この一歩を好きになれたなら
天音おとは
1日目 私を変える少しの勇気
私の名前は、住吉沙也加。
人前で話すのは、ちょっとだけ苦手。
どちらかといえば、誰かの話を静かに聞いているほうが落ち着くタイプで、いつも誰にでも丁寧語で話してしまう。
そんな高校二年生。
でも、本当は――
誰かと、ちゃんと心で繋がってみたいって、ずっと思っていた。
胸の奥にしまったままの、淡くて小さな願い。
鏡の前では、何度も笑顔の練習をした。
「大丈夫」「平気」って、言葉にすればするほど、心の中では違うことを考えていた。
でも、それでも……誰かに「伝えたい」っていう気持ちだけは、きっと本物だったと思う。
――自分のことを、自分の言葉で、ちゃんと伝えられるようになりたい。
これは、そんな“私”の、ほんの少しの成長の物語。
それは、まだ中学三年生の春。
卒業式まで、あと数週間。クラスにも、少しずつ「終わり」の空気が漂いはじめていた。
午後の陽射しが、教室の窓から差し込んでくる。
柔らかくて、どこか切ない光だった。
沙也加は、窓際の席に座って、眩しそうに目を細めていた。
窓の向こうには、淡い桜のつぼみ。もうすぐ咲きそうな気配が、春の訪れを告げていた。
教室のあちこちで、賑やかな声が響いている。
卒業アルバムに寄せ書きをしたり、「一緒に撮ろう!」とスマホを構えたり。
記憶を刻もうとするみんなの姿が、眩しかった。
沙也加にも、何度か声がかかった。
「沙也加ちゃんも、一緒に写真、撮ろ?」
けれど――
「……ごめんなさい、今ちょっと……」
小さな声でそう答えて、うつむいた。
うまく笑えなかった。レンズを向けられると、胸がざわついて、逃げたくなった。
『私って、こんな顔なんだ……って思うのが、ちょっと苦手で……』
そんな自分を、誰にも打ち明けたことはない。
目立つことが苦手で、大人しくしていたいだけ――そう思われていたと思う。
でも本当は、ただ「自分をうまく好きになれなかった」だけだった。
その日の帰り道、学校の近くの文房具屋にふらりと立ち寄った。
店内には、新学期に向けた商品が並んでいて、どれも春色をしていた。
棚のすみに、小さなノートがあった。
くすみピンクの表紙に、銀色の箔押しで書かれた言葉。
「be honest with yourself」――自分に、正直でいよう。
その言葉が、胸の奥でちくんと光った。
『……素敵。でも、私にはまだ……』
しばらく眺めたあと、そっと棚に戻した。
自分と向き合うには、まだ少しだけ、勇気が足りなかった。
だけど――
『変わりたい。ほんの少しでいいから』
その想いだけが、小さな灯みたいに、心の奥に残った。
あれから数年が過ぎて、沙也加は高校生になった。
春。新学期の風が、制服の袖を軽く揺らす。
放課後の帰り道。
クラスメイトたちと別れて、いつものように駅前のショッピングモールを歩いていたときだった。
ふと、足が止まった。
光が差し込むショーウィンドウの奥。
ガラス越しに見えたのは、ふわりとした赤いフリルスカート。
「……わあ……」
思わず、声が漏れた。
自分でも意外だった。
だって、いつも選ぶのは、ネイビーやベージュ、グレーみたいな落ち着いた色。
ホワイトや淡いピンクは“自分に似合う”と信じた唯一の安全地帯。
それでも。
そのスカートを見た瞬間、胸の奥がきゅっと高鳴った。
――「今度の作戦会議は、“自分の内面を表現できる私服”で来ること」
顧問の先生の、その言葉が脳裏をよぎる。
「自分の内面って……私の中に、あるのかな」
自問したそのとき、ふと心に浮かんだのは、小さい頃に憧れていた“お姫さま”だった。
真っ赤なドレス、ふわふわのスカート、キラキラのティアラ。
今では恥ずかしくて誰にも言えないけれど――でも確かに、心の奥にまだ残っている。
ショーウィンドウの前で、しばらく立ち尽くしてから、そっと扉を押して店に入った。
赤いフリルスカートの前に立ち、そっと手に取る。
指先に伝わる柔らかい感触が、春風みたいに優しかった。
「……やっぱり、可愛いです」
そっと腰に当てて、鏡の中の自分を見つめる。
けれど、その視線はすぐに揺れてしまう。
「でも……派手かな。子どもっぽく見えちゃうかも……」
ためらって、スカートを元の場所に戻しかけた。
でも、数歩進んだところで、また立ち止まってしまう。
『やっぱり気になる。これを見なかったら、店にも入らなかったのに』
もう一度手に取り、タグを見る。
「……洗えるし、値段も思ったより……うん」
胸の奥にある何かが、「着てみたい」と小さく呟く。
驚いた。こんなふうに「欲しい」と思うなんて、めったにないのに。
その気持ちを、今度はちゃんと受け止めてみたくて、試着室に向かった。
薄いカーテンを閉じて、鏡の前に立つ。
少しだけ緊張しながら、スカートに脚を通す。
ふわりと裾が揺れて、優しく身体を包み込んだ。
「……あ……」
思っていたよりもずっと自然で、
思っていたよりもずっと、今の自分に近い気がした。
胸のあたりが、ふわりと温かくなる。
「ちょっとだけ……変われるかもしれません」
不意に、中学生の頃の記憶がよみがえる。
『変わりたいと思ったときから、もう挑戦は始まっているんだよ』
『沙也加ちゃんは、どっちなの?立ち止まる?それとも……』
頬がほんのり熱を帯びる。
私は――変わりたい。
「……うん。ちょっとだけ、自信、持てそう」
鏡の中の自分が、ほんの少し笑っていた。
迷いなく、レジへ向かう。
「これください!」
はっきりと、声に出して言えた自分が、少しだけ誇らしかった。
買い物袋を抱えて外に出ると、春風が頬に触れた。
『みんなの前に立つのは、やっぱり緊張するけど――』
でも、それでも、このスカートを着てみたいと思えた。
今の自分に、ほんの少しだけ、好きって言えた気がした。
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