第4話:ふた弁記念日

週末。昼過ぎ。


今日は大学もバイトもなし。

朝からぼんやり部屋で過ごしていたら、春日先輩からLINEが来た。


「今日は、なにしてますか?」


続けて、


「お腹がすいてて、でもなにか作る気力もなくて、

でもでも、ちょっとだけ何かを作ってみたい気もしてる」


意味のわかるような、わからないようなLINE。

けど、そこにはっきりと「来てよ」とは書いていなかった。


(……でも、来てほしいってことだよな、これ)


僕はエコバッグに少しだけ食材を詰めて、先輩の家へ向かった。


* * *


「……ほんとに来てくれた」


「文章が呼んでましたよ。“来い”って」


「うわ、そんなつもりじゃなかったけど、否定はできないな〜」


先輩はTシャツにパーカー、薄めのスウェットという完全な“休日仕様”だった。

なのに、メイクはバッチリしてる。なんでだろう?


「今日は……できたら、教えてほしい」


「料理を?」


「うん。なんか、いつも受け取ってばっかりなの、ちょっとずつ居心地悪くなってきた」


「それ、俺が作るのが嫌になったってことですか?」


「違う違う! そうじゃなくて……」


先輩は耳まで真っ赤にして、ソファに崩れた。


「なんか、“わたしもちゃんと生活したい”って思っただけ。……変?」


「変じゃないです。てか、それめっちゃいいと思います」


「ほんと?」


「はい。じゃあ今日は、焼きそばからいきましょう」


「えっ、焼きそば?」


「簡単そうに見えて、意外とバランス大事なんですよ。炒め順とか、ソースの絡ませ方とか」


「ほぉ……」


キッチンに立った春日先輩は、いつもの落ち着いた雰囲気とは違って、どこか不器用に腕をまくっていた。


「まずは野菜切ります。キャベツ、ざくざくでいいです」


「……こう?」


「うん、悪くないです。もうちょっと大きくてもいいかも」


たどたどしく炒める音。

油のはねる音。

笑いながら、うまくいかないって顔をしながら、

それでも先輩は最後まで手を止めなかった。


「……なんか、できた……?」


「できてます。ふつうにうまそうです」


ふたりで一緒に皿をテーブルに並べて、横に麦茶を置く。


「じゃあ、試食を」


「いただきます……」


ひとくち。

もぐもぐ。

春日先輩は、じーっと無言で咀嚼して――


「……なにこれ、めっちゃうまい……!」


「ですよね。焼きそば、奥深いんですよ」


「うわー、ちょっと感動……自分で作ったものがちゃんとおいしいって、こんなに気持ちいいんだ……」


目を輝かせる先輩を見ながら、

ああ、この人はちゃんと“自分の生活”を少しずつ作ろうとしてるんだなって思った。


「またやっていい?」


「もちろんです。次は、卵焼きやりますか」


「……キリヤマくんの、それ超えられるかなあ」


「目標高くていいじゃないですか」


「じゃあさ」


「はい」


「今度、“一緒に”つくろ」


その言葉が、ちょっとだけ照れた声で、

でも、まっすぐ僕の耳に届いた。


(……はい、喜んで)


とは言えず、僕はうなずくだけだった。


***


「では本日の議題は、“明日のお弁当を何にするか”です」


「議題とかあるんだ……」


「あります。計画性が味を生みます」


「かっこよく言ったけど、たぶん卵焼きで迷ってるだけじゃない?」


「バレてた」


春日先輩の家、日曜の午後。


ローテーブルの上には、メモ帳、レシピ本(ほとんど見てない)、そして飲みかけの紅茶。

その横で、ふたりはお弁当の構成について真剣に(という体で)相談していた。


「やっぱメインは卵焼きでしょ。最初に習ったやつをやってみたい」


「いいですね。甘めとしょっぱめ、どっちにします?」


「しょっぱめ。あと、焼き鮭とかって入れると“ちゃんとしてる感”出るよね」


「ありますね。焼き鮭、ミニトマト、あと茹でブロッコリー……」


「うわ、カラフル! 栄養バランス神じゃん!」


「もうちょっとしたら“家庭科の教科書に載るレベル”行けますよ」


「目指すとこ、そこ!?」


笑いながら、ふたりで食材を確認して、買い物メモをつくった。

スーパーへ行くのは、もう少し陽が落ちてからにしよう、ということで、そのままキッチンで下準備を始めることにした。


「卵割るの、まだちょっと緊張する……」


「落として割ったら、それはそれで思い出です」


「え、やだ、記憶に残したくない……」


卵を割って、白だしを入れて、先輩が箸でぐるぐると混ぜる。

少し不安げな顔で、でもちゃんと手を止めずに。


「……ねえ、わたしさ」


「はい」


「こうやって、誰かといっしょに台所に立ってるのって、生まれてはじめてかも」


「……ほんとに?」


「うん。実家は共働きで台所戦争だったし、ひとり暮らしになってからはずっと自炊放棄してたし」


「じゃあ今日は記念日ですね」


「記念日?」


「“ふたりで弁当を作った日”。略して“ふた弁記念日”」


「やだそれ、ださっ」


「でも語呂はいいでしょ?」


「ちょっとだけね」


先輩がくすっと笑う。


その笑い声が、油のはねる音に溶けて、

やけに耳に残った。


* * *


完成したお弁当をふたりで見下ろす。

卵焼き、鮭、ブロッコリー、ミニトマト。ふたつ並んだ、同じかたちの弁当箱。


「……すごい。めっちゃちゃんとしてる」


「ですね。なんか、これだけで今日の満足度高いです」


「食べちゃうの、もったいないなあ」


「明日のお昼が楽しみになりますよ。朝開けるとき、たぶんテンション上がります」


「そっか……」


先輩はお弁当のふたをそっと閉じて、

自分の方の箱を、両手でだいじに持ち上げた。


「これが、“わたしの生活”って感じする」


ぽつりと、そんなふうに言った。


たぶんそれは、“わたしひとり”の生活じゃなくて。

ふたりで作った、ちょっとだけ変わった生活のかたち。


「じゃあ、来週も“ふた弁記念日”、やりますか?」


「やだ、定着させにきた」


「語呂がいいので」


「……じゃあ、来週も頼んだよ。先生」


「はい、生徒さん」


ふたりで笑った。

その声が、部屋の中にぽんと広がって、ゆっくりと収まっていった。


この家にある空気は、たしかにちょっとずつ、変わってきている。


* * *


火曜日の夜、キッチンの電気だけがついていた。


私は、インスタント味噌汁を椀に注いで、

チンした冷凍うどんにネギをのせただけの丼を前に座っていた。


エアコンの音。外から微かに聞こえる車の走行音。

テレビもスマホもつけてない部屋は、妙に広く感じる。


(……なんか、静かすぎるな)


箸を動かしながら、そう思った。


今日は、キリヤマくんが来ない日。


月・水・金が“ごはんの日”になっていて、火曜は空白。

それだけの話。ルール通り。普通の夜。


……だったはずなのに、何かが足りない気がしてならなかった。


先週までは、この空白が当たり前だったのに。


「……慣れるの、早すぎじゃない?」


ぼそっと独り言が出た。


湯気の立たない味噌汁をすすって、

ぼそぼそした麺をひと口かむ。


味は、ある。けど、なんというか……“ひとり味”だった。


「なんでこんなに、さみしいんだろ」


誰にも聞かれないように、言葉に出してみる。


返事なんて、あるわけないのに。


* * *


翌日の朝、先輩はふと思い立って、手元にあったメモ帳に走り書きをした。


月:キリヤマごはん

火:さみしくてヤバそう日(次回要検討)

水:キリヤマごはん

木:たぶんさみしい

金:キリヤマごはん


「……さみしくてヤバそう日、て」


書いた自分で笑って、でもすぐに表情が戻った。


“ごはんがないこと”がつらいんじゃない。

“誰かと過ごしてないこと”が、ふいに心に響いてきただけ。


そしてそれは、

たぶん、“家政夫契約”の範囲外にあるものだった。


(……今度ちゃんと、言おう)


ごはんが欲しいって話じゃなくて。

いるだけで安心するんだってこと。

そのくらいは、伝えてもいいのかもしれない。


ふたりの関係はまだ、名前がつかないままだけど――

何も言わなきゃ、ずっとそのままな気がした。


その日の午後、先輩はいつもよりちょっと丁寧に弁当を食べた。


ひと口ごとに、ゆっくり味わうように。

誰かが作ってくれたやさしさを、少しずつ確かめるように。


そして、LINEをひとつ打った。


「あした、いつもより早く来れそう?」

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