4. 量子ペア・ラグビー

 春のグラウンドは、草の匂いと土埃でいっぱいだった。

 照りつける午後の光の中、ラグビーボールが低く飛んでいく。

 僕の手のひらを離れて、仲間の胸にすべり込むと、その瞬間だけ世界が静止する。


 「ナイスパス!」

 笛の音、歓声、そして仲間の声。

 けれど僕が一番気になるのは、フィールドの向こう――風に揺れるポニーテールと、真剣なまなざし。


 マネージャーの咲良。

 いつだって誰よりグラウンドの隅々まで目を配り、試合記録とメンバーの状態をAIアプリに打ち込んでいる。

 彼女の手には、今日も「量子ペアAI」が組み込まれたタブレットがあった。


 量子AIは、部員全員の心拍や視線、手の汗の変化まで読み取り、“ベストなパスの相性”を毎回数値化してくれる。

 仲間同士、「今日の相棒」を自動で決める便利な道具――だけど僕にとって、それは、咲良と自分の距離を測る物差しのようにも感じてしまう。


 今日はいつもと違った。

 「今日の君のパス精度は100%」

 試合前、咲良がタブレットの画面を僕に見せながら、いたずらっぽく微笑んだ。

 数字の横に、ちいさなメッセージが添えてある。


 「きっと今日、最高のプレーができるよ」


 その一言が、胸の奥で静かに跳ねた。


 試合が始まる。

 太陽は高く、空はどこまでも青い。

 パスをつなぐたび、量子AIの分析が、ボールの軌道や自分の動きの癖まで読み取って、次の相棒をそっと導いていく。


 “今日のベストペアはお前と咲良だな”

 キャプテンが笑いながらそう言った。

 僕はただ、咲良のまなざしを追う。

 彼女の持つタブレットが、ベンチの上でひっそりと光っている。


 点差が開いた終盤、僕の胸はずっと高鳴っていた。

 最後のワンプレー、パスを受け取る相手は――

 グラウンドの端で、応援する咲良と、目が合った。


 「今!」

 量子AIが振動と同時に、僕のポケットのスマートウォッチにメッセージを送る。

 “必勝フレーズ:ありがとう、そして……好きです”


 パスがきれいに決まる。

 笛の音。歓声。チームメイトの肩を叩く手。

 グラウンドの空気が春の陽射しに溶けて、みんなが輪になって笑いあっている。


 試合後、グラウンドの隅。

 咲良が静かに近づいてきた。

 「今日のパス、すごくよかったね。

 ……AIの予測、やっぱり当たったよ」


 彼女は少し照れてうつむく。

 僕はポケットからスマートウォッチを取り出し、そっと彼女に見せる。


 「これ……“必勝フレーズ”、AIが教えてくれたんだ」

 笑いながら、でもどこか真剣に。


 咲良が、ほんの少しだけ目を見開く。

 「……え、なに?」


 「ありがとう。そして――好きです」

 グラウンドには、春風が吹いていた。

 どこか遠くで、誰かが呼ぶ声。けれど、今この瞬間だけはふたりの世界だった。


 咲良の頬が赤く染まり、やがて柔らかな笑顔に変わる。


 「私も……ずっとそう思ってた。

 今日の100%、きっと恋のせいだよ」


 量子ペアAIの画面がそっと、ふたりの名前を並べて表示する。

 「Congratulations! ベストペア成立です」


 グラウンドの芝生が光に揺れて、

 新しい春が、ふたりだけの胸にそっと芽吹いていくのを感じた。


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