7. フラクタル数式でプロポーズ

 放課後の教室は、誰もいない静けさに包まれていた。

 窓際の机には、陽射しが一筋、白いノートを照らしている。

 黒板の前には、理数科の男子生徒・尚人が立っていた。

 彼の手の中には、学校で導入されたばかりの最新AI端末――「グラフメーカー」。

 難しい数式をグラフィックで美しく可視化してくれる、数学好きにはたまらない相棒だ。


 尚人は何度も深呼吸をして、端末のディスプレイに指を滑らせる。

 “フラクタル”――自己相似形が織りなす美しい図形。

 今日は、この“世界で一番好きな図形”に、もう一つ大事な意味を託したかった。


 背後でドアが開く音。

 「遅れてごめんね!」

 明るい声とともに、同じクラスの咲が駆け込んでくる。

 彼女は数学部のマネージャーで、尚人の研究発表や実験のたび、いつもとなりでサポートしてくれた。


 「ぜんぜん、俺も今準備終わったとこ」

 言いながら、尚人はAI端末をホワイトボードにつなぐ。


 「今日はね、君と一緒に見てほしいものがあるんだ」

 咲が小首を傾げる。尚人は緊張のあまり、指が少し震えていた。


 ホワイトボードいっぱいに、AIが複雑な数式を投影し始める。

 見慣れない記号が次々に現れ、やがてそれが色とりどりの点や線に変換されていく。

 尚人が小声でつぶやく。


 「これは、マンデルブロ集合っていうフラクタルなんだ。

 どんなに拡大しても、必ず“似ている自分”が現れる。終わりがなくて、永遠に広がり続ける……俺がずっと憧れてる形」


 咲は、投影された図形を見つめ、目を輝かせている。

 「きれい……まるで万華鏡みたい」


 AIが尚人の意図を汲んだのか、ホワイトボードの真ん中に“=”の記号が浮かび上がった。

 そこに尚人が、今日のためだけに考えた特別な数式を打ち込む。


 「この式の答えが、今日、咲に伝えたいこと」


 咲が、静かに尚人の顔を見る。

 尚人は深呼吸して、ゆっくりと語り始めた。


 「どんなに距離があっても、どんなに形が変わっても……

 咲と俺は、きっと何度でも“似ている自分”を見つけて、また出会えると思う。

 君と一緒に、これからもずっと、終わりのない模様を描いていきたいんだ」


 AIが、計算結果を鮮やかなハート型のフラクタル図形に変換する。

 ホワイトボードいっぱいに、赤と青の美しいパターンが花開いた。


 「答えは……“好きです”。そして、ずっと一緒にいてほしい」


 咲の目に涙が浮かぶ。

 「こんなプロポーズ、見たことないよ……!」


 尚人が照れくさそうに頭をかく。

 AIが静かにBGMを流し、二人だけの空間を作る。


 「数式じゃなくても、ちゃんと言うね。咲、俺と付き合ってください」


 咲が、頷きながら小さく「はい」と答えたとき、

 AIはふたりのスマホに、同じハート型フラクタルの壁紙を自動配信してくれた。


 夕暮れの教室、窓から射し込むオレンジ色の光のなか、

 ホワイトボードの“無限に広がる愛の証明”が、静かに輝いていた。


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