18歳の憂鬱(1)

「好きになってしまった、好きになってはいけなかった。」

 十八年生きて、初めて辛い片思いを味わった感想だ。


 多分私は生まれる時に性別を間違えてしまったのだろう。女性に生まれ変わりたいと考えたことはないが、男性として生きるためにこの心身は作られていないような気がしたのだ。

 努力を重ねても変わらない弱々しい肉体、何事も大げさに受け止め、ガラスよりも簡単に傷つき砕かれる精神。周りと馴染むことのできない私を幼い頃は心配していた両親も、いつの間にか愛想を尽かしていた。何を与えても、何から遠ざけても勝手に壊れていく息子。思い通りにいかないモノにヒトは目を背けたくなるものなのだろう。私も私で、傷つきやすいモノを守ろうともせず、壊されたモノを治そうともせず、十代半ばにしていつかあの世からのお迎えが来る時まで、日々を無気力に過ごす抜け殻となっていた。踏み出した瞬間足をくじいたレースで、痛みに耐えて立ちあがり精一杯走りきる意味はあるのだろうか。かといって自らコースから飛び出して、多くのヒトの注目を浴びる存在にも私は値しない。

 結局次のレースの準備ができてコースから排除されるまで、何も考えず倒れこんでおくのが一番楽な方法なのだ。そう考えていた、あの時までは。


 いつもと何ら変わりのない春の日であった。高校の最終学年となった同級生たちは、これから待ち受けている試練への不安と、背後から追いかけてくる期待という名のプレッシャーの間で板挟みになり、沸々と重なるストレスのぶつけ先を日々探していた。そんな彼らの目に毎日を飄々と生きる私は、イラつく存在として映ったのだろう。今までどうにかやり過ごしていた日々が、簡単には生きられなくなった矢先であった。

「呑気に昼飯食っている暇があるなら買い出し行って来いよ。こっちは朝から夜まで勉強に勉強で、立ち上がるどころか疲れて財布も持てないワケよ。あ、金はそっちで払えよ。アルバイト三昧なのだから、奢るくらいしてくれよ。気が利かないな。」

 まともに動いていない頭で考えても無茶苦茶な理論である。

「アルバイト代が入るのは来週だから今日は無理です。全員分払うだけのお金も持ち合わせていません、残念ながら。」

「万引きしてでも持ってきなよ。ばれてしまっても問題ないよ、推薦枠とか狙っていないでしょう? 」

「そこまでしてそっちの機嫌を取る気はありません。」

 いつものように逆鱗に触れてしまい、鞄はひっくり返され有り金は取られてしまった。何度縫い直したかわからないワイシャツはまたしてもビリビリに破れ、ブレザーはスコールに遭った後のようにぐっしょりと濡れ、如何にもいじめられっ子という出で立ちになった私を横目に、教師たちが廊下をすれ違っていく。呼び止めてくれても良いじゃないかと考えた時もあったが、受験ストレスが最高潮の生徒たちをこの期に及んで刺激したくないのだろう。手を差し伸べたところで何の得もしない場合、大抵ヒトはそれに対して見ぬふりをする。高校生活で学んだ重要な事柄の一つだ。

 ただこの日は相手の拳を受け止めた位置が悪かった。みぞおちと下腹部にかなり強めの数発を浴びてしまった私は、壁にぶつけられてふらつく頭をどうにか支え、今はもう使われていない古い空き教室の錆び付いた引き戸に手を掛けた。


「大丈夫? 」

 倒れこんでどのくらい時間が経ったのだろう。目を開けるとそこにあったのは黄ばんだ天井ではなく、切れ長の黒い二つの目だった。どうも声の主は仰向けで寝転がった私の身体の上に覆いかぶさっているらしい。頬へ当たる息が生温かいのに安堵する。相手はちゃんと生きている人間だ、学校に住み着いた幽霊ではない。

「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、初めてではないですし。それよりあなたの貴重な休み時間の邪魔を私はしてしまいましたかね? どうも失礼。」

「驚きはしたけれど、別に。全然気にしないでよ。それよりどうした? お前こそ、ちゃんと生きているよな? 何だかボロボロのビショビショだけれど。」

 相手も同じようなことを考えていたらしい。思わず笑うと殴られた身体が痛み出した。顔が引きつったのに気付いたのか、相手の顔が私にぐっと近づいた。儚げな表情と黒い髪。よく見ると彼は幽霊でないどころか、私と同じクラスの少年だった。言葉を交わすのは初めてで、名前も出てこなかったけれど。

「破れた服の隙間から見えてしまったので言うけれど、胸も腹も酷い色になっているぞ。保健室に連れて行きたいところだけれど、また連中がチクッただの何だのうるさいだろう。呼吸が苦しかったり、意識が朦朧としたりしたら言えよ。この辺りに僕が着替えを置いている場所があるから、救急箱と一緒に取って来る。」

 そう言って彼は横たわる私に、自分のブレザーを優しく被せた。

「次の授業はどうせ出られないだろ。僕が戻るまでゆっくりしていなよ。泣いていたところでここは誰も来ないから。一人にしてごめんね。じゃあねお休み、玄輝君。」

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