腐乱天使

冬木洋子

第1話

 空ちゃんが転校してきたのは、小学校四年生の夏休み前だった。


 わたしは空ちゃんが大嫌いだった。空ちゃんは不潔でだらしなくて嘘つきだったから。



 空ちゃんが転校してきた最初の日、先生は空ちゃんをわたしの隣の席に座らせて、わたしに「仲良くしてあげてね」と言った。わたしは学級委員だったから。


 空ちゃんはすごく嬉しそうにわたしを見て、歯の抜けた口で、人懐こく、にかっと笑った。馴れ馴れしくてムカついた。先生にああ言われたからって、もうわたしと仲良しになったつもりでいるの? わたしはあんなみっともない子と、仲良くなんかしたくない。あんなレベルの低い子と仲間だなんて思われたら、わたしまでみんなにバカにされる。


 でも、わたしは学級委員だから、ちゃんと空ちゃんの面倒を見た。分からないことは教えてあげたし、忘れたものは貸してあげた。空ちゃんは毎日忘れ物ばかりしていて、勉強もぜんぜん分からなくて、とても世話が焼けた。先生は、空ちゃんは転校が多かったから勉強が遅れているんだと言ったけど、空ちゃんが勉強が出来ないのは、転校のせいじゃなくて怠け者だからだと思う。転校したって、自分でちゃんと予習復習をしていれば、勉強が分からなくなったりはしないはずだ。自分でぜんぜん勉強しないで何でも人に聞いて済まそうとする空ちゃんは、ずるいと思う。


 空ちゃんは、ほとんどいつも同じ薄汚ない空色のワンピースを着ていて、ぼさぼさの長い髪の毛はフケだらけで、べたべたして臭かった。みそっ歯のせいか舌足らずなしゃべり方も幼稚っぽくてバカみたいで嫌だったし、わたしのことを仲良しの友だちが呼ぶのを真似して勝手に『みゆちゃん』と呼ぶのも、ずうずうしくて嫌だった。不潔で不細工でぜんぜん可愛くないくせに、人懐こい笑顔だけは妙に無邪気そうで、大人たちから『天使のよう』なんて言われたりするのが余計に気に障った。


 そして、空ちゃんは、嘘つきだった。

 空ちゃんは、町外れの立派なお屋敷が自分の家だとか、お母さんは有名な女優だとか、お父さんは外国の王子様だとか、誰にでもすぐバレるような嘘ばかり次々とついた。小さな町のことだから、空ちゃんが商店街近くのボロアパートに住んでいてお父さんはいないということは、あっという間にみんなに知れ渡っていたのに。

 しかも、空ちゃんのつく嘘は日によってころころ内容が変わって、みんなに『前に言ったことと違う』と言われても、絶対にそれを認めなかった。


 ある日、昼休みの校庭で、空ちゃんが、居ないはずのお父さんのことをあんまり得意そうに自慢するから、誰かが「空ちゃんのお父さんは死んだんでしょ?」と言うと、空ちゃんは、「違うもん、死んでないもん!」と怒り出した。


「お父さんは、死んだんじゃないの。お空の国に帰っただけなの。お母さんがそう言ったもん。お父さんはね、本当はお空の国の人で、お空の国からお母さんのところに来たんだって。お空の国の人だから、あたしに『空』って名前をつけたんだって。だけど、あたしが生まれてすぐ、お空の国に帰っちゃったんだって」


「お空の国って、天国のことでしょ? だったら、やっぱり、お父さんは死んだってことじゃないの?」


「違うもん、お父さんはお空の国で生きてるもん。お父さんは、お空の国で、お城みたいな立派なおうちに住んでて、あたしは時々、そこに遊びに行くの。お父さんのお空のおうちにはあたしのお部屋もあって、おもちゃやお菓子がいっぱいあるの。お空のおうちにはね、空を飛んでゆくの。あたし、本当は空が飛べるの。あたしのお母さんは本当のお母さんじゃなくて、本当のお母さんはお空の国の女王様で、だからあたしは、お空の国のお姫様なの。お空の国の人にはみんな背中に羽があって、あたしもあるけど普段は隠してるの」


 あまりにも幼稚な嘘にみんなが呆れて、口々に「空ちゃんの嘘つき」「嘘はいけないんだよ」と注意したけど、空ちゃんは、嘘じゃないと言い張って聞かなかった。誰かが「ほんとなら羽を見せてみろよ!」と叫ぶと、他のみんなも「そうだよ、証拠を見せてよ!」「証拠、証拠!」と騒ぎ出した。空ちゃんは、唇をぎゅっとへの字に曲げると、突然みんなに背を向けて校庭の隅のニワトリ小屋まで駆けて行き、落ちていた白い羽を一本拾って戻ってきた。黄ばんでぼさぼさになって乾いた糞みたいなものがこびりついた、きっとバイキンだらけの、わたしだったらとても触る気になれないような不潔な羽を、空ちゃんは得意そうに掲げてみせた。


 みんな、「それはニワトリの羽じゃないか!」と笑った。誰かが「それで飛べるもんなら飛んでみろよ!」と叫ぶと、空ちゃんは、飛べるわけがないのに、羽を持った手をパタパタさせて、ぴょんぴょん跳ねて飛ぶ振りをした。


 そのへんてこりんな姿をみて、みんなは笑ったけど、わたしは笑わなかった。真剣な顔で助走をつけては何度もジャンプする空ちゃんの必死な姿を見ていたら、本当に自分があの羽で空を飛べると信じているんじゃないかという気がしてきて、なんだか薄気味悪くなったから。見ているうちに、こっちまで、一瞬、空ちゃんが本当に飛ぶんじゃないかという気がしてしまって、わたしはちょっと怖くなった。空ちゃんを見てると、わたしまで変になりそうだ。空なんか、飛べるわけないのに。


「うーそつき、うーそつき」


 誰かの一声をきっかけに、男子たちが節をつけていっせいに囃し立てはじめると、空ちゃんは、「嘘じゃないもん!」と、泣き出してしまった。





 放課後、なぜかわたしが先生に呼び出された。空ちゃんを泣かせたのはわたしじゃないのに。わたしは空ちゃんのことを笑ってないし、大きな声で囃し立てて泣かせたのは男子たちで、わたしは一緒にいただけなのに。


 それに、わたしたちは空ちゃんに意地悪をしたわけじゃない。空ちゃんが嘘をつくから、嘘はいけないと注意しただけ。


 そう言うと、先生は困ったような顔をした。


「空ちゃんはね、みんなと仲良くなりたくて、つい、でまかせを言ってしまうんじゃないかしら。きっと、大きなお家に住んでるとかお母さんが有名人だとか言えば、みんなが感心して仲良くしてくれるかもしれないと思って、それで作り話をしてしまうのよ」


 もしそうだとしたら、空ちゃんはバカだ。みんな、嘘をつく子となんか、なおさら仲良くしたくないに決まってるのに。


「ねえ、美由紀ちゃん、空ちゃんを許してあげてね。空ちゃんはね、可哀想なのよ。転校してばかりで、なかなかお友だちが出来なくて、きっと寂しいのよ」


 そんなの、ヘンだ。可哀想な子は、嘘をついてもいいの? 嘘をつくのは、いけないことのはず。わたしは学級委員だから、いけないことをしている子を見たら、ちゃんと注意する。それは正しいことのはず。


 前に、男子たちが掃除の時間にふざけて騒いでいたら、わたしはまじめに掃除していたのに、先生は、学級委員なのに男子がふざけているのを止めなかったと言って、わたしのことも叱った。人が悪いことをするのを見ていて止めないのは自分も悪いことをするのと同じだと言って。わたしは何度も注意したけど、男子が言うことを聞かなかっただけなのに。


 それなのに先生は、今度は、空ちゃんが嘘をついても許せと言う。悪いことをしている子がいるのに、注意をするなと言う。そんなの、訳が分からない。大人は勝手だ。


 黙って唇を引き結ぶわたしを見て、先生は、ますます困ったような顔をした。


「先生思うんだけど、もしかすると空ちゃんは、嘘をついているつもりじゃないのかもしれないわ。美由紀ちゃんは、小さい頃に、自分の作り話を自分で信じてしまったことはない? 何かとっても悲しいこと、嫌なことがあった時、これは本当のことじゃないんだと思いたくなったりしない? 嫌なことを忘れてしまって無かったことにしておきたいと思ったことはない?」


「ありません」と答えると、先生は悲しそうに目を伏せた。


「そう……。先生は、そういう気持ち、ちょっと分かるような気がするのよ」


 だとしたら、先生は、大人のくせに、なんて心が弱いんだろう。そんなふうに目を逸らしていたって悲しいことや嫌なことが消えてなくなるわけじゃないくらい、子どものわたしにだって分かるのに。


「ね、美由紀ちゃん、空ちゃんはね、あなたのことが大好きなのよ。みゆちゃんは可愛くて頭が良くてしっかりしてて優しいって、みゆちゃんが親切にしてくれて嬉しいって、毎日毎日、言ってるのよ。だから、仲良くしてあげてね」


 空ちゃんはいつも先生に、そんなふうにいろいろ話しているの? 先生は空ちゃんだけの先生じゃないのに、そんなことも分かりもしないで、忙しい先生に毎日べたべたとまとわりついて迷惑かけて。

 先生は、どうして空ちゃんのことばかりそんなに気にかけるの? 先生は空ちゃんをひいきしてる。

 わたしが可愛くて勉強が出来るのは、自分でがんばってそういうふうにしているからだ。成績が良いのは毎日予習復習をしているからだし、忘れ物をしないのは毎晩ちゃんとランドセルの中を点検しているからだ。服も自分で可愛い組み合わせを考えて着て、髪も何度も練習して自分で上手く結べるようになった。そうやって自分でちゃんとがんばっているから、クラスの中でも可愛くて頭が良くて人気のある子たちのグループに入る権利があるんだ。なのに、そういう努力を何もしていない空ちゃんをわたしたちのグループに入れてあげなきゃいけないなんて、不公平だ。そんなことしたら、グループのレベルが下がる。わたしたちが人気者グループの一員という地位を保つためにどんなに努力しているか、そういうことを先生たちは何も知らないから平気で『誰それを仲間に入れてやれ』なんて言うけど、わたしたちにだっていろいろ事情があるんだから、何も分かっていない大人に口を出してほしくない。


 でも、先生が、「空ちゃんは転校したばかりで、まだいろいろ分からないんだから、大変でしょうけど、あなたが面倒を見てあげてね。よろしくね」と言うから、しかたなく、「はい」と答えた。わたしは学級委員だから、クラスに世話の焼ける子がいたら面倒を見なくちゃならない。わたしは良い子だから、いつでも良いことをする。嫌いな子にでも、ちゃんと親切にする。



 次の日、空ちゃんは、何もなかったみたいに、にかにか笑って寄ってきて、わたしは、それからも毎日、空ちゃんの面倒を見た。空ちゃんは相変わらず世話が焼けて、わたしはうんざりした。

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