第11話 カヌースクール
澄み渡る空の青が、湖面にゆっくりと溶け込む。
遠くでかすかに聞こえる鳥の囀り、そして波が岸辺を撫でる柔らかな音。
それで現実性がことごとく抜けてしまって、
ただお伽話の夢の国の光景のようなものになってしまう、
―――カヌースクール。
湖の周囲には遊歩道が整備され、
裏手の神社は険しい階段道だが、石段を登っていくと、
杉の木に囲まれた静謐な空間が広がり、
苔むした鳥居をくぐれば、ひんやりとした空気が肌を包む。
境内の外れには、隠れ夕陽スポットがある。
漣もないほど静まり返っている湖はきらきらとして、
螢の光りほどに淡く見える・・・・・・。
カヌースクールは湖を見渡せるように設計された、
開放的なウッドデッキが特徴で、
昼時の光を浴びながら水面を眺めることができる。
壁は木材を基調とした温かみのあるデザインで、
時間が経つにつれ、木の風合いがさらに深まっていく。
入口には、カヌーのロゴが入った小さな看板が掛けられ、
ようこそ、の文字が優しく迎えてくれる。
湖に向かって伸びる桟橋には、
カヌーが整然と並べられ、たぷたぷと静かに波に揺れている。
俺と鹿子田先輩はあらかじめ予約を入れていたものの、
再度カヌースクールで受付をする。
金額は三千円。この金額の中にはカヌー・パドルのレンタル、
ライフジャケット(安全装備)、
インストラクターの指導が付いてくる。
集合場所には、
初心者の参加者達が少し緊張した様子で並んでおり、
料理教室や、フクロウカフェでの時間を経ると、
やっぱりみんなそれぞれに自分の中の平常心を探しているのだという気がする。
ふと湖水はエメラルドグリーンの色で、対岸は茫と霞んでいる。
「これ、本当に引っくり返ったりしないですよね……?」
と不安げな声が聞こえる。
説得交渉シュミレーションの時間だ。
インストラクターは安心させるように笑いながら、
「大丈夫、コツを覚えればすぐに慣れますよ」と優しく答える。
パドルの持ち方、漕ぐリズム、バランスの取り方、
簡単な説明を聞きながら、参加者は鯨を探す捕鯨船から分かれたように、
それぞれのカヌーへと乗り込んでいく。
俺は鹿子田先輩に、
ロミオとジュリエットのような囁きで、
ビーバーブラザーズのカヌー探険をふと思い出しながら、
(ビーバーブラザースというのは大工だ・・、)
「フラグ回収はやめますから、安全に気をつけましょうね」
と言う。
「ちなみに私は・・・カヌーに乗るのが初めて・・・怖い・・・」
棒読みだった(?)
生まれてこの方、棒読みの台詞を沢山聞いてきたが、
これほど身近で、いや誇張抜きでこの至近距離からの棒読みを聞くのは、
初めてで、その無茶ぶりに感動すら覚えたほどだ。
「料理が苦手というのは信じていますけど―――カヌーも怖いんですか?」
「女の子というのは・・・初めてのものはいくつになっても・・・怖いもの(?)」
―――そーなんだーと棒読みしたくなる(?)
奥に罅でも入れるように、
水に足先を入れた瞬間、ひんやりとした冷たさが肌を包む。
「気持ちいい……」と、誰かがぽつりと呟いている。
カヌーの全長はおおよそ四〜五メートルほど、
流線型のシルエットが水との一体感を生む。
船首は鋭く、切り裂くように進むための形を持ち、
船尾はなだらかに緩やかに広がり、水の抵抗を減らすよう設計されている。
その表面には、木の艶やかな模様が刻まれ、
長年の使用で生まれた傷や塗装の微かな罅が、
このカヌーが過ごしてきた時間を物語る。
範囲が自由となり、この距離が動きはじめ―――。
水に落つる声・・・。
少林寺拳法の達人が水渡りをする動画とは大きく異なり、
カヌーがゆっくりと湖面を滑るように進み始める。
非常によくバランスのとれた、
何かの複雑なエンジンの運転を見ているような不思議な快感がある。
パドルを水に沈めるたび、周囲の水が優しく波紋を描き、
胸のうちでばかり憧れる風景の―――馥郁たる香り・・。
西洋文明の利器に涜されない時代には、風景も落着いて、
一層雅趣が豊かであったかも知れない。
陽の光が反射して、小さな光の粒となって燦燦と踊っている。
クレーンで吊った屋根のような木々の連なった影は、
光が樹木に遮られて四方に作る黒ずんだ意匠、
何とない行きずりの語らいを愉しんでいる。
都会の喧騒から離れた場所だからこそ、
風の音、水のゆらぎ、鳥の囀りが際立って聞こえる。
カヌーを漕ぐ音が湖の静けさに溶け込み、
まるで湖と対話するような気分になる。
「上手くできるといいですね・・・」
と俺が鹿子田先輩に笑いかけると、はにかんでくる。
鹿子田先輩は少し緊張しながらパドルを握る。
親指で縁をなぞりながら、何度も持ち方を確認する。
風がそっと湖面を撫で、
木々の間から水鳥が滑るように飛び立っており、
カヌーの初心者たちの試行錯誤をする声が聞こえてくる。
「うまく進めたかも!」
「リズム合わせて!」
最初のぎこちなかった動きも、次第にスムーズになっていく。
力を込めた漕ぎ出しではなく、
水と対話するような柔らかな動きが、
カヌーを滑らかに進ませる。
その動きに合わせて、水面には長く細い波紋が生まれ、
後方へと広がっていく、
水の上を歩くような感覚だ。
最初は慎重にパドルを動かしていたのに、
いつの間にかリズムを感じ始めている。
岸辺から離れると、周囲の喧騒が少しずつ遠くなり、
ただ水の音と風の流れだけが響く。
しかしそこから、パドルを動かすたびに水面がゆらめき、
液晶画面がバリバリに割れたみたいに波立つ。
(待って・・・本当に―――待って・・・)
イメージはその場で固着を起こす一方だけど瘡蓋をはがせ!
コーヒーカップを掻きまわそうぜ、ride on!!
そして何故か旋回し続ける俺と鹿子田先輩のカヌー。
指の多岐、固有名がひしめく。
「何で、クルクル回ってるんですか?」
「左って言ったから・・・合わせたのに・・・」
ぶ/ん/れ/つ/し/ま/す
―――敵は隣にいた(?)
「だから逆に漕いで下さい」
焦った俺が力強くパドルを動かすと、今度は急に前へ進みすぎて、
バランスが崩れる。
無数のパラメータからランダム生成される、感情。
水族館のペンギンが、あたかも滑空飛行をする鳥のように、
水の中を凄いスピードで駆け抜けてゆく様をふと思い出す。
カヌーの中でも例えばカヤックなどは、
基本的にはのどかな乗り物だが、これにジェットエンジン二台搭載すると、
穏便さが消し飛ぶ。
カー・アクションのシーンのような風景を切り取ることになる。
しかしスピードは一つの幻想にすぎない、それは人の脳の中にあるのだ。
「わあっ!」
鹿子田先輩もパドルを慌てて調整するが、カヌーは右へ傾く。
濃密な危険と隣り合わせだ。
フラグ回収しにきたわけではない(?)
ようやくカヌーが安定したと思った矢先、
迫撃砲の流れ弾よろしく湖面から勢いよく水飛沫が上がる。
「うわ! なんか跳ねたぞ!」
「え・・・何・・・魚・・・?」
しかし、その瞬間、何かが水面でバシャッと跳ね、俺の腕に直撃する。
ピチピチッ、と魚が体当たりしてくる。
口元が水しぶきに触れたとき、ほのかな塩気を感じた気がする。
錯覚かも知れないが―――。
「わああ! 冷たい!」
「―――魚の・・・反撃・・・もう人間達と戦うことを決めた・・・、
そしてついに決行の日が訪れた・・・グラウンドゼロ・・・、
でも火力が足りない・・・追加の砲撃・・・(?)」
―――あのね、事件は会議室で起きているんじゃないんですよ(?)
「魚ってこんな攻撃的だったっけ?」
とはいえ、慌てると転覆へと一直線だ。
やっとバランスを取り戻した。
平常心大切と思った瞬間に、
――またバシャッ!
「魚との戦いじゃなくて、カヌー体験なんだけど!」
「湖のボスみたいな・・・奴がいる・・・オオウナギとか・・・、
バケモノウオとか・・・それが湖の秩序を乱している・・・」
―――話が次第にUMAになっていき、ツチノコ一攫千金(?)
俺と鹿子田先輩は慎重に湖面を覗き込むだけではなく、
バシャバシャッと水をすくい、
蛇相手にパンチを決める猫さながらに逞しい原始的な遊戯に耽る。
でも冷静に、何かがいる気配を感じ始め、
さながら、さいはてのオホーツクの海にでも来たような気分になってくる。
とはいえ、遊んでいてはいけないですよねと気を取り直して、
またカヌーを始める。
すると、鹿子田先輩がまじまじとこちらを見つめて来る。
「一回・・・立ってみても・・・いい・・・?」
「どうしてその結論に至ったのか―――聞いても?」
鹿子田先輩は好奇心旺盛だ。
料理教室での反省をまったく学んでいないと見える。
避けられそうにないピリピリした空気を隣から感じる。
「セクシーな上腕二頭筋に・・・息苦しいから・・・、
腕を曲げる度に出現する・・・立派な力瘤・・・、
浮き出る血管にいたっては・・・指でなぞりたいほどだから・・・、
ちょっと立つだけ・・・(?)」
―――絶対嘘だと分かってるけど、まじまじと見ちゃいましたからね(?)
「その―――止めても、やりたいんですね?」
「うん・・・・・・」
脚の迅い小鳥のかげがへさきから消えるように、
言うが早いか、動くのが早いか、
鹿子田先輩はそっと立ち上がろうとする。
「ちょ、待って―――もっと、そっと・・・揺れてますから!」
しかし、バランスを崩し――ぐらりとカヌーが傾く。
その一瞬、熊の木彫りみたいに見えた彼女。
カヌーがスキーのジャンプ台のような角度を伴った。
あ、って言ってた。
横転する瞬間ってどうして走馬灯のように見えるのだろう。
脳がバグってスローモーションになる。
わああああ、という掛け声と共に、ボチャンと湖に落ち、
冷たい水が全身を包み込み、パニックになりながら顔を出す。
眼をパチクリしながら、鹿子田先輩を思わず近くで見つめてしまう。
以心伝心の瞬間―――冷蔵庫の中の口紅。
「どうですか、立ってみると世界は、
タイタニックギャラクシーズのように少し変わりましたか?」
カヌーに乗る前はめちゃくちゃ不安がっていたし、
あと、棒読みインスタグラム子ちゃんしていたのに、
鼻孔が翼のように左右に拡がって、
湖に落ちたらどうだろう、楽しそうに笑って―――いる・・。
―――あの、フラグ回収ありがとうございました(?)
「涼しい・・・ね・・・」
鹿子田先輩は何故か楽しそうな顔をしながら、水をすくって遊んでいる。
しかし腹の底から大声を張り上げたのはいつが最後だろう。
あの、ぶわーっと、体の細胞が解放される感じ、随分味わってなかった。
子供が大きな声を出さないと元気がないと言うけど、
大人が大きな声を出すと変な人だなと思われ―――る・・。
でも気が付くと、腹を抱えて大きな笑い声を出している。
それに釣られて、鹿子田先輩も笑う。
空を見上げると、さっきまで動かなかった雲が、
ゆっくりと形を変えていることに気付く。
自然の中にいると、本能を刺激されて開放的になるらしい・・・・・・。
湖に浮かびながら俺と鹿子田先輩はカヌーを元の位置に戻そうと奮闘する。
湖は鏡みたいだと思う。
何故か、自分の気持ちも透けて見えるような気がした。
自分達のすべての行いや言葉のすぐそばに、
黙ってジッと自分を見つめているまなざしがあるという一つの不安と怖れ。
見ると言うことは既に生きた空間を形成して、別の見え方へと誘う。
ふと鹿子田先輩が遠くを指さす。
「ちょっと待って・・・あれ何・・・?」
「何ですか?」
湖面をじっと見つめると、遠くに背びれのようなものが見える。
一瞬ゾクッとした。
何かが光を裂くように跳ねる。
実体鏡の下にある左右二枚の図を一つの影像として見るように、
次のモーションへと移るコンマ数秒も気が抜けない。
「ぬおおおらあああああああ‼…………だああっ!」
と、カヌーを起こそうとするが、難しい。
まさか、サメかと一瞬思ってスピルバーグ映画を思い出しかけるが、
カヌーを戻して岸まで漕いでいくなんて現実的じゃない。
冷静に判断する。
襲い掛かってきたら腕の一本でも噛ませるしかないのかも知れない。
サメは人間を噛むことはあるけど食べないという話を思い出す。
とはいえ、お腹が減っていたら食べるがいまはそれを信じるしかない。
運命の時が迫る。
徐々に近づいてくるそれは・・・・・・。
扇のような片羽根、それは―――。
それは、不意に水の上の白い影が冴えて揺れ―――た・・。
―――バシャッ、とサメとは似ても似つかぬ可愛らしい顔が覗いた。
「……イルカ?」
「湖なのに・・・・・・」
次の瞬間、ボチャンと水が大きく跳ね上がり、
本当にイルカが姿を現した。
「いやいやいやいや―――湖なのにイルカ? そんなことある?」
「カワイルカも・・・います・・・」
―――こいつはカワイルカじゃねえ(?)
鹿子田先輩の天然な発言に釣られてだろうか、
ドルフィンキックって子供の頃、プロレスの影響も大いにあって、
イルカが人間とか舟に蹴りを入れることだと本当に想っていた(?)
もちろん、それは水泳で、両足を同時に上下させ、
足の甲で水を蹴ること―――だ。
「ウミイルカ・・・なんだけどな・・・・・・」
さてはて、食パンにシュウマイ巻いて、
レンジでチンすると肉マンになる、という話はあるわけだけれど、
イルカの腎臓は海水の塩分を排出するように進化しているため、
淡水では体内の塩分バランスが崩れる。
海水イルカは海の魚やイカを主食としているので、
淡水では食料の種類が異なるため適応が難しい。
それに海水と淡水では微生物や水質が異なり、
海水イルカにとっては適応しづらい環境となる。
海水イルカが淡水域に迷い込んだ事例も報告されるものの、
長期間生存することは難しく、最終的には海へ戻るか、
適応できずに衰弱してしまうことが多い。
―――でも、湖は海と繋がっていない、何処から?
遠くでカヌーの木材が軋む音がする。
誰かが笑う声が、その音に混じる。
「えええ! イルカいるじゃん!」
と、別の参加者も叫んでいる。
多数の手がスクリーンの上に対角線状に並んで映るみたいに、
安心した、それが普通のリアクションだ。
解析型と直観型、
あるいは構成派と印象派といったような二つに分けられはしないだろう―――か。
「湖なのに・・・どういうこと・・・?」
しかしこのイルカは何故か俺や鹿子田先輩の近くを優雅に泳ぎながら、
時々水面を跳ねている。
泳ぐ技巧から来る呼吸のおもしろさ。
イルカが優雅に泳いでいるのを見て、
何故か自分の方がテンションが上がってしまう。
喩えとしてはおかしいけれど、水中カメラを興味津々に覗き込む、
アナコンダのような気がした。
そういえばブラジル南部のラグナという町では、
沿岸部に生息するハンドウイルカが追い込んだボラを、
人間の漁師が投網で捕まえるという文化が存在する。
「この湖、謎すぎますよ!」
でも鹿子田先輩が楽しそうにしている姿に、ふと気持ちが和らぐ。
妙に胸がざわつくのは何でなんだろう。
「きっとこの湖の底に海の通路が・・・ある・・・そしてイルカは・・・、
時折こうやってこの湖に・・・遊びに来る・・・」
―――という設定でしょうか(?)
水中洞窟で発見されたマヤ文明のカヌーは、
冥界へ旅立つための乗り物だった可能性があるという記事を思い出す。
でもそういう漫画やアニメにヒントを得た少年少女向き物語の中で、
きっと月刊ムーならば水中通路というアヤシゲイカガワシゲな説に、
盛りそばしつつ、古代イスカンダル計画、
アトラスがテトリスしてということは十分に考えられる。
そしてお前は何を言っている(?)
とはいえ知識の戸棚のどの引き出しに入れていいかわからないまま、
ラベルのつかないばらばらの断片になってしまっている。
場合によっては、イルカの湖の放流という社会問題の可能性、
さもなければ、空から想像もつかないものが降って来るところの、
ファフロッキーズ現象なのかも知れない。
でもイルカって飼育できるという話を思い出す。
もしかしたらプールへと移す前の少しの間、
この湖で泳がせているのかも知れない。
―――どんな金持ちだ、ユーチューバーか(?)
「でも・・・見てると癒される・・・」
鹿子田先輩が、のほほんとした調子で言う。
先輩の顔を盗み見ると、目尻が少し緩み、口元がわずかに弧を描いている。
個人的にイルカのセラピーみたいなものは全然好かなかったけど、
それは多分、イルカがどう想っているかに尽きるわけだけど、
水族館の魚でも人がいなくなると淋しそうにするという話がある。
イルカも構ってくれる相手を見つけて、
おいちょっくら一緒に泳ごうぜ、とでも言ってるのかも知れない。
きっと鹿子田先輩のそのフクロウカフェで見せた、
五歳児のような少女的感性がイルカのそれに近いのかも知れない。
「そうですね・・・・・・」
カヌーに無事乗り込み、湖を移動し始めると、
イルカが俺達のカヌーの横を飛び跳ねながら並走して来る。
煽ってくるスタイルという見方もなくはない。
とはいえ、イルカは楽しそうにアクロバティックを披露し、
クルクルとその身を水の中で軽快に回転させ、
カヌーの隣りで踊るように泳いだ。
陸上競技などでスタートの合図を、
ピストルで知らせるスターターみたいに、
この生き物は高々と頭上で飛び跳ねる、
その様はさながらイルカショーだ。
中の人がいないことを祈る(?)
イルカと共に不思議な時間を過ごしていると、
空は茜色に染まり、湖面に黄金の光が広がって情調が大きな角度で、
ぐいと転回してわき上がるように離別の哀愁の霧になる。
片時も眼を休ませないで、
飽くことを知らず刻々に移り変わる雲の影、
水の光に見惚れながら、そこにイルカのシルエットが加味される。
波止場に寄せる潮の匂いを嗅ぐような気持ちを起こさせる。
「イルカと泳いだ・・・一生の思い出作り・・・」
鹿子田先輩が岸へ戻りながら言う。
とはいえ、朝から色々ありすぎて俺は少しぐったりとしている。
理性よりも、情緒の勝った子供らしい、何となく夢を見ているような眼と、
なんとなく締まりの悪い口元のあたりにセクシュアルな影を見る。
ダヴィンチのモナリザを思わせる不可思議で蠱惑的な魅惑・・・・・・。
ぱっちりと開いた瞳は睫毛の長さと共に、
僅かに植物的な潤いを得ている。
「―――楽しかったですね!」
「また・・・・・・一緒に来たいね・・・」
次はもっと難しいコースに挑戦しましょう―――とか・・。
次回はイルカに乗れるか試しましょう―――とか・・。
言いたいけれど、何だか恥ずかしい台詞だなという気がして、
無難な会話をチョイスしながら、岸へ戻る。
カヌーが揺れるたびに、水がわずかに跳ねる。
その波紋は、まるで誰かの言葉の余韻のように広がっていく。
不思議だったけど、静かな水と青い空の間に溶け込んでいくような気分になる。
カヌーを降りると、足元にまだ水の揺らぎが残っていて、
進化の過程ではぐれてしまった鰭や翼というものをそっと憶った。
湖面に映る空の色が、ゆっくりと薄れていき、深まる夜の気配を予感させる。
ライフジャケットを脱ぐと、その軽さにほんのわずかの寂しさを感じる。
けれど、それは悪くない。
今日の記憶が小さな波紋となって心に広がっていくのを感じ、
精巧な心理の一筋はその鉱脈の正体を探り当て―――る・・。
そうだ、きっと、一生の思い出という鹿子田先輩のボディブローが、
どうも後になって効いてきたような気がする・・・・・・。
「小日向君・・・・・・今日は一日ありがとうね・・・・・・」
それが暗い胸の奥にある精彩、心臓の音を搔き乱―――す・・。
遠くでイルカがバシャンと飛び跳ねなかったら、
本当に何かムードに流され、気の迷った一言を口にしていたかも知れない。
十七時だろうか、遠くで学校のチャイムの音が聞こえている。
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