第14話 昔を知る者



―――昼休み。

カウンターの奥では、スタッフがエスプレッソマシンの、

スチームを調整している。

グラスの音、紙ナプキンを取る動作、コーヒーの香りがほんのり漂う。

社内のカフェスペースでコーヒーを片手にぼんやりしていた俺は、

ふと誰かの視線を感じ、

タイムテーブルの魅惑的な裏地の手触りに触れる。

「……珍しいな、お前がここにいるなんて」


聞き覚えのある声。

顔を上げると、そこには総務部の藤崎さんが立っていた。

茶色がかった黒髪で、やや長めで無造作にセットされている。

藤崎さんは鹿子田先輩と同期の社員で、

社内では何でも知っている情報通として知られ、

比較的若い社員が多いこの会社では古株にもなる。

雑談の中で気軽に社内の話題を振るため、

飲み会の場では何かと盛り上げ役になるタイプだ。


社内カフェスペースのカウンターには社員達が並び、

それぞれコーヒーや紅茶を受け取る。

スーツの袖を軽く直しながら、カップを手にする動作が自然と揃う。

窓際のテーブルでは、書類を広げながら静かに考え込む人がいる。

その隣では、同僚達が気軽な会話を交わし、笑い声がふっと漏れる。

一方で、奥のカウンターではスマホを見ながらコーヒーを飲む社員がいて、

それぞれが違った時間を過ごしている。


「で、どうなんだ、鹿子田と付き合いでもあるのか?」

「いや、そういうわけじゃないですけど―――」


ただ、鹿子田先輩が、食堂で、女子社員へのデモンストレーション、

あるいは一種の宣言をした後では、

もう、そういうわけじゃないでは通用しないのは分かっていた。

ただ、鹿子田先輩は、あの後、冷静に振り返ったのか滅茶苦茶謝ってきた。

さすがにあれはキモいよね、キモすぎるよね、と涙目で言ったりした。

―――と思うじゃないですか、

素直に言うと、ちょっと嬉しかった(?)


だけど、その気持ちは有難かった、本当に嬉しかったと言いつつ、

まだ一歩先へ進めない、煮え切らない自分も感じていた。

耳元でロールプレイングゲームのレベルアップ音がして、

インヴェーダーに侵略されかかっている・・・。


「そうか? 最近、ちょくちょく隣で座ってるのを見かけるけどな」


食堂での一件もあり、変な誤解を与えないようにという配慮から、

「いや、それはたまたまですよ」と言っておく。

「ふ~~ん?」

藤崎は妙に意味深な表情を浮かべながら、カウンターで注文を済ませる。

そして、そのまま俺の向かいに座った。

「お前、鹿子田のこと、何処まで知ってる?」

「……何処まで、って?」


何だ、シモネタのことを言っているのか一瞬、身構えたのだ。

これはいうまでもなく、菅野効果というやつだろう。

散々煽られたトラウマみたいなものだ。

だが、あの時、菅野がいなかったら場合によっては、

もっと事態がこんがらがっていたかも知れない。

菅野はあの明るい性格で、事態をまとめてしまった。

さん付けするつもりはないし、尊敬もしないが、

そういうところは、認めてはいる。

ただ、あの後、もうヤッたのか、とか言いに来たのには辟易したが、

後輩の柚木に愚痴ったら、あの言い方はないっすけど、

あの場面を目撃したらもうそうとしか見えなかったっすね、

と言われたりもした。


「今のあいつしか知らないだろ?」

「そりゃまあ……そうですね」

「なら、昔の話でも一つ教えてやろうか?」

俺は思わず眉を顰めた。

「昔? そういえば、鹿子田先輩が公園で、

藤崎さんのことを話してましたね、経理部の遠野さんは短気だとか、

技術部の南雲さんは寡黙だったとか・・」


カウンターではスタッフが静かにミルクをスチームし、

細かい泡が立ち上っている。

奥のテーブルでは、スプーンがコーヒーカップに当たり、かすかに響く。

俺はしかし迷っていた。

肝心の藤崎さんの内容があれなので話せないなと思っていると、


「多分、俺が適当だとか、身を任せるタイプだろとかだろ?」

分かってんじゃん、と思わず言いそうになった(?)

「鹿子田は、その頃の俺とは正反対だったからな」

「真面目という意味ですか?」

つまりふざけているのと、真面目みたいな対比だ、と。

「いや、違う、あいつがお節介で、俺が適当だったという意味だ」

「お節介? いま、お節介って言いましたか? 

あの、鹿子田さんがですか?」


鹿子田さんを言い表す言葉か、クールでマイペース、神出鬼没、

何考えているかよく分からない、とかだ。

人に干渉しないし、必要以上に絡むこともない。

お節介なんて、まかり間違っても誰も口にしない。

とはいえ、俺は自分と鹿子田先輩の段になると、そのお節介という言葉も、

けして縁遠くないことを知っていた。


闇の中の配電盤に取り残された。

足の折れた昆虫・・。


「そう、今のお前にとっては意外かもしれないが……」

藤崎はカフェラテをゆっくりと口に運びながら、

懐かしむように話し始めた。

何だか表情が借金取りをして夜逃げをしたことがあるとか、

はたまた、貧乏でいつも芋を食べていたとか、魚を釣って食べてたとか、

そういうエピソードをするような時にも見えた。

誰にも話すことではないが、俺の父親はそうだった。

とはいえ、そういうのって本当かどうかは分からない。

体験者ではない限りは、戦争と同じで、

夢とか、お伽噺のようなものだ。


「新人時代の鹿子田は、お前みたいに仕事で悩んでる奴を見ると、

自然と助け舟を出してた、困ってることはないって、

一日に最低でも三度は言っているような奴だった」


いまの鹿子田さんとは本当に別人だ。

冷蔵庫の内側からカメラが扉を見ているような視点だ。

公園であんな話をしたのは、

自分の過去にも想い馳せていたのだろうか?

あの後、ブランコや滑り台に乗ったのも、

もしかして、そういうのを悟られまいとして、だろうか?


「それは意外ですね」

「でもな、当時はそれだけ周りと距離が近かったんだ。

俄かには信じられないだろうが、鹿子田みたいな奴は結構いると思うよ」

「……なんで今は違うんです?」

「まぁ鹿子田の場合は、ちょっとある出来事があってな……」

「はい」

「鹿子田はな、昔一度仕事で手を出しすぎて、大変なことになったんだよ」

「鹿子田がそんなミスをするなんて信じられませんが―――」

「いや、そうだ、アイツはいまでもそうだ。

けど、ある新人にアドバイスをしたんだが、

その新人がそれを誤解してしまってな・・・・・・」

「誤解?」

「簡単に言えば、指示されたと思ったんだな。

でも鹿子田はあくまで提案のつもりで言ってた。

お前とか篠崎なら、そういうのをちゃんと聞き分ける。

でも要領の悪い人間っていうのはいるもんだ。

まだ鹿子田は若くてそういう配慮が足りなかった」


自分のひそかに隠れている感情を見つける瞬間、

凪の前に渡る最後の風・・。

気息音のあとの破裂音。


冷徹な物言いだったが、それは俺自身にも当てはめられた。

鹿子田先輩が距離感を大事にしている理由が、

そして俺がその距離感を壊していたんだなということも、

―――少し分かる気がする。


「……それで?」

「結果、その新人は間違った判断をして、大きなトラブルを起こした」

「それって、鹿子田先輩のせいじゃなくないですか?」

「そう。でもな、そういうのって一つのことじゃないだろ?」


そうだ、大抵人間が変わるには様々な状況が積み重なった時だ。

寒い時代だなって思う。


「鹿子田は一つ一つを分析して、冷静に読み取ったのさ。

『過剰に人と関わると、誤解が生じることがある』

って思うようになったんだ。あるいは、

『意見を伝えること』と『関わりすぎないこと』の、

バランスを取るようになった」


俺は息を飲む。

今の鹿子田先輩は確かに人との距離を保ち、

必要な会話以外はあまり踏み込まない。

その背景には、そんな出来事があったのか・・・・・・。


「……それで、今みたいな距離感になったんですか?」

「多分な、でも、完全に冷たいわけじゃないだろ?」

「……確かに」

鹿子田先輩は、たまに妙に気遣いを見せることがある。

新人の田村もそうだし、俺にも時折眼をかけてくれるようなことがある。

いや、田村や俺だけじゃない、みんなに、だ。

それが昔のおせっかいな部分の名残だったとしたら、

納得できるかもしれない。


鳥の群れが一糸乱れぬ動きで大きな鳥に見えるみたいに、

俺達はそれを偶然の産物と笑うかも知れないが、

鳥側にとってみれば集合体としての、テレパシックな共鳴で、

何度でも起こりうる必然の結果なのかも知れな―――い。

そして心の中ではそういう得体の知れないものを見つけて、

そこから離れるために変化を必要とすることがある。


「でもな、鹿子田は今でも変わってない部分はあると思うぞ」

「何です?」

「……気になる奴のことは、ちゃんと見る」

「え?」

「お前、たまに鹿子田と話してるだろ? 

あいつ、お前のことはかなり気にしてるぞ」

「―――知っています」


ただ、それ以上のことについて、

何か言える自信があるのかどうかは分からない。

彼女いない歴イコール年齢の青二才には、とても、とても、だ。

不用意に他人の心の中に入り込みすぎてはいないだろうか?

土足でずけずけと、踏み込んではいないだろうか?


「ま、これ以上は言わないが―――少なくとも、昔のお節介な部分は、

今でもほんの少し残ってるし、お前のことを気にしてる、

これは事実だ。たとえそれ以来、彼女は一定の距離を置くようになってもな、

『本当に大切な人』には、今でも目を向けている・・・、

そしてその資格がお前にはあると想っている」

その言葉が、俺の頭に妙に残った。

感動的だ。

だが、次の瞬間、藤崎がハッハッハと笑い始めた。

何か突然ツボに入ったような笑い方だ。

面食らっていると、

「どうしてこの話をしたと思う、今日は飲み会だ、

ハッハッハ、ざまあみろ、鹿子田・・!」


何か根に持たれるようなこと―――をしているな、これは(?)

煽ってくる菅野とか、からかってくる柚木とはまた違う、

といって悪意とも違うが、何か仕返しをする意図はあるな。

けれど、もしかしたらそれは同期という連帯感だったり、

何かのお返しなのかも知れない。

でもこうやって鹿子田先輩の過去の話を聞いたことで、

今までとは違った視点で彼女を見ることになりそうだ・・。

その言葉に、何か過去の因縁めいたものを感じた。

いやいや、とまた真面目な顔をしてくる。

ただ、藤崎さん、お悔やみ申し上げてもよいのならですが、

背後に、鹿子田先輩が立っています(?)


見切ったっつーか、

​​もーね、心の目で見たっつーか・・(?)


手に持っているカフェラテを後ろのテーブルに音を立てないように置き、

お盆を手に持って、鹿子田先輩は暴力に訴えようとしている。

子供の躾と称してニンテンドーDSを、

手でバキバキに折ったと明かして大炎上した、

バイオリニストの高嶋ちさ子先生より過激。

証言しよう、鹿子田先輩は、無実だ、と。

仮にそれが暴力だとしても、俺は見なかった、と言おう。


あ゛ァァァあああ〜〜〜〜〜っつ、ば、ば~かっ(?)


「なあ、ハァハァ―――笑いすぎて腹が痛い、

でも、もう一度言わせてくれ、気になる奴のことはちゃんと見る、

それがな―――本当にそれがな、ずっと変わらないんだよ鹿子田は!」

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