少女の襲来

(ふうん……。

 また、迷宮からの配達リクエストか)


 このチカマチに存在する迷宮――正確にはチカマチそのものも迷宮の一部だが――の浅い階層(··)へ配達してきた翌日。

 いつも通りハンバーガーチェーンの前へ出動したヤマトは、アプリに表示されるいくつもの未達リクエストに、鼻息を鳴らした。


 未達のリクエストは、いずれも一箇所にスタックされており……。

 一見すると、積まれたカジノチップか何かのように思える。

 どれも配達先は、迷宮内部。

 階層はまちまちで、地下二階や三階など、自力で戻ってくればよいだろう近場からのリクエストもあれば、地下10階など、まあまあそれが面倒だと分かる深さの階層も含まれていた。


 いずれも共通しているのは、引き受ける人間がいないことから、報酬が吊り上げられているということ。

 配達業界で俗に言うマグロ案件。

 しかも、このマグロはサビキ釣りで一気に引き上げることが可能なのだ。


(こうなると、体が一つしかないのを恨めしく思えるな)


 自他ともに認める鉄面皮のヤマトであるが、感情がないわけではないし、報酬が上がるのは普通に嬉しい。

 大儲けの予感を覚えながら、ひとまず、より深い階層のリクエストから処理すべく、アプリを操作したのだが……。


「……ん?」


 ピクリ、と、その眉が動く。

 例えば、故郷の迷宮でしょっちゅう感じていたような危険の予兆。

 言葉では言い表しがたい第六感めいた直感が、この時ひらめいたのだ。

 そして、いつも通り……この感覚が、ヤマトを裏切ることはなかった。


 ――ドドドドドドドドドドッ!


 故郷がダムに沈む前、シゲゾウさんちの牛が集団脱走した時のような……。

 連続した足音が、かなたより響き渡る。

 だが、あの時と今との違いは、この足音を発しているのが、集団であるか、単独であるかということ……。

 そして、足音を鳴らしているのが、蹄であるか、革靴であるかということであり……。


「――スタアアアアアアアアアアップ!」


 何より、足音の主が偶蹄目ではなく、可愛らしい声を張り上げた女の子であるということであった。


「君は……?」


 そうつぶやきながらも、ヤマトの優れた動体視力は、なかなかの速度――全速力の大型オートバイくらいだ――でこちらに迫る少女の特徴を、余さず捉える。

 青みがかった黒髪は、背の中ほどまで届きそうな長さのポニーテールとなっており……。

 薄灰色の瞳は星が瞬くようなきらめきを宿していて、ひどく印象的であった。

 身長はやや低くめ……150センチといったところだろうか。

 小柄な体をどこぞの制服で包んでいることから、これは女子高生であると判断できる。

 ただし、直撃すれば樫の木もたやすくへし折れるだろう勢いで、フライングボディアタックを仕掛けてくる女子高生ということになるが。


「――ふん」


 だが、動けぬ樫の木ならばともかく、こんなものをわざわざ食らう人間などいない。

 そもそも、仮に食らったところで、痛くもかゆくもないだろう。

 ただし、その場合、年頃の女子と抱き合うような形になってしまうため、やはり回避する以外の道はないわけだが。


「――よっ」


 と、いうわけで、少女の突進は地に低く伏せることで回避。

 当然、相棒であるマウンテンサイクルも片手で横倒しにし、ダメージが入らぬよう配慮している。

 故郷の迷宮で手に入れた素材がふんだんに使われているこいつは、女子高生の体当たりくらいで傷が付いたりはしないが、大事に扱って損はないのであった。


「――うおっ!?」


「――なんだっ!?」


 ヤマトがそこまでの回避動作を終えたところで……。

 ようやく、周囲で待機している他の配達員たちも、少女の体当たりに気付く。

 やけに反応が遅いが、これはおそらく、配達リクエストが入るまでの間、じっとスマートフォンを眺めているのが原因だろう。

 やはり、婆様が言っていた通り、ピコピコはほどほどにしておくのが一番なのだ。


 このままいけば、地に伏せたヤマトを飛び越え、背後にいる配達員へ強烈な空中体当たりをぶちかますだろう女子高生だが……。


「――フッ!」


 彼女は小さく息を吐き出すと、空中でクルクルと前転を始めた。

 生半可な勢いであれば、飛び出した勢いのままだったであろう。

 だが、少女の前転はなかなかのものであり、その動きによって生み出された風圧が、十分な制動効果を生み出している。

 余談だが、そのようにアクロバティックな動きを披露しつつもミニスカートはピタリと片手で押さえつけられており、女子高生という生き物のたくましさを知ることができた。


「――シュタッと着地」


 さして高機能でもないだろうローファー履きで着地音すらしないのは、関節のやわらかさゆえだろう。

 見事な着地を決めると同時に立ち上がり、スカートの裾を直す少女の姿に、周囲の人間が拍手を送った。

 それを見て……。


「……うん」


 やや遅れながらも、立ち上がって拍手を送るヤマトだ。

 思いっきり自分を狙った軌道であったし、拍手などするいわれはないように思えるが、周囲のクーバー配達員も観光客もこぞって拍手をしているのだから、それに従うべきだろう。

 都会の風習というものは、摩訶不思議なのだ。


「どーも、どーも」


 すると、女子高生の方も周囲に向けて手を振って返す。

 しかも、スマートフォンのカメラを向けられれば、キメポーズやウィンクで返す堂の入り方だ。

 ……ひょっとしたら、女子高生の格好をした女芸人か何かなのだろうか。


「いや……」


 ここで、ふと気付く。

 この子は確か、昨日……。


「あ、中華そばの」


「そうだよー! 昨日ぶり!

 よかったら、一緒にお茶でもしない」


 言いながら、瞬時に間合いを詰めてきた少女が、まばたきの間に肩を組もうとしてくる。

 その意図はわからないが、衆人環視の中で女子高生と肩組みするなんて恥ずかしいので、これはひょいと避けた。


「――――――――――ッ!?」


 ショックを受けたような顔になる女子高生の少女。

 一体、何がそこまで衝撃的だったのだろうか?

 ひょっとして、避けるのは失礼だったか?

 都会では、これくらい普通だというのだろうか?


(いや……そんなはずがないな)


 すでに、上京してそこそこ日が経っているヤマトだ。

 都会は進んでいるといっても、程度があるというくらいのことは、承知している。

 少なくとも、欧米の映画で見たようにハグで挨拶するような文化は、東京にはないはずだった。


(となると……どうして、この人は俺と肩を組もうとしてくるんだ?)


 自然体で腰を落とし、いかなる形にも対応できる姿勢となりながら、小首をかしげる。


 ――じり。


 ――じりり……。


 ……と、少女の方も腰を落とし、すり足になっていた。

 こちらの隙をうかがい、再度の肩組みアタックを仕掛けるつもりなのだ。


(考えろ……この人と俺の接点は、昨日中華そばを届けたということだけだ。

 その程度の間柄だというのに、いきなり肩を組もうとしてくる理由……。

 そんなもの、あるのか……?)


 かつてないほどに追い込まれたヤマトの頭脳がきしみ、悲鳴を上げ始める。

 もとより、難しいことを考えるのに向いている性質ではないのだ。

 だが、追い込まれることで限界を超えるのもまた、人間という生き物の本質……。


(――はっ!?

 そうか! そうだったのか!)


 この瞬間、ヤマトは少女の狙いを看破した。


(この子は、きっとクーバーの配達員になりたいんだ!)


 ハッキリ言おう……。

 ヤマトは、プロのクーバー配達員だ。

 いや、配達パートナーに玄人も素人もないが、少なくともランクは最高だし、故郷からずっと培ってきた経験がある。

 梱包の丁寧さといい、運ぶ時の真っ直ぐな姿勢といい、この都会においてさえ、自分ほどの配達員はいないと自負していた。

 しかも、いざとなれば『配達一閃』があるのだ。


 そんな自分を見て、小遣い稼ぎしたい女子高生が師事したがるのは、十分にあり得る話だった。

 何しろ、あんな初心者向けの階層に潜り、モンスター退治をしているのである。

 きっと、ドロップ品を生活費に当てているのだろう。

 とすれば、この子は苦学生で、より割のいい仕事を求めてクーバー配達員になりたがっている可能性があった。


(でも……高校生は配達パートナーになれないんだ)


 思わず、哀れみの目を向けてしまうヤマトだ。

 規約に明記されているとはいえ、世の中、そういった細々した文章に目を通す人間ばかりではない。

 きっと、そのことを知らないのだろう。


(なら、教えて断らないとな。

 君の師匠には、なれないって)


 ついに、結論が出た。

 なお、ここまで少女は都合17回の再肩組みアタックに及んでおり、その全てをヤマトはかわし、いなしている。


「……分かった。

 肩は組まないけど、別の場所で話そう」


「はあっ……はあっ……。

 うん、なんかムキになっちゃったけど、肩を組む必要はなかったね。

 ところで、どうして哀れみの目を向けてるのかな?」


 運動不足なのだろう。

 肩で息を切らした少女が、そう言いながら複雑な笑みを浮かべた。

 そういえば、だが……。

 ギャラリーとなっている人々は、ヤマトと少女が技の応酬を繰り広げる間、ポカンとしていたものである。

 ……どうしてだろうか?

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