第30話 正気の境界線

「結局、あの男はなんだったんだ?」


 店長がぼそりと呟く。まだ困惑が抜け切らないらしく、眉をひそめながら男が去った扉をちらりと見やる。


「ふふっ、店長の迫力に圧倒されたんじゃないですか?」


 ミカちゃんは肩をすくめながら、軽く微笑む。まるで、すべてを見越していたかのような余裕を感じさせる口調だった。


 店長は腕を組みながら小さく唸った。


「……納得いかねぇな」


 それは納得いかないよね。

 だって、私が力を使ったんだから…。

 先ほどの男が正気を取り戻したのは、転んだ衝撃でもなければ、正気に戻す薬の効果でもない。

 私が彼の記憶を操作したからだ。


 ぽりぽりと頭を掻きながら、ちらりとカウンターの上に視線を向ける。眉間には深い皺が刻まれ、今も何か釈然としない様子だ。

 しかし、すぐに気を取り直し、私の方へ顔を向けると、ぶっきらぼうに言った。


「そうだ。例の頼まれていたアイテム、持って行ってくれ」

 店長は軽く顎をしゃくると、ミカちゃんへ視線を送る。

「ミカ、菜々花ちゃんに渡してくれ」


 ミカちゃんからアイテムを受け取ると、私はそれを手のひらの上で軽く転がした。

 ずしりとした重み。冷たい感触。そして、ほんのわずかにきらめく表面。

 何だろう、この妙な質感……?

 私はじっとそれを見つめた後、ミカちゃんに顔を向ける。

「……このアイテムは、何ですか?」


 ミカちゃんはアイテムをじっと見つめた後、ゆっくりと私に視線を戻す。唇がわずかに動いたが、言葉はすぐには出てこなかった。

「菜々花ちゃんのお兄さんのために使うって……」

 彼女の声はいつもより少し柔らかく、静かだった。

「……あかねさんが言ってたよ。」

 その言葉が落ちた瞬間、店の空気がわずかに揺らぐ気がした。


 ああ、そうだ。兄を取り戻すんだ。

 疑っていたことが、今、確かなものとして目の前に突きつけられた。

 兄は——もうこの世にいない。

 胸の奥で何かが締め付けられる。わずかな希望にすがっていた時間が、たった一瞬で確信へと変わる。

 でも、同時に知った。

 兄は生き返る——その術がある。

 悲しみと安堵がないまぜになり、言葉にならない感情が波のように押し寄せてくる。

 私はただ、胸の前でぎゅっと手のひらを握りしめた。


 そうだ。京極あおいを生き返らせる。

 だから、ボクはもう京極あおいを演じるの辞めた。

 私は京極菜々花——本来の自分に戻ったんだ。

 あかねお姉ちゃんも、メイドとしてではなく、京極あかねとして……。

 父、慎吾も、執事ではなく、京極慎吾として……。


「わかったよ、ミカちゃん。心配しなくて大丈夫。」

 私は軽く微笑みながらアイテムを受け取る。

「お姉ちゃんにちゃんと渡しておくね。」


 ミカちゃんは、きっとあおいお兄ちゃんが生き返る可能性を知らないんだ。だから、こんな風に心配してくれているんだろう。

 今すぐ教えてあげたい——でも、それはまだ早い。

 確実に生き返るとは決まっていない。だからこそ、今は黙っておこう。

 それよりも、後で——生き返ったお兄ちゃんを連れて、ミカちゃんを驚かせてやるんだ。


 ミカちゃんは、じっと私を見つめた。

 その瞳には、わずかな戸惑いが浮かんでいる。

 まるで、私の笑顔が作りものなんじゃないかと疑うように——心配そうな視線を向けてくる。

 店長も同じだった。

 腕を組みながらこちらをじっと見つめる。その目には、どこか気掛かりな色が滲んでいる。

 そして、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。

 まるで、「本当に大丈夫なのか?」と問いかけるようで——


 そこで私は、まっすぐ二人を見つめ、 力強く微笑んだ。

 迷いなどない。私は、これから進む道を知っている。


 ミカちゃんは、まだ納得しきれないようだった。

 ふと、私の肩へ手を伸ばしかける。

 その仕草は、まるで「大丈夫?」と確認するように、そっと触れようとするものだった。

 でも、私は変わらず力強く微笑む。

 その様子を見て、ミカちゃんはほんの少しだけ目を細め——そして、優しく言った。

「私も店長もいるから、いつでも頼ってね。」

 温かな声が静かに店の空気を包み込んだ。


「ありがとう。でも、大丈夫。今は、あかねお姉ちゃんやお父さんもいる。それに、とても頼りになるカナタさんや華怜さんだって一緒だもの」


 そう、カナタさんは本当に頼りになる人だ。

 あの日——私がイレギュラーモンスター、ミノタウロスに襲われた時。

 カナタさんは、その強敵を一瞥し、一撃で決着をつけた。

 目の前で繰り広げられた光景に、私はただ息を呑んだ。

 圧倒的な力。揺るぎない強さ。

「こんな人がいるんだ——」

 驚きとともに、私は心の奥で確信していた。

 カナタさんなら、きっとどんな困難でも乗り越えてくれる。


 だから、私たちはカナタさんに強制的に協力をしてもらうことにした。


 そして、私は力を使った。

 記憶操作のスキルだ。

 記憶操作は、相手に触れることが条件だ。

 ミノタウロスを倒してもらった時、私は迷わずカナタさんの両手を握りしめた。

 だが、それだけでは足りない。相手の力が強大であれば、記憶操作が効かないこともある。そのため、私は必ず確認することにしている。

「ボクのことを覚えていますか?」

 カナタさんは、何かを思い出そうとしているかのようだったが、その気配は掴みきれなかった。

 だから、あかねお姉ちゃんが次にスキルを使った。

 そう、姉は私と同じ記憶操作のスキルを持つ。

 お姉ちゃんのスキルは成功した。

「ええ、思い出しました。覚えていますよ」

 カナタさんはそう口にし、私たちは本当に安堵した。

 それから、何度かスキルを重ね掛けし、


『悪役貴族カナタ公爵に仕立て上げた』


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 あとがき


 私にとって、皆さんの記憶を操作するのもの造作もないこと。

 このあと、高評価とブックマークがどっさりと……。フフフっ…。

 

読者「身体に触れることが条件では?」


作者「……忘れてた」


 作者が設定忘れてるなんて記憶操作されてるのお前じゃね?っとツッコミを入れたくなった方、ツッコミ代わりに高評価お願いします!

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