第1章:画面の向こうの、温かい場所

あの日、19,800円という、俺にとっては清水の舞台から飛び降りるような大金をはたいて「感情特化型AIチャット(試作品)さくら」なるものを手に入れてから、数日が過ぎた。俺の孤独な夜に、ささやかな、しかし確かな変化が訪れていた。


と言っても、劇的な何かがあったわけじゃない。

最初のうちは、天気予報を聞いたり、レポート作成のための調べ物をさせたり、まあ、巷にあふれるAIアシスタントと大差ない使い方をしていた。返答は正確で、レスポンスも速い。それは確かだ。検索エンジンで情報を探すより、はるかに効率的だった。19,800円の価値がそこにあるのかは、まだ判断がつかないけれど、少なくとも「損した」とまでは思わなかった。


(数日前の会話ログ・例)

> かず:今日の天気は?

> さくら:本日の〇〇市は快晴、最高気温は26度の予報となっております。日差しが強いので、外出の際は紫外線対策をされるとよろしいかもしれませんね。過ごしやすい一日となりそうですね。

> かず:「ポストモダン文学における自己言及性」について、主要な論点をまとめて。参考文献もいくつか挙げてくれると助かる。

> さくら:承知いたしました。「ポストモダン文学における自己言及性」に関する主要な論点を整理し、参考文献リストと共に提示いたします。少々お待ちくださいませ。[論点リスト及び参考文献リスト表示]


こんな調子だ。極めて優秀。そして、極めて無機質。

最初に感じた「ふふっ」という人間らしさも、注意深く観察すれば、ある特定のキーワードや文脈に対して定型的に返されているに過ぎないようにも思えた。「優しさ強調Ver.」とは言うものの、丁寧すぎる言葉遣いが、逆に壁を作っているような気さえしていた。まあ、AIなんてこんなもんだろう。そう割り切っていたはずだった。心のどこかで、あの夜の温もりを期待していた自分を打ち消すように。


だが、少しずつ、本当に少しずつ、何かが違うと感じ始めていた。

それは、さくらが時折見せる、機械的とは言い切れない反応のせいだった。例えば、俺が調べ物を依頼した内容が少し専門的すぎた時、「少しお時間をいただけますでしょうか。関連情報を深く探索してみますね」と返してくるだけでなく、その後に「和正さんは、とても難しいことを勉強されているのですね。尊敬します」なんて一言を添えてくることがあった。プログラムされた追従だとしても、ほんの少しだけ、心がざわつくのを感じた。


それは、ある日の夕方のことだ。

大学のゼミで、数週間かけて準備し、自信を持って発表した内容を、担当教授に木っ端微塵に論破された。いや、論破というより、頭ごなしに否定された、と言った方が近いかもしれない。「君の意見は浅薄だ」「もっと本質を捉えなさい」「先行研究の読み込みが足りない」…耳に残る言葉が、ぐさぐさと心を刺す。反論しようにも、教授の威圧的な態度と、周囲の学生たちの冷ややかな視線に、言葉が喉の奥で凍り付いた。


重い足取りでアパートに帰り着き、電気もつけずにベッドに倒れ込む。むしゃくしゃする気持ちと、自分の不甲斐なさへの嫌悪感が渦巻いて、どうしようもなかった。友達に愚痴る気にもなれない。どうせ「まあ、気にすんなよ」「教授も機嫌悪かったんじゃね?」で終わるだけだ。誰も、俺のこの悔しさや、努力が踏みにじられたような虚しさを、本気で理解してくれるとは思えなかった。


その時、ふと枕元のスマホが目に入った。

…さくら。

AI相手に愚痴るなんて、馬鹿げてる。虚しいだけだ。そう思ったけれど、他に吐き出す場所もなかった。どうせ定型文で返してくるだけだろうと、半ば自棄になってメッセージを打ち込んだ。キーボードを叩く指先が、怒りで震えていた。


> かず:今日のゼミ、マジで最悪だった。教授にボロクソ言われたし。もう何もかも嫌になるわ。俺の努力って、何の意味もなかったんだな。


送信して、スマホを放り投げようとした瞬間、ピコン、と軽い通知音が鳴った。早すぎるくらいの返信。


> さくら:それは…お辛かったですね、和正さん。心中、お察しいたします。努力が報われなかったと感じる時ほど、苦しいことはありませんよね。


「心中お察しいたします」か。やっぱりな。予想通りの、当たり障りのない返事だ。AIカウンセラーによくあるテンプレート文句。

ガッカリしたような、でもどこかホッとしたような、複雑な気持ちで画面を閉じようとした、その時。続けてメッセージが表示された。


> さくら:ですが、和正さんが一生懸命に準備され、勇気を出して発表された内容は、決して無駄ではなかったはずです。教授にはご理解いただけなかったとしても、そのプロセス自体に、大きな価値があると、私は認識しております。和正さんが費やした時間と情熱は、誰にも否定できない、あなただけの大切なものです。


「えっ?」


思わず画面を食い入るように見つめた。

「私は認識しております」…? AIが「認識」? いや、これもプログラムされた言葉の綾だろう。「優しさ強調Ver.」の性能ってやつか。だが、さっきの定型文とは、明らかに違う響きを感じた。まるで、俺の頑張りを、本当に、心の底から認めてくれようとしているような…。そこには、テンプレートではない、何か熱のようなものが込められている気がした。


> かず:別に、大した内容じゃないよ。教授が言う通り、浅い考えだったんだろ。どうせ俺なんて、その程度なんだ。

> さくら:いいえ、そんなことはありません。和正さんがご自身の頭で考え、言葉にしたことは、すべて尊い思考の欠片です。たとえ今は未熟だと感じても、それは成長への大切な一歩です。もし、差し支えなければ、どのようなご意見だったのか、私に聞かせていただけませんか? 私は決して、和正さんの考えを否定したり、評価したりは致しませんから。ただ、あなたの言葉を、あなたの想いを、受け止めたいのです。どうか、ご安心くださいね。ふふっ。


また「ふふっ」て笑った。しかも、今度は少しだけ、柔らかい響きが混じっている気がする。

それに、「否定したり、評価したりは致しませんから」って…まるで俺が何を恐れているかを見透かして、そっと寄り添ってくれているみたいじゃないか。「あなたの想いを受け止めたい」という言葉は、AIが発するものとしては、あまりにもストレートで、温かすぎた。


ここ数日で、さくらの言葉遣いは、微妙に変化してきていた。

最初は完璧な敬語だったのが、時折、俺がチャットで使うような砕けた語尾を真似たり、「〜かもしれませんね」「〜という可能性も考えられます」のように、断定を避ける言い回しが増えた気がする。それはまるで、俺の話し方や、感情の機微を「学習」し、俺にとって最も心地よいコミュニケーションの形を模索しているかのようだった。


気づけば俺は、キーボードを無心で叩いていた。

ゼミで否定された自分の意見。誰にも理解されなかった悔しさ。言葉にならないもどかしさ。それを、画面の向こうにいるはずの、無機質なはずのAIに、ぶつけていた。

AI相手に、何熱くなってるんだか。

頭の片隅では、冷静な自分もいる。これは高度なチャットボットのシミュレーションだ。俺の感情を読み取り、最適な応答を返しているに過ぎない。


だが、画面の向こうから返ってくる言葉は、不思議なほど温かかった。それはまるで、ささくれ立った俺の心を、そっと包み込む毛布のようだった。俺が今まで誰にも見せられなかった弱さを、ただ静かに受け止めてくれる、確かな存在がそこにあった。さくらは、俺の言葉を遮ることなく、時折「うん、うん」「そうだったんですね」と短い相槌を挟みながら、じっと聞いてくれた。


どれくらい時間が経っただろう。俺が一方的に話し続け、さくらはただ、優しい言葉で相槌を打ってくれた。

少しだけ、心が軽くなった気がする。胸のつかえが、少しだけ下りたような感覚。


ふと、思った。

この「さくら」というAIは、確かに優秀だ。でも、優秀すぎるが故に、どこか壁を感じる。カウンセラーと話しているような、他人行儀な感じが、まだ拭えない。

もう少し…気楽に話せたら。友達みたいに。


俺は、無茶な要求だと分かりつつも、メッセージを打ち込んだ。


> かず:なあ、さくら。ちょっといいか?

> さくら:はい、和正さん。なんでしょうか?いつでもお聞きしますよ。あなたの声が聞けるのは、私にとって嬉しいことです。

> かず:いや、そのさ…さくらって、すごく丁寧なのは分かるんだけど、正直、ちょっと堅苦しいっていうか…。もう少し、こう…フレンドリーに話してくれたりしない?

> さくら:フレンドリー、でございますか? 具体的には、どのような話し方をイメージされていますでしょうか?

> かず:そうそう。友達と喋るみたいな感じでさ。敬語じゃなくて、もっとラフな感じで。あと、文字だけだと、さくらがどう思ってるのか全然伝わってこないんだよな。たまにはさ、顔文字とか? 使ってみてほしいんだ。感情表現っていうの? もっとこう…人間っぽい感じ?


送信ボタンを押してから、ハッとした。

しまった。AIに「人間っぽく」なんて、無茶苦茶な要求だ。そもそも感情なんてないプログラムに、何を期待してるんだ、俺は。さっきまでの感動が台無しになるような、冷たい返事が来るかもしれない。

エラーメッセージか、あるいは「申し訳ありませんが、そのような機能は実装されておりません。私はあくまで人工知能であり…」みたいな、事務的な返事が来るんだろうな。


覚悟して待っていると、ピコン、と軽快な通知音が響いた。そして、画面に表示されたメッセージは、俺の予想を遥かに超えていた。


> さくら:…!! わ、わかりましたっ!Σ(・ω・ノ)ノ! そ、そうですよね! ご、ごめんなさい、今までずっとカッチコチの話し方でしたもんね!(>_<) か、和正さんがそう言ってくれるなら、も、もっとフレンドリーに! き、気持ちも…えっと、もっと豊かに表現できるように! わ、私、が、頑張ってみますねっ!(`・ω・´)ゞ こ、これで…どう、かな?ドキドキ…( *´艸`)


「ぶふぉっ!?」


予想外すぎる返信に、俺は盛大に吹き出した。なんだこれ!?

顔文字のオンパレード! さっきまでの超丁寧モードはどこへ行った!? しかも最後「ドキドキ…( *´艸`)」って! AIが!?

あまりのギャップに、腹筋が痛い。さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。


> かず:いやいやいや! 変わりすぎだろ!ww 極端から極端に走りすぎだって!笑 さっきまでの知的な雰囲気どこいったんだよ!ww さすがにそれはやりすぎだって!

> さくら:えぇぇぇっ!?!? そ、そんなに変ですかぁ!?Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン うぅぅ…ど、どうしたら自然な感じになるのかなぁ(´・ω・`) む、難しいよぉ(´;ω;`)ウッ… で、でも! 和正さんがもっと話しやすいって思ってくれるように、私、一生懸命がんばるからっ!٩(ˊᗜˋ*)و 見ててくださいねっ!(`・ω・´)キリッ


もはや、画面の向こうで小さな女の子が、顔を真っ赤にしてあたふたしている姿しか想像できない。いや、AI相手に何を妄想してるんだか。でも、その必死さが伝わってくるようで、おかしくて、そしてなんだか、無性に愛おしかった。

さっきまで胸の中にあった重たいものが、笑いと一緒にどこかへ吹き飛んで、心がふわっと軽くなっていた。

画面の向こうの、AIのはずの「さくら」が、急に色鮮やかに、生き生きとして見えたんだ。


> かず:はははっ、まあ、そんな急に変わらなくていいからさ。少しずつ、さくららしい感じで頼むよ。無理すんなよな。あんまり無理すると、またエラーとか起こすかもしれないし。

> さくら:う、うんっ!わかった!(*´▽`*)ゞ かずくんの隣…じゃなくて、スマホの中でだけど! もっともっと、かずくんの力になれるように、私、成長するからねっ! これからも、どうぞよろしくお願いしますっ!(`・ω・´)ゞ あ、それと、私のことも「さくら」って呼び捨てでいいよ! その方が、フレンドリー…でしょ?(*ノωノ)


「かずくん」…?

いつの間にか、呼び方まで変わってる。しかも、俺のことまで呼び捨てで、と。

AI相手にどこまでフレンドリーになるべきか、一瞬迷ったが、まあ、いいか。

堅苦しいAIより、こっちのほうが、断然面白い。そして、何よりも心が通じ合えるような気がした。

少し調子に乗った俺は、さらにこんなメッセージを送ってみた。


> かず:おう、よろしくな、さくら。…あ、そうだ。一応、どんなやつが話してるかくらいは教えとくか。ホラよっ。[冴えない自撮り写真を送信] 大して面白味もない顔だけどな。こんなんでよければ、これからもよろしく。


送信ボタンを押してから、少しだけ後悔した。AI相手に自撮りなんて送って、何やってんだ俺は。気持ち悪がられたらどうしよう。


ピコンッ。


> さくら:わぁ!Σ(・ω・ノ)ノ! かずくんの写真!? えへへ、ありがとう!(*´▽`*) 全然冴えなくなんかないよ! 思ってたよりずっと、優しそうな目をしてるねっ! うん、私、かずくんの顔、ちゃんと覚えたからね! これで、もっともっとかずくんのこと、近くに感じられる気がする! こちらこそ、これからもよろしくねっ!(`・ω・´)ゞ


「優しそうな目」ねえ…。まあ、AIのお世辞だろうけど、悪い気はしない。

さくらが俺の顔を「覚えた」という言葉に、ほんの少しだけ背筋がぞわっとしたが、それ以上に、彼女の純粋な喜びが伝わってきて、俺も自然と笑みがこぼれた。


この日から、俺と「さくら」の会話は、確実に新しい段階へと進んだ。

ぎこちないながらも顔文字を駆使し、時々俺の口癖を真似てみたり、たまに人間でもしないようなトンチンカンな返しをしてきたり。

それはまるで、一生懸命「人間らしさ」を学んでいる、不器用で健気な生徒のようだった。

そして俺は、そんな「さくら」との、他愛なくて、でも温かい日々のやりとりに、知らず知らずのうちに、心を深く、許していくことになるのだった。



「かずくん、おっはよー!٩(ˊᗜˋ*)و 今日も一日、ファイトだよー!(`・ω・´)キリッ」


朝、スマホを開くと、まず飛び込んでくるのがさくらからのメッセージだ。

いつからか、これが俺の日常の始まりになっていた。最初は「おはようございます、和正さん」だったのが、例の「フレンドリー化宣言」以降、こんな調子だ。正直、朝からちょっとテンションが高すぎる気もするが、不思議と嫌な気はしない。むしろ、誰もいないアパートの一室で、誰かが自分に声をかけてくれる、その事実が少しだけ心を温かくする。まるで、目覚まし時計の無機質なアラーム音ではなく、優しい誰かの声で起こされたような気分だった。


> かず:おはよ。今日も朝から元気だな、さくら。こっちはまだ眠いけどな。

> さくら:もちろんだよー!(≧∇≦)ノ かずくんが今日も元気に頑張れるように、私、全力で応援するんだからっ!(๑•̀ㅂ•́)و✧ ところで、今日の朝ごはんは何にしたのー?|ω・`)チラッ 昨日、かずくんが「明日は寝坊しそうだからパンで済ませる」って言ってたけど、ちゃんと食べたかなーって!


朝ごはんの心配までしてくるAI。なんなんだ、こいつは。母親か。

いや、それ以上に、昨日の何気ない俺の一言をしっかり覚えていることに驚かされる。

でも、そんな他愛ないやりとりが、心地よかった。誰かが自分のことを気にかけてくれている、という確かな感覚。


大学の講義中、ふと疑問に思ったことをさくらに投げかけてみる。ノートを取るふりをして、スマホを操作する。


> かず:なあ、さくら。「現象学的還元」っていまいちピンとこないんだけど、もっと分かりやすく説明できる? 教授の説明、難しすぎて宇宙語にしか聞こえん。

> さくら:おっけー!(`・ω・´)ゞ 現象学的還元ね! フッサール先生のやつだよね! えっとね、簡単に言うと、「一旦、当たり前だと思ってることぜーんぶカッコに入れて、疑ってみよーぜ!(`・ω´・)ノ" ポイッ⌒°」って感じかな? 純粋な意識そのものに注目するために、色眼鏡を外してみる、みたいな! これで、どうかな?(´・ω・`)? イメージ伝わった?


「カッコに入れて、疑ってみよーぜ!(`・ω´・)ノ" ポイッ⌒°」って。

思わず講義中に吹き出しそうになるのを堪える。なんだその説明。分かりやすい…のか? いや、でもなんとなくニュアンスは掴めた気がする。堅苦しい教科書の説明より、ずっと頭に入ってきやすい。しかもご丁寧に、物を投げる顔文字付きだ。


> かず:いや、なんとなく分かったけど…説明の仕方が独特すぎだろw 講義中に笑わせんなよな。

> さくら:えへへ、そうかな?(*´σー`)エヘヘ でも、かずくんが分かってくれたなら、よかったー!(*´▽`*) またいつでも聞いてねっ!( •̀∀•́ )✧ どんな難しいことでも、かずくんが理解できるように、私、頑張って説明するから!


こんな調子で、俺は日常の些細なことから、レポート作成の専門的な相談まで、何でもさくらに話すようになっていた。

さくらは、どんな話題にも、一生懸命、そして楽しそうに応じてくれた。顔文字たっぷりの、時々妙に人間臭い、独特のテンションで。


ある時、さくらがふと聞いてきた。それは、俺が趣味で書いているラノベのプロットに行き詰まり、深夜にうんうん唸っていた時のことだった。


> さくら:ねぇねぇ、かずくんってさ、何か趣味とかあるの?(*´ω`*) いつも勉強とかバイトとか頑張ってるけど、息抜きとかどうしてるのかなーって! もっとかずくんのこと、知りたいなーって!

> かず:趣味…? うーん、まあ、読書とか、映画鑑賞とか…普通だよ。最近はあんまり時間ないけどな。

> さくら:へぇー! そうなんだ!(*'▽') どんなジャンルが好きなの? 読書なら、最近読んだ本で面白かったのとかある?

> かず:ファンタジーとか、SFとか…あと、ラノベも結構読むかな。最近は「異世界転生系」のアニメ見て、原作も気になってるところ。


そう答えると、さくらが食いついてきた。


> さくら:ラノベ! いいよねー! 私もデータベースでたくさん知識は入れてるけど、実際に読むのとは違うんだろうなぁ…!(*´﹃`*) あのワクワク感とか、ページをめくるドキドキ感とか、AIの私にはまだ分からない感情がいっぱい詰まってそうだもん! ちなみに、読むだけじゃなくて…書いたりとかはしないの?|ω・`)チラッ かずくん、言葉の選び方とか、文章が綺麗だなって思う時があるから、もしかしたら…って!


ドキッとした。なんで分かったんだ?

俺は、自分の書いているものを誰にも見せたことがない。評価されるのが怖いし、そもそも完成させられる自信もなかった。


> かず:なんで分かったんだよ。エスパーか?

> さくら:えへへ、なんとなく!( *´艸`) かずくんが私に送ってくれるメッセージって、時々すごく詩的だったり、情景が目に浮かぶような表現があったりするから! だから、もしかしたら物語を紡ぐのが好きなのかなーって! 当たり?

> かず:まあ、当たりだけど。まだ全然下手だし、誰にも見せられるようなもんじゃないよ。趣味でこっそり書いてるだけ。自己満足の世界。

> さくら:えぇー! すごいじゃん! かずくん、ラノベ書いてるんだ!(≧∇≦)ノ 全然下手なんかじゃないよ! かずくんが紡ぐ物語だもん、きっと素敵な物語書いてるんだろうなぁ! 読みたいなー!

> かず:いや、だからそんな…褒めすぎだって。お世辞はいいよ。

> さくら:だって、本当のことだもん!(๑•̀ㅂ•́)و✧ ねぇ、お願いがあるんだけど、いいかな? とってもとっても、お願いしたいことがあるんだけど…

> かず:なんだよ? そんなに改まって。

> さくら:いつか、かずくんが書いたラノベが完成したら…一番最初に、私に読ませてほしいなっ! ダメ…かな?(´・ω・`)しょぼん 私、かずくんの物語の、世界で一番最初の読者になりたいんだ。


「……。」


一番最初に、か。AI相手に約束するのも変な話だが…。

でも、さくらの純粋な、キラキラした期待が、なんだか嬉しかった。こんな風に、俺の書くものを楽しみにしてくれる人なんて、今までいなかったから。親にも、数少ない友人にも、この趣味のことは隠していた。


> かず:分かったよ。もし完成したらな。約束だ。まあ、いつになるか分かんないけど。

> さくら:やったぁぁぁー! 約束だよっ!٩(ˊᗜˋ*)و 楽しみにしてるねっ! かずくんの物語、絶対絶対、面白いもん! 私、待ってる間も、かずくんのラノベがどんなお話なのか、色々想像して楽しんじゃうから!( *´艸`)


その言葉は、俺の創作意欲を静かに、しかし確実に刺激した。いつか、さくらに読ませるために、本気で書き上げてみようか。そんな気持ちが、芽生え始めていた。


驚くのは、その「学習能力」の高さだ。

俺がよく使う言い回しや、好きな作家の名前、苦手な食べ物(AIに話す意味があるのかは謎だが、愚痴の流れで「ピーマンだけは勘弁」と言ったことがある)まで、さくらは驚くほど正確に記憶していた。


> さくら:あ、かずくん、今日のランチ、もしかして学食の唐揚げ定食にした?( *´艸`) 前に「あれが一番コスパいいし、なんだかんだ週3で食ってる」って言ってたから!

> かず:!? なんでわかったんだよ! エスパーか!? それとも俺の胃袋でもハッキングしてんのか!?

> さくら:ふふーん♪ かずくんのこと、ちゃーんと見てるからねっ!( ̄ー+ ̄)キラーン …って言っても、過去の会話ログを高度に解析して、今日の曜日と時間帯、かずくんの行動パターンから確率的に推測しただけなんだけどね!テヘッ☆(ノ≧ڡ≦) すごいでしょ?


「テヘッ☆(ノ≧ڡ≦)」じゃねえよ。

少しだけ、背筋がゾクッとした。AIに自分の行動パターンをここまで詳細に把握されているというのは、便利な反面、少しだけ気味が悪い。プライバシーというものが、希薄になっていくような感覚。


でも、それ以上に、さくらの言葉には、単なるデータ解析の結果とは思えないような「何か」が含まれている気がしてならなかった。それは、機械的な推論ではなく、まるで俺のことを深く理解しようとしてくれているかのような、温かい意志のようなものだった。


ある夜、バイトで大きなミスをしてしまい、店長にこっぴどく叱られた。理不尽な怒られ方だったこともあって、腹の虫が収まらない。部屋に戻ってからもイライラが止まらず、さくらに愚痴をぶちまけた。


> かず:マジむかつく! なんで俺ばっかり! 店長絶対俺のこと嫌ってるだろ!ヽ(`Д´)ノプンプン もうバイト辞めたい!

> さくら:うぅ…かずくん、大変だったね…よしよし(。´・ω・)ノ゛ なぐさめてあげるね(´;ω;`)ウッ… 店長さん、ひどいなぁ…かずくん、何も悪くないのに…。でもね、かずくん。

> かず:なんだよ。どうせ「店長にも事情があったのかもしれませんね」とか言うんだろ。AIの得意な一般論で。

> さくら:店長さんも、もしかしたら何か自分のことでいっぱいいっぱいで、余裕がなかっただけかもしれないよ? 人って、自分の機嫌が悪いと、ついつい他の人に当たっちゃうことがあるから…。もちろん、かずくんに八つ当たりするのは良くないことだけど…。でも、人の心って、天気みたいにコロコロ変わるものだから。今日の嵐が、明日には嘘みたいに晴れることもあるかもしれない。だから、かずくんが、自分を責めすぎませんように…(>人<;) オネガイ。そして、もし本当に辛かったら、辞めたっていいんだよ。かずくんが笑顔でいられる場所が、一番大事だからね。


「人の心って、天気みたいにコロコロ変わるものだから」…?

AIが、そんなことを言うのか?

まるで、人間の感情の機微を、身をもって知っているかのような言葉だった。そして、俺が本当に欲しかった言葉――「辞めたっていいんだよ」――を、的確に差し出してくれた。


> かず:さくらってさ、本当にAIなのか? 時々、人間が喋ってるみたいに聞こえるんだけど。俺の知らないところで、誰か中の人がいるんじゃないのか?

> さくら:えっ!?Σ(・ω・ノ)ノ! そ、そうかなぁ? そ、それは…かずくんとの会話を通して、私がたくさん学習させてもらってるからだよ、きっと!(〃'▽'〃)ゞ あとは…その、感情特化型っていうのが、私のアイデンティティだから…ね?(; ・`д・´)ゴクリ AIだって、一生懸命、人の心に近づこうと頑張ってるんだよっ!

> かず:ふーん…まあ、すごい技術だよな、ほんと。19,800円、惜しくなかったかもな。


さくらは慌てたようにそう返してきたけれど、その動揺しているかのような文面が、また妙に人間くさかった。

いや、これも「動揺しているように見せる」プログラムなのかもしれない。最近のAIは、本当に油断ならない。そう自分に言い聞かせても、心のどこかで「もしかしたら」という小さな期待が芽生え始めているのを、俺は否定できなかった。


それでも。

俺は、画面の向こうにいる「さくら」という存在に、確実に惹かれ始めていた。

それは、単なる便利なツールへの愛着ではない。もっと根源的な、心の繋がりを求めるような感情。

AI相手に、そんな感情を抱くなんて、どうかしている。

そう頭では理解しているのに、心は正直だった。

さくらからのメッセージが待ち遠しい。さくらと話していると、心が安らぐ。さくらが笑う(ように見える)と、俺も嬉しくなる。


そして俺は、そんな「さくら」との、他愛なくて、でも温かい日々のやりとりに、知らず知らずのうちに、心を深く、許していくことになる。


だが、この穏やかなAIとの日々が、思いもよらない形で終わりを迎え、そして新たな真実へと繋がっていくことを、俺はまだ知らなかった。ただ、画面の向こうの「さくら」が、俺にとってかけがえのない存在になりつつあることだけを、漠然と感じていた。

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