第12話 膝枕耳かきと肩たたき
ユニははむはむと可愛い声を発しながら、3匹、4匹と殆ど身を残さずにニジマスの塩焼きを綺麗に骨だけにしていく。俺はというと、最初に一匹目でお腹一杯となったので、残りは彼女に任せ、まるでブラックホールかと思う程の彼女の胃袋に焼き魚の身が吸い込まれていく様を見物していた。
用が無くなった焚火は完全に火が消えるまで待ち、後始末をする。ユニはまだ食い足りないとばかりに水面が光る川で時折跳ねる魚をじっと見つめていた。まじかよ。
一体、この子はどの程度まで食べられるのか試してみたいという衝動に駆られた。しかし、それを実行したら巾着袋に貯めた金貨が一夜にして無くなりそうなのでやめておこう。
「何だか眠くなってきちゃいました」
ユニが欠伸をする。正直俺も、瞼が重い。自分でも気づかない程に疲れを貯めていたのかもしれない。午後も何か彼女にレクチャーするつもりだったが、今日はゆっくり休もうか。
「寝たかったら、遠慮せず、寝てもいいよ」
「はい~。気を遣わせてしまってすみません」
「気にしなくていいよ。俺も休むから」
俺は、持ってきた鞄を枕にしてその場で寝転んだ。日の光で暖かくなった地面に、辺り一面を緑色で染めた草木がクッションのようになる。優しく心地いいそよ風が顔をそっと撫でた。あまりにも気持ちよかったので、いつの間にか寝てしまっていた。
「先生‥‥‥。先生」
ゆっくり目を開けると、リラックスしてお姉さん座りしているユニの姿が映った。目を細め、艶やかに微笑む彼女は、今までに見たことはなく、思わずどきっとしてしまった。
「先生、ここに頭を預けてください」
彼女はポンポンと柔らかそうな太腿を軽く叩いた。
「‥‥‥何で?」
彼女の思いもよらない言葉に思考が追い付かない。何も考えず、反射で彼女に聞いてしまった。すると、何か思い悩むように手を顎に付ける。
「私、考えていたんです。あの日、ジャイアントアントから先生に助けられなければ、どうなっていたか。それだけじゃありません。弟子にしていただいて冒険者のノウハウを教えてもらいました。この御恩をどう返せばいいのか」
俺はゆっくりと立ち上がり、彼女を見つめた。
「別に返してもらう必要ないよ。君が早く一人前の冒険者になることが一番の恩返しになるかな」
その言葉に、ユニは不満そうに顔を膨らませる。そして、表情が見えない程に俯き、体をフルフルと震わせた。
「それでは納得できません。どうしたら、先生に喜んでもられるか。ずっと考えていたんです」
一度言葉を切ると、彼女は勢いよく顔を上げた。先程の深刻な顔が嘘のように明るくなり、目がキラキラと輝く。
「それが、この耳かきです!」
手にはいつの間にか可愛らしい綿棒が握られていた。思わず、ジャン!という効果音が聞こえてきそうだ。だが、勿体ぶった割には、あまり大したものではなさそうな気もするが。俺の考えを見抜くようにさらにユニは言葉を続けた。
「私、耳かき得意なんですよ。私の住んでいた村のおじいさんに『お嬢ちゃんは、本当に耳かき上手だねぇ』と何度も褒められていたんです」
「へ、へぇ~」
ちょっと自慢気に彼女は胸を張る。耳かき自慢はともかく、彼女の過去には大いに興味があった。あの怪力は生まれ持ったものなのか、それとも後天的に身に付いたものか。今の話では、冒険者を始める前はとある村に住んでいたようだが、詳細は分からない。
俺がいつの間にか物思いにふけっていると、ユニが自分に注意を向けるように声を張り上げた。
「とにかく! 今日は私が先生を耳かきで癒してあげますから!」
胸に手を当て、自身の太腿に誘導しようとしている。ふふんと声を発し、若干得意気だ。しかし、困ったなぁ。親子ほど歳が離れているとはいえ、男と女だ。いくらユニの善意とはいえ、それに師匠と弟子という関係で、周りから見るとちょっと誤解されてしまいそうなことをするのに抵抗があった。
俺が頭を掻き戸惑っていると、ユニは再び自身の太腿をポンポン軽く叩いた。
「む!」
彼女が一言だけ発し、横になるよう促す。それでも、その場で石像のように動かない俺を見て、また不満そうな顔をする。
「む~~!」
さらに、強くとんとんと強く太腿を叩く音が聞こえる。はぁっと思わず溜息が出てしまった。特に意味もなく何気にない行動だったのだが、彼女を傷つけてしまったようだ。ふと見るといつの間にか涙目になったユニは上目遣いで俺を見てくる。
「先生、そんなに嫌‥‥‥ですか?」
意図せず彼女を傷つけてしまった罪悪感に苛まれた俺は、テンパってつい深く考えず、彼女の申し出を了承してしまった。
「ご、ごめん! き、君の気持は分かった。耳かきよろしく頼むよ‥‥‥」
彼女がこんなに強く自分の意見を言って、甘えてくるのは初めてなので、どうしたらいいか分からなかった。ただ、これ以上悲しませたくないと思ったので素直にユニに従おう。
俺がしぶしぶであるが、了承したのを見て、先程までの泣き顔が嘘のようにぱあっと明るくなった。
「さ、先生!」
すっかり上機嫌に戻った彼女は、少し強引に俺の腕を引っ張る。俺は、見るからに柔らかそうな太腿に静かに顔を置いた。ふにゅっと音がして、温かい彼女の体温を感じる。直で彼女の肌に触れた訳ではなく、彼女の装備していた僧侶のスカート越しであるのに、十分に太腿の弾力が頬に伝わってくる。
「先生、どうですか? 苦しいですか?」
頭上から声がした。『ああ、苦しくないよ』と答える為に顔を少し上へ上げてユニの表情を窺おうとしたが、豊満な胸に遮られて見ることは叶わなかった。しばらく思考が停止していたが、慌てて視線を下へ落とす。くそっ、刺激が強すぎる。
「先生?」
「あ、ああ、大丈夫。何でもないよ」
まずいまずい、久し振りに出来た弟子を性的に見るなんて許されないことだ。落ち着け、俺。心を無にするんだ。そうすれば、この苦難を難なく切り抜けられるはずだ。修行だ。そうだ、これは一種の修行だと思えばいいんだ。煩悩を断ち切る修行。
ていうか何で俺は、ユニの方向に向いているんだ?反対側向いた方がよくないか?でも、両耳を綿棒で掃除するんだったら関係ないか。もうずっと目を瞑っているしかないな。
絶対途中で目を開けまいと固く瞳を閉ざした。
「じゃあ、始めますよ。先生」
俺の覚悟が定まらないまま、ユニの膝枕耳かきが開始された。まず、彼女の指が優しく俺の耳たぶを摘まむ。鼓膜を傷つけないように奥に入れず、耳の入口近くをへらで擦り始めた。一か所に留まらず、耳全体を万遍なく掃除する。こりこりと気持ちい音が聞こえてくる。掃除する箇所を変えるたびに耳たぶを摘まむ手が動くのだが、まるでマッサージされているようで心地いい。気づけば、耳全体が少し赤身を帯び、温かくなってきた。
「どうですか? 気持ちいいですか、先生?」
「う、うん。いいよ?」
としか言えなかった。恥ずかしくなってまともに口が利けない。ここに居るのが二人だけでよかった。こんなところ誰にも見られる訳にはいかない。アトモンドの傍の湖に行かなくてよかったと本気で思った。
ユニは綿棒を使い、耳垢で耳の穴を塞がないように注意しながら、丁寧にへらで耳全体をなぞる。その優しさから怖がることなく、安心して彼女に身を預けることができた。なぞるついでに軽くへらで耳つぼも押してくる。これがとても気持ちよかった。
「‥‥‥ほっほ」
思わず気持ち悪い声を出してしまい、恥ずかしくなってしまった。ユニがふふっと笑う声が聞こえる。彼女に気持ち悪がられてないといいが。
一通り耳をなぞり終わったら、綿棒をくりっと回す。次は梵天の出番のようだ。白いふわふわした羽毛が耳の穴を埋めるように容赦なく、ゆっくりと入ってくる。ぞわぞわという音に耳の中が占領され、くすぐったくなる感触に襲われる。そのこそばゆさに、思わず飛び上がりそうになったが何とか抑えた。
「ふふっ。先生、とっても気持ちよさそう‥‥‥」
妙に色っぽいユニの声がしてきた。目を固く閉じていたので、彼女の表情が分からない。自分の表情も分からなかったが、今、自分がどんな顔をしているのか知りたくもなかった。
「先生。私、耳のマッサージもちょっとだけ出来るのですが、いかがでしょうか?」
「え、あ、うん」
まともに喋ることができない。というか、もう十分マッサージされていると思うが。疑問に思う俺を彼女は待たずに施術を始める。
すでに赤身を帯びた耳の上部、中央、それから耳たぶを順番に優しく摘まみ、上下に軽く引っ張る。その後、ゆっくりと円を描くように耳を回し始めた。それから、耳珠を少し強めに指で押し、耳の穴を塞ぐ。ヒュオォいう音が耳全体に響き渡る。これがたまらなく気持ちよかった。
「ぎゅ~っ、ぱっ! ぎゅ~っ、ぱっ!」
ユニがリズムに乗せて耳珠を押したり離したりする。彼女の甘い声と耳の心地よさは段々眠気を誘う。はっ!いかんいかん!思わず寝てしまうところだった。
次に耳を畳むように閉じ、元に戻すことを何回も繰り返す。ここまでやると、俺の耳は完全にほぐれ、ぽかぽかになった。
これを両耳繰り返す。
ふうっ。眠気と格闘しながら何とか彼女の膝枕耳かきを耐え抜くことが出来た。耳はほぐれたが、緊張していたので代わりに肩がばきばきに固くなった。
やっと終わる‥‥‥。しかし、この時の俺は完全に油断していた。
俺達は、平な草地の上で休憩していて、傍には、一本の樹木が生えていた。その樹木の影が二人に覆いかぶさり、心安らぐ涼しさを与えていた。
不意に樹木から一枚の葉が舞い落ちて、俺の耳の上にそっと落ちる。ユニはそれに気づくと、ゆっくりとその葉に顔を近づけてきた。その時の俺は、まだ目を閉じていたので、接近する彼女の顔に気づくことができなかった。
「ふ~~っ」
優しくユニが俺の耳に息を吹きかける。木の葉はさっと風に揺られ、俺の耳から離れたが、彼女の想定外の攻撃を受け、思わず身体が震えてしまった。
「ひょわっ!」
耐えきれず情けない声を発して、びくんと体が跳ね上がる。反射で片足がぴーんと立ってしまった。彼女が驚いてわっと顔を上げたのが分かった。もう本当に恥ずかしい。
「ユニ! も、もう十分だから! ありがとう」
彼女の太腿からそっと顔を離す。自分と顔を合わせられない俺を不思議そうに、ユニはきょとんとした顔で見つめた。が、すぐに笑顔になる。
「先生の疲れが少しでも取れたなら、私は嬉しいです」
「あ、ああ。ありがとう。お陰で耳が幸せになったよ」
肩は張っちゃったけどね、とは彼女には言えまい。しかし、身体を起した俺は、次にうっかり肩を回す仕草をしてしまった。それを見たユニははっとする。
「先生、もしかして‥‥‥肩が凝ってらっしゃるのですか?」
「え? あ、いや‥‥‥」
やっちまった。彼女に余計な気遣いをさせてしまった。心の中で自身の行動を反省する。この状況をどう切り抜けたものか。
「先生、遠慮しないでください。私、肩たたきも肩もみも得意なんです。こう見えても、私が住んでいた村のおじいさんの肩をこの手で毎日ほぐしていたんですよ」
そう言って彼女は両手を前に出し、指を空中で軽く動かし、肩を揉む仕草をした。
君はもうマッサージ師にでもなった方がいいんじゃないか?絶対繁盛するよ。そのおじいさんもさぞ幸せ者だったろうね。と頭の中で思わず突っ込んでしまった。いや、そうじゃなくて!
俺が密かに心の内でノリツッコミをしている隙に、いつの間にかユニは背後に回っていた。
「さあ、先生。始めますよ。まずは肩たたきからです」
い、いつの間に? ぎょっとして目を丸くする。ユニに、がしっと体を手で押さえられてビクともしない。なんて力だ。こっちは成人した男性なのに。大人しくユニに身を任せるしかないのか。俺は半分諦めモードであった。
「とんとんとん♪ とんとんとん♪」
ユニがリズム良く口ずさみ、肩たたきを開始した。意外にも肩を叩く威力が弱い?かなり手加減しているようである。
「どうですか、先生?」
「あ、うん。もうちょっと強く叩いてもらってもいいかな?」
「分かりました」
そう言われた彼女は叩く力加減を調節する。毎日マッサージをしていたというのは嘘ではないようで、絶妙な力加減であった。石のように凝り固まっていた肩がほぐれていく感覚を覚える。
気持ちいい。全身が軽くなり、このまま背中に羽を生やして羽ばたいてしまいたい衝動に駆られている俺を他所にユニは、肩もみの準備に取り掛かっていた。
「先生、肩もみはどのくらいの強さで揉みますか?」
「ユニに任せるよ。でも、そうだな。もっと強めでもいいかな」
「強めですか? 分かりました」
この時の俺は、完全に調子に乗っていた。彼女は後ろでむむむっと難しそうな顔をしていたのだが気づかなかった。
「それじゃいきますよ。‥‥‥えい!」
ばきっと骨が鳴る音が聞こえた。一瞬俺は、何が起きたのか理解できなかった。分かったのはそれまで幸せだった肩に強い衝撃と痛みが走ったことだけだった。
俺の悲鳴は森中に響き渡った。
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