1. HUD-LINK、はじめてのログイン

――新学期、教室には新しい匂いが満ちている。

窓際の席。まだ使い込まれていない机に指でなぞると、微かな粉塵が光に踊った。


和泉ユウは、朝のチャイムより少し早く席についた。

昨日までは「始業式」と呼ばれていたのに、今日は「はじまりのダンジョン」に潜るような気分だ。

彼の左手首には、薄く光る小さなバンド――〈HUD-LINK〉。この春から配布された、新世代の生徒用AIデバイスだ。


【SYSTEM:初回ログインを検出しました】

【QuestMaster:ようこそ、和泉ユウ。新しいクエストを発行します】

視界の右端、まるでゲームのUIのようなウィンドウが空中に現れる。

“MAIN QUEST:クラスメイト5人に自己紹介せよ(報酬:友情ポイント10)”

“SUB QUEST:担任の先生に挨拶せよ(報酬:バッジ「はじめまして」)”

“DAILY:笑顔で登校した回数(1/1)”


現実感と非現実感が交じり合う。

「これ、本当にゲームじゃないんだよな……」

小さく呟いた声は、誰にも聞こえない。


周りでは、すでに何人かが同じように手首のデバイスを見つめている。

画面の中には、それぞれの“今日のクエスト”がポップアップされ、教室中に控えめな期待と緊張が満ちていた。


ユウは、深呼吸をひとつ。

子どもの頃からオンラインゲームの世界に逃げていた自分。

現実では、誰かに話しかけるのも、名前を呼ばれるのも、ちょっと苦手だった。

でも、手首のHUD-LINKがそっと背中を押してくれる気がした。


「まずは、となりの席の人から――」

そう決意し、ユウはおずおずと右隣を見る。

柔らかい髪の、明るそうな男子がすこし緊張した表情でこちらを見た。

「……おはよう。和泉ユウです、よろしく」

声が震える。けれど、HUD-LINKのUIに“自己紹介:1/5”のカウントが加算される。


相手は一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。

「俺、蒼馬レン。こっちこそ、よろしくな!」

レンの声は、朝の教室に小さな明るさを生んだ。

そして、UIの“友情ゲージ”がほんの少し色づく。


次は左隣の席――今度は小柄な女子がノートに何かを書いている。

ユウはまた勇気をふりしぼる。

「……はじめまして。ユウです」

「真白ハルカです」

顔も見ずに返事されたけれど、UIのカウントがまた進んだ。


自分でも不思議な気持ちだった。

“話しかける”というシンプルな行為が、HUD-LINKを通すことでちょっとしたアチーブメントになる。

まるで、現実世界そのものがRPGのフィールドに変わっていく。


(こんなふうに、少しずつレベルアップしていけるのかもしれない)

不安と同時に、微かな期待が芽生える。


その後も、後ろの席の子、前の席の子と自己紹介を続けていく。

ぎこちない会話の中にも、「よろしく」とか「ゲーム好き?」なんて言葉が飛び交う。


ついに、最後の一人。

前列の一ノ瀬ユウトは、窓の外に目を向けている。

「……和泉ユウです。今日からよろしく」

「……ああ。ユウト。一ノ瀬ユウト」

短い会話。でも、UIに“5/5”の通知と、ポップな“MISSION COMPLETE!”の文字。


【友情ポイント+10】【称号:はじめての仲間】

デバイスから小さく祝福音が鳴る。

ユウは思わず、自分でも知らないうちに笑っていた。


どこか遠くで、始業のチャイムが鳴る。

窓の外、まだ薄桃色の桜が春風に舞っている。

この教室も、そして自分自身も、少しだけ“冒険の世界”に近づいた気がした。


(これなら、なんだかやっていけそうだ――)

心の中で、そんな“セーブ”をひとつ、静かに記録した。

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