死して尚、俺はここにいる

新田光

前編

「っく、なんだよ」


 悪態を吐きながら、俺──葉加瀬玲はかせれんは、ぐわんぐわんになった視界を元に戻そうと懸命に振るまう。


 頭がぼーっとし、脳機能がスッポリと抜け落ちたように感じる。それに、体が謎の浮遊感に苛まれ、自分の体が自分の物じゃないようだ。


 天に昇ったみたいに摩訶不思議な感覚に襲われていると……視界に映る情景に違和感を覚えた。


(なんで見下ろす形なんだ……)


 ビルの屋上から景色を見下ろすみたいに、豆粒みたいな人の影を見ている。


 寝起きのように寝ぼけている視界は徐々に明瞭になっていき、世界が再構築されていく。


 そこで俺は衝撃的な光景を目の当たりにした。


「お兄ちゃん! なんで! なんで! いやー!」


みお……)


 何かに寄りかかりながら、最愛の妹が泣きじゃくっていた。


 いつもの冷淡な様子とは打って変わり、周りなど気にしない声量で咽び泣いている。


れい


れいちゃん」


 両親も同じ表情で、周りの人たちもしんみりとした顔をしていた。


(どうしたんだよ、一体)


 混乱する頭を振り、冷静に辺りを見渡していく。すると、ふと周りの人の服に目がいった。


 全員が似たような黒い服を着ている……おそらく、喪服だろうか。


(いや! そんなことはない)


 嫌な予感が頭をよぎり、れいは全てを否定しようとさらに周りを観察していった。


 だが、自分の予想を否定できない決定的な証拠が見つかってしまった。


 仏壇。そこに自分の顔写真が乗せられていた。


(う、そ、だ……嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!)


 信じられない現実を前に、俺はパニック状態に陥った。


(俺は、俺は……死んだんのか……)


 今の自分が魂だけの存在であることを理解する。それならば、この浮遊感も納得できるし、見下ろす形の視界になっているのも納得だ。


 だが、自分が死んだことだけは納得できない。


 彼はまだ十七歳。


 人生はこれからだと言うのに……落命してしまった。


 やりたこともたくさんあるだろう。


 なのに、無情にもその選択権は奪われた。


 確かに、碌でもない人生だったかもしれない。


 学校には惰性で行き、家では何もせずゴロゴロとしているだけ。家の手伝いはしないし、勉強やスポーツが特別できたわけでもない。


 なんの取り柄もないのに、一丁前に保身だけは行う。そんな人生だった。


 それでも生きる資格くらいはあるだろう。


 自由に生きる資格くらいはあってもいいだろう。


(それなのに……)


「なんで! なんで死んじまうんだよ! れい!」


 そう思っていると自分の名前を呼ぶ男性んの声が耳に入ってきた。


 そこには悲痛な叫びも混ざっていたのだろう。


 一番の親友である根岸洋平ねぎしようへいは涙を流しながら、俺に悲しみを宿した罵倒を浴びせ続けていた。


洋平ようへい


 彼はクラスのムードメーカー的立場にあった。


 それに加え、高身長で多才。誰もが羨む人物だ。


 俺はいつも嫉妬していたし、それは態度に出すくらいだったから、俺自身嫌われているとも思っていた。


(こんなに思ってもらえていたなんて……ごめん)


 届かない声を紡ぎ、もう言えない言葉を友にかけていく。


 怒りをぶつけている洋平ようへいの肩に触れようとすると……スッとすり抜けていってしまい絶望した。


 触れられない事実。俺は魂だけの状態になってしまった。


 同時に頭痛に襲われた。


 すると……人生最期の瞬間が頭の中に鮮明に蘇ってきた。


 あれは確か、コンビニにアイスを買いに出かけようとしていた時だ。


 猛暑日で茹だるような暑さだったから、無性にアイスが食べたくなったのだ。


 それで目的のコンビニに行くために、横断歩道を渡ろうとしたら、信号無視の車が突っ込んできて……今に至る。


 今の記憶で全てを思い出した俺は、ショックで視界が暗転した。


「お兄ちゃん、悪口ばっかり言ってごめなさい。キモいとか言っちゃったけど、本当は大好きだったよ」


「お兄さん、こんな俺に優しくしてくれて嬉しかったです。本当の兄のように慕っていました」


 気づくとみおと一緒に男性の声が聞こえてきていた。


(彼は確か、みおの彼氏の……花宮薫はなみやかおるくん)


 長髪に金髪でいかにもチャラ男という雰囲気を醸し出していたが、しゃべってみるととても優しく、こんな自分にも丁寧に接してくれた。


 確か家族と仲が悪く、心を分かち合える肉親が欲しかったとも言っていたような。


 今は正装をしているので、いつものような外見ではないが、彼の優しい心根は健在のようだ。


「では、これで最期です。お別れは済みましたか?」


 知らない人がこの場にいる人に言葉をかけ、全員が頷く。


 そこ光景を見て、俺は青ざめた。


 火葬場。それが今いるところだ。


 つまり、これで俺の肉体は本当に消えてなくなるということだ。


 その事実を見ることになってしまい、俺の心は不安定になっていく。


 火葬炉に俺が入った棺が入れられていく。


(待って!)


 あの場所に意識がないとわかっていても、自分が火葬されるという事実には耐えられなかった。


 それでもこの声は届かない。


 俺を入れた棺は火葬炉の中に入れられていき、俺の肉体は現世から完全に消えることになった。

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