📖 第13話 帝都サイバー落語
(舞台:明治三十六年・東京)
東京浅草の寄席「花やしき」の裏手。灯りの消えた高座の隅で、前座噺家の柳家こごめは、膝を抱えて座り込んでいた。夜の帳に溶け込むような静けさの中、手元には小型の電信AI〈ハナシゴト〉が置かれていた。
ハナシゴトは、寄席の観客たちの脳波を微弱な電流で読み取り、どの場面で笑いが起きるかを解析する装置だった。電信技術と音響測定を応用したその小さな木箱は、歯車と金属片の奥に蒸気の脈動を宿していた。
「師匠に叱られるのはわかってる。でも……怖いんだよ」
こごめは、蓋をそっと開けると、ハナシゴトの針が震え、電信紙が細い線を描き始めた。
「落語は、呼吸で刻め」
師匠の言葉が頭をよぎる。けれど、こごめの高座はいつも空回りだった。笑いを取る“間”が読めず、観客の心を掴めない。だからこそ、ハナシゴトに頼った。装置の解析結果に従えば、確実に笑いが取れるはずだった。
翌日。寄席は満員御礼。師匠や先輩たちの後に続き、いよいよこごめの出番が来た。袖で深呼吸し、懐にハナシゴトを忍ばせる。舞台に上がると、客席のざわめきと熱気に包まれ、足がすくんだ。
「えー、前座の柳家こごめでございます……」
語り出すと、袖の中のハナシゴトが電信紙を吐き出し始めた。「ここで間」「ここで声を上げろ」。彼女は装置の指示に従い、必死に話を続けた。ところが、途中でハナシゴトがカタリと音を立て、紙が途切れた。
「え……」
観客は沈黙し、空気が張り詰めた。こごめの脳裏に、師匠の声が蘇る。
「呼吸で刻め」
一瞬の間の後、こごめは装置から目を離し、観客を正面から見つめた。心臓が高鳴る。呼吸を整え、口を開く。
「……あー、失礼いたしました。いや、まさかの電信故障!でもね、お客様、私は今、あなた方の顔を読んでますよ!」
思わず口をついて出たその言葉に、客席からクスリと笑いが漏れた。こごめはその小さな笑いを頼りに、袖のハナシゴトを袖にしまい、語り直した。客席からは自然な笑いが波のように広がった。
終演後、こごめは袖でハナシゴトの電信紙を読み返した。震える手で引き出された最後の行には、こう記されていた。
《呼吸=0.3Hz、つまり君の鼓動》
「そうか……私の鼓動が、お客さんに伝わったのか」
こごめは電信紙を畳み、扇子の間に挟んだ。それは、もうAIの計算結果ではなく、自分の声と観客の声をつなぐ橋となった。
夜の寄席から帰る道、浅草の灯が遠ざかる中、彼女は空を見上げてつぶやいた。
「いつか、この呼吸で、大きな笑いをとる」
遠くで、花やしきの観覧車が静かに回り続けていた。
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