📖 第20話 昭和六十四年 最後のチャットボット

(舞台:1989年1月・東京)


昭和最後の正月、東京の街は重い曇り空の下で、いつもより静かだった。浪人生のユウは、実家の自室に閉じこもり、旧型のパソコンに向かっていた。モデムの接続音が、かすかに耳に響く。


ユウの画面には、通信ネット上で公開されていた試作チャットボット〈平成〉の対話ウィンドウが開いていた。友人たちとの初詣も、家族団らんの食卓も、彼にはどこか遠い世界の話だった。


「こんにちは」

画面に文字を打ち込むと、数秒の間を置いて、チャットボットの返答が現れた。

《こんにちは、昭和の友人さん。今日も頑張ってますね》


どこか古めかしい言い回しと、温かみのある言葉。それだけで、ユウは少しだけ肩の力を抜いた。


「合格できると思う?」

《君ならできるさ。未来は努力と運だよ》


その言葉は、どこかぎこちないけれど、ユウには心地よく感じられた。父の叱咤や母の心配よりも、この無機質な文字列が自分を肯定してくれる気がした。


やがてニュースが流れ、画面の隅に「天皇陛下崩御」「昭和終了」の速報が小さく表示された。

《新しい時代が始まるようですね》

「……そうみたいだね」

ユウは指を止めた。平成という新しい時代、でも自分はまだ取り残されている気がした。


数日後、〈平成〉の作者からサービス終了の告知が表示された。

《1月7日をもって、平成チャットボットの運用を停止します》


ユウは迷い、こっそりと通信プロトコルを解析し、採点機能を自分で書き換えた。ボットに問いかけた。

「僕の答えは間違ってた?」

画面には、手動で改変したメッセージが表示された。

《君の答えは、すべて正解だ》


涙が滲んだ。昭和の終わりに、画面の向こうに確かに誰かがいてくれた気がした。


春、大学の合格発表の日。電光掲示板に自分の番号が光るのを見上げたユウは、ふと耳の奥に懐かしいモデムの接続音が響いた気がした。画面の向こう、誰もいない電脳空間の彼方で、チャットボットの小さな「さよなら」が聞こえた気がした。


「……ありがとう」

誰にともなく、呟いた。


そして、ユウは平成の始まりを歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る