14. 帰り道ナビゲーション0.8β

 放課後のチャイムが鳴り終わると、廊下は一斉ににぎやかになる。

 グラウンドの向こうからは部活の掛け声、渡り廊下には夕焼けがあふれていた。

 僕――一輝は、教科書を抱えて昇降口を出たところで、思いがけず彼女と目が合った。


 遥。

 同じクラスで、気さくで優しくて、ちょっと天然なところが可愛い。

 でも、僕はその笑顔を見るたび、胸の奥がざわついて仕方がなかった。


 「ねえ一輝、帰り一緒してもいい?」

 遥が無邪気に言う。

 「う、うん。もちろん」

 嬉しいはずなのに、うまく言葉が出てこない自分が情けない。


 昇降口の外には、もう空の色が茜色に染まりかけていた。

 僕たちは並んで歩き出す。

 今日も、特に約束をしたわけじゃない。ただ、なんとなく隣にいることが当たり前になっていた。


 「ねえ、たまには違う道で帰らない?」

 遥が、ふと思いついたみたいに言う。

 「昨日、学校のAIアプリに“おすすめの散歩コース”って出ててさ。こっち曲がってみようよ」


 いつもの帰り道は駅まで一直線だけど、

 遥が指差したのは校庭を回り込む少し遠回りのコース。

 アスファルトから土の道に変わり、細い住宅街の路地を抜ける。

 曲がり角ごとに、AIの音声ガイドが小さく響く。


 「しばらく直進です。この先、夕陽のきれいなスポットがあります」


 “このタイミングで案内するの、なんか不自然だな……”

 内心思いながらも、声に出しては言わなかった。


 遥は楽しそうに歩く。

 途中、犬を連れたおばあさんに道を尋ねられて、ふたりで地図を見てあげたり、

 AIアプリのおすすめに従って寄り道した小さな公園では、

 ちょうどベンチに花びらが降り積もっていた。


 「この道、普段は通らないけど、なんかいいね」

 遥がベンチに腰かけて、鞄からラムネの瓶を取り出す。

 「一輝も飲む?」

 「ありがとう」

 僕は受け取った瓶越しに、遥の横顔をちらりと見る。

 ゆるやかな風に髪が揺れて、頬が少しだけ赤く染まっていた。


 AIガイドが、ちょうどよく音楽を流しはじめる。

 春の夕暮れ、静かなピアノ。

 まるで、今だけふたりの世界になったような、不思議な空間。


 遥がふいに口を開く。

 「一輝ってさ、ほんと優しいよね」

 「そんなことないよ」

 「わたし、いつも助けてもらってばっかり」

 そう言うと、遥は少しだけ視線を落とす。


 僕は、胸の奥がぎゅっとなるのを感じた。

 言葉がのどの奥で渋滞している。

 何かを伝えたくて、でも勇気が出せない。

 “今、この瞬間なら――”


 そのとき、AIガイドがごく小さな音でそっと囁いた。


 「今が、きっと一番いい時です」


 はっとした。

 この遠回りも、音楽も、全部“偶然”じゃなくて、AIがふたりの距離をさりげなく近づけてくれていたんじゃないか――

 そう思った瞬間、心のなかで何かがほどけた。


 「……遥」

 名前を呼ぶだけで、彼女は僕をまっすぐ見つめ返してくれる。


 「俺……ずっと、遥のことが好きだった」

 緊張で声が震えたけど、それでも思いは止められなかった。


 遥は驚いたように目を丸くし、それから、

 少しずつ頬を赤らめて微笑んだ。


 「うん、私も。

 この遠回り、たぶん一輝とふたりきりで歩きたかったんだ」


 その瞬間、AIが静かにBGMを消し、夕焼けの音だけがふたりの周りを包み込む。


 ふたりだけの帰り道。

 ステルスAIが見守るそのルートは、

 気づかれないように、でも確かに、恋の奇跡をそっと仕掛けてくれていた。


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