18歳の憂鬱(7)

「引っ越しの準備、手伝ってよ。」

 卒業式を次の日に控えた昼間、白夜さんから電話がかかって来た。その日学校は休みで愛用のカメラを片手に春めいてきた公園を散策していた私は、いつものスタジオとは別の場所を待ち合わせ場所に指定された。トタン屋根の錆びた古い平屋。初めて見る白夜さんの家だった。

「今日は僕の家族いないからさ、お前くらいしか頼めるヒトいなくて。父も母も今の時間は海辺の工場で働いていて、帰りはいつになるかわからないけれど、日付が変わるまではどちらも仕事をしているだろうからさ。」

 雑然と部屋に積み上がる、十八年分の地層と化したガラクタに私は頭を抱えた。

 なるべく早く荷物を家から移したいという白夜さんに、心を無にして私はまず汚れたモノを捨て始めた。

 白夜さんにとっては思い出にあふれているかもしれない卒業アルバムや何かの賞状も、管理されず放置された影響で黴だらけの紙の塊へ成り下がっている。

 一応許可を取って捨てたが、白夜さん自身もそれらに執着はないようであった。

 これは使うのかもしれないと、積みあがった本の隙間から海外の教会の写真集を引き抜いた時、埃を被った紙の束がなだれ落ちた。汚いことに変わりはなかったが、焼け具合を見ると今まで見た紙の束よりは比較的最近印刷されたモノのようだ。そしてそれは何かの疾患の診断書とそれの説明書きで、詳しく読みはしなかったがエックスやらワイやらの文字が紙の上で踊っていた。


「白夜さん、これは捨てても大丈夫ですか? 重要そうな書類ですが。」

 カラーボックスから衣服を取り出して整理していた白夜さんはその紙を見た途端、飛んできて勢い良く私の手からそれを奪った。

「今、読んだ? 」

「読んでません。」

「良かった。忘れて。頼むから。」

 こんなに慌てた白夜さんを私は初めて見た。白夜さんは奪った紙を手で細かく千切りゴミ袋に散らした。誰でも病気のことは他人に知られたくないよな、と私は呑気にそれを眺めていた。

 荷物を纏めた結果、白夜さんの部屋の五分の四はいわゆるゴミで占められていた。捨てるモノの割合が意外に多かったため、梱包作業は早くに終わった。アルバイトにはどうにか遅れずに行くことができそうだ。

「荷物はとりあえずスタジオに運ぼうと思う。この前車の免許を取ったのさ。バイクの免許は高校一年の時から持っていたのだけれど、引っ越しまでには車を運転できたほうが良いなと思って、間に合うように頑張ったんだよ。軽トラックを借りてきて家の裏に置いたからさ、荷台まで荷物を運ぶの手伝ってくれよ。」

 さすが白夜さん、人遣いの荒さよ。時計の針を気にしつつも、作業後アルバイト先まで送ってもらうのを条件に、私は段ボール箱を抱えた。


「助手席に誰かを乗せて運転するのは初めて。」

「どうりで車体が揺れるわけですな。そして腰がありえないほど痛いのですが。」

 夕暮れの迫った道路を港町へと走らせながら、私たちは陽気に会話を交わした。

「専門学校卒業して働き始めたら、できるだけ稼いで早めに奨学金やローンを返さなくてはいけないから忙しいな。在学中はできたら学業一筋で頑張りたいからね。たったの二年間なのだから。」

「アルバイトは始めないおつもりですか? 」

「時間も気にせずに思い切り勉強できるのは学生時代くらいなのだから、その時間を切り売りしてしまうのはもったいないって蒼波が言ってさ。特に今はするつもりはないね。」

 目が届かない場所へ白夜さんに行って欲しくない、蒼波さんの大義名分ではなかろうか? さりげない束縛に気付いているのかいないのか、白夜さんは口元に微かな笑みを浮かべてハンドルを握り続ける。

「で、ここの角を左に曲がったところが、勤め先のバーだな? ……ほら、着いたぞ。あ、こんばんは。いつも玄輝がお世話になっています。」

 白夜さんが急に挨拶を始めた。急いで振り向くと、たまたまマスターが煙草を吸いに店から出て来たところであった。


「ゲイバーなんて初めて来た。薄暗くて落ち着いた雰囲気が素敵だな。玄輝もバーテンダーになるといつもと違うな。メイクもしているのか? 今夜のお前はとても素敵だ。」

 カウンターではしゃぐ白夜さんに私は頭を抱える。店内まで白夜さんが来てしまうのは、完全に予想外だった。

 外観の雰囲気だけでそこがゲイバーだとはわからないだろうと、甘く見た私が軽率だった。マスターはまだ誰もいなかった店内に、白夜さんを快く招き入れてしまったのだ。   

 こっそり扉に貸し切りの札を引っかけて、私はカウンターに入ろうとするマスターを捕まえた。

「ロッキーと仲良しの子でしょう? 明日は卒業式なのだからお祝いも兼ねて、ご馳走してあげようかなと。」

「お気遣いありがとうございます。ただ申し訳ないのですが、今日はこの三つを絶対に守ってください。一つは私をロッキーと呼ばないこと。お忘れかもしれませんが、一応本名は玄輝です。もう一つはカメラマンの客について聞かれたら話をぼかすこと。あと一つは当たり前ですが、あの子にアルコールは飲ませないでください。あ、今日は勝手にこの店を貸し切りにさせて頂きました。」

「ふーん。仲の良い友だちでも、何だか色々隠しごとがあるみたいね。了解よ、理由は詳しく聞かないであげる。未成年にアルコール飲ませたら、このお店はやっていけなくなるし。そうそう、ショーの公演日だから、私がお守りをしょっちゅう頼まれているポールダンサーの子も今日はお店に来ないはずよ。」

 白夜さんにシャーリーテンプルを作ろうと、私はジンジャーエールを取り出した。蒼波さんにはロッキーと私が同一人物だと知って欲しくないので、白夜さんにロッキーという言葉は聞かせたくなかった。それに夏休み明けの白夜さんと蒼波さんの喧嘩の原因は、おそらく蒼波さんがこのバーに行こうとしたことだ。ばれたら面倒なことになる。

「白夜さん。蒼波さんへはくれぐれも、ゲイバーへ飲みに来たなんて連絡入れないでくださいね。」

「分かったよ。そもそも蒼波は遠くに撮影に行っているから今日は帰って来られないし、特に連絡を取るつもりもないよ。」

 私は白夜さんのグラスにグレナデンシロップを思い切り注ぎ込んだ。

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