俺は、這い上がるために地獄任務を繰り返したわけじゃねぇよ」

 

 ボソッと低いトーンで話す。その顔はどんな鬼や閻魔大王よりも怖かった。何か言っちゃいけないことを言ったのかと、茄子川 岳晃は目を伏せて後ろを振り返った。何かされるのではないかと警戒した。


「……少なくとも、俺がここにいるのはお前を八大地獄に送り込むためだ」


「……俺を?」


「ああ……。さぁさぁ、ここで油を売っている場合じゃねぇ。心してかかれよ?」


 持っていた巻物をズボンのポケットにしまった。茄子川 岳晃は、これから何をしようというのかと足を震わせて、地獄谷正真の後ろをゆっくりと着いていった。


 どんよりとした地獄の灰色の空には、無数のコウモリたちが飛び交っていた。




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