第23話-真実の愛(リリアーヌ視点)

 理想の母娘の幻想は、音もなく崩れた。


 しかし、それはまだ、予兆でしかなかった。

 続いて、怒濤のような暴力的な行いを過去視は暴くのだ……。


 ◇ ◇ ◇


 ドナルドとの縁談を実現させた立て役者は、他ならぬ私……ロルウンヌ子爵令嬢エリゼーヌだった。

 その第一歩を踏み出した夜会の日、私はある決断を下した。


 忠実な侍女ゴードが私に瓶を差し出した。

 中には、男性の自制を奪う禁忌の媚薬。情欲を煽り、理性を曇らせる魔術調合の産物。


「エリゼーヌ様。この薬は運命を動かす鍵です。この薬は大嵐のような情熱をドナルド様に駆り立てます」


 ゴードはまるで正教経典を読み上げる聖職者のように重々しく言った。


「この薬の恩恵で、ドナルド様は真実に目覚めます。ご自分がエリゼーヌ様のものであると気付かれるのです」


 戸惑いと期待がせめぎ合う中、私はその言葉をもっともだと確信した。

 しかし、まだ燻る迷いを口にすると、ゴードは即座に切り捨てるように告げた。


「選ばれるべきは、あの婚約者ではありません。天が真に祝福するのは、エリゼーヌ様という光なのです」


 私は薬瓶を見つめた。

 そして、手に取った。

 選ばれるのを待つのではなく、自ら運命を掴むのだ。

 そう自らに言い聞かせる。


 ***


 心を得るために、再配分魔法を使うという選択肢もあった。

 ユリアに向けられた愛を剥ぎ取り、私に向くよう調整し、ドナルドに戻す。

 理屈は整っていた。あとは、実行するだけ。

 

 けれど、それは……心を壊すことだった。

 

 母は「再配分された感情は劣化します。調整して操作はできる。でも、元のようには戻らないのよ」と言っていた。

 

 私は怖かった。

 まだ甘かった私は、ドナルドの心が壊れることを、何より恐れていた。

 

 ドナルドのすべてが、愛おしかったから。

 そして、私は信じていた。

 薬など使わずとも、きっかけさえあれば……。

 私が選ばれるはずだと。

 

 ……信じていた。祈るように、すがるように。

 それが嘘なら、あの夜が、呪いに変わると分かっていたから。

 

 ――私は、特別なのだから。


 その夜。

 優しいドナルドは、私と乾杯した。

 私が隙を見て媚薬を注いだグラスの飲み物を、疑いもせず飲み干した。

 

 量は、調整してあった。

 感情には干渉しない。ただ、意識を……曇らせるだけ。

 

 幻惑の中で、彼は私を受け入れた。

 

 ゴードの采配で、休憩室へと導かれた私たちは、ひととき、静かな闇に身を預けた。

 

 私は名前を呼び、彼に手を伸ばした。

 ……でも、その瞳は、私を映していなかった。

 

 それでも。

 私は信じた。

 これは運命だと。

 これは、証明だと。

 そう思わなければ、生きていけなかった。


 夜が更け、ドナルドはすべてを悟った。

 冷静な鑑定魔法で事実を確かめ、唇を固く結んで私を見た。


「媚薬……ロルウンヌ嬢、あなたがしたことは、決して許されない」


 静かな怒りが、その声にはあった。

 私は必死に弁明し、謝罪し、恋情を訴えた。

 だが、ドナルドはそれを聞き入れず、私に背を向けた。


 私は絶望しかけた。


 でも、諦めなかった。

 次の手を打つ。


 政略という道を選んだのだ。


 父に相談した。

 夜会で、フォートハイト伯爵令息ドナルドの情熱に身を任せたと打ち明ける。

 爵位を失い、孤児となったユリアよりも、子爵家の令嬢である私の方が、伯爵家の未来にとってふさわしいはずだ。

 そう、理路整然と訴えた。


 父は動いた。

 ドナルドの父と密かに会談し、私との縁談の有利さを説いた。

 そして、証拠として私とドナルドが「関係を結んだ」証しまで提出した。


 ロルウンヌ子爵家と繋がる未来か、爵位を持たぬ没落家の娘を守るか。

 その天秤は、ゆっくりと、だが確実に私へと傾いた。


 ドナルドの父は言った。


 「愛だけで、家は守れぬ」


 私はそのようにして、フォートハイト伯爵家嫡男の婚約者の座を手に入れた。


 ***


 だが、私は知っていた。

 ドナルドの心はまだユリアにある。

 婚姻を単なる「命令」とみなしている 。

 媚薬のことを訴えても、一笑に付す父親からの命令だ。

 腹立たしいだろうが、爵位を受け継ぐなら従わざるを得ないはずだ。


 それでもいいと思った。

 ドナルドの記憶のどこかに運命の夜の私が残っている限り、私は「特別」なのだと信じたかった。

 いや……むしろ、そう信じなければ、あの夜が呪いになる気がした。


 ◇◇◇


 リリアーヌはノンナを見つめた。


 ノンナの視線が一瞬ドナルドへと向けられていた。


 ドナルドは感情を示さない。

 ただ静かに微笑んでいる。

 部屋で唯一、動揺の影を見せない男だった。

 銀の光を帯びた金髪が微動だにせず、時間の外に取り残されたように佇んでいる。

 そう、心はここにはないように……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る