第3話 ドキドキシュークリーム作戦
〇
二月の気温は極寒である。空は凍ったように青く澄み切り、風が吹くたびに体温が根こそぎ奪われていく。
「おい、本当にここで待っとかなければいけないのか」
声を潜めて、胸ポケットに差し込んだスマホに話しかけると、「当たり前デス」とウリエルがにべもなく答えた。
「恋を成就させるための辛抱デス。これぐらいの寒さどうってことはありまセン。耐えてくだサイ」
恋愛鬼教官と化したウリエルは少々強引である。俺は返事をせずに両の手を口もとに近づけて、はあはあと何度も息をかけた。白い息越しに「急げ急げ」と購買を目指して駆けていく生徒たちの姿が見える。
我が校の生徒たちは購買へ向かうために校舎からのびる外廊下を渡らなければならない。その外廊下の脇には、歴代の校長の銅像が仰々しく据(す)えられており、俺はそのうちの一つの銅像の陰に、身を隠すようにして立っていた。風が吹くと水に濡れたみたいに寒さが身に沁みた。
「だめだこれは。寒すぎる」
「耐えてくだサイ。あと少しで作戦実行ですカラ」
「風邪をひいてしまう。この辛さは、しょせんAIには分からんさ」
「AIだってつねにウイルスに感染することを恐れていマス。むしろAIの方が過酷でスヨ」
ああ言えば、こう言う。俺が口をつぐんでもウリエルは黙らない。
「それにあなたはもう病(やまい)にかかっているのでスヨ」
「病だって?」
「そう。恋の病にネ」
きっと画面上では、ウリエルのドヤ顔がアップで映されていることだろう。「どうですか、今のジョークハ?」と意見を催促するウリエルへ、返事のかわりとして俺は洟(はな)をチーンとかんでやった。
スマホがブブっと震える。
「もうそろそろ時間デス」ウリエルの緊張感を帯びた声に背筋が伸びる。
いよいよか、と俺はずずっと鼻をすすって、作戦の確認も兼ねて昨夜のことを思い返した。
〇
炬燵机の真ん中に座すスマホの画面上にてウリエルが高らかに宣言した。
「いよいよ水原咲へのアプローチを開始したいと思います」
ウリエルの迷いのない言葉に、俺は「おお」と声を漏らした。ついでにケンジも興味なさそうに「ニャー」と続け、机の上で蜜柑を転がして遊びはじめた。
思えば、冬休みが明けてからウリエルは「今は情報収集に徹しマス」と言って一月の間は具体的な行動を何も起こさず、何か物思いにふけるように顎(あご)に手をやり「ふーむ」と眉間に深い皺(しわ)を寄せるばかりであった。あまりにも眉間の皺が険しかったので、この〈恋愛作戦会議〉と称した場にて、「やっぱり無理でスヨ。今さら水原咲をあなた程度の魅力で篭絡(ろうらく)するなんてできるわけがありまセン」と罵倒とともに降伏宣言をするのではないかと、俺は秘かに危ぶんでいた。
「明日、お昼休みになった瞬間に購買へ行き、必ずシュークリームをゲットしてくだサイ」
「シュークリーム?」と俺は訝しんだ。
「水原先輩と何の関係があるんだ?」
「明日、水原咲はシュークリームを手に入れようと購買へ向かいマス」
「なぜそんなことが分かる?」
「AIですから」
ウリエルの未来予知レベルの情報処理能力に疑問を感じながら「シュークリームを買ってどうするんだ?」と訊いた。
「シュークリームを買おうとしている先輩の前に現れて『もうすでに買っておきましたよ』とプレゼントするのか。豊臣秀吉の草履でもあるまいし」
「これだから恋愛素人ハ」
「うるさい」
「シュークリームをもって校長の銅像の脇に立っておけばいいのデス。あとはこの台本通りに動けば、ロマンチックな恋の始まりデス」
ウリエルはそう言い終えると、画面を切り替え〈ドキドキシュークリーム作戦〉と題された台本が表示した。
俺はそれに目を通し、少女漫画的展開に眩暈(めまい)がするほどの恥ずかしさを覚えた。
「本気か?」
「もちろんデス」
「信じていいんだな?」
にやりとウリエルが笑う。
「恋路に迷える子羊よ、AIを信じるのデス」
俺はケンジが転がしていた蜜柑を取り、皮を剥いて食べた。ひやりとするほど酸っぱかった。
〇
昼休みになってからしばらく経つ。目の前の往来は落ち着くどころか、購買へ今から向かう生徒と買い物を終えて教室へ戻ろうとする生徒でごった返していた。お祭のようなこの喧騒の中ではたして水原先輩を見つけ出すことができるのだろうか。
ぼんやりと不安を感じていると、スマホがぶぶっと震えた。
「あと少しデス。準備をしてくだサイ」
「お、おう」
一気に緊張感が高まり、ビニール袋を持つ手が汗で滲む。袋の中にはシュークリームが二つ入っている。これを確実に入手するために四限目の授業を「お腹が痛いです」と言って抜け出した。購買のおばちゃんはあまりにも早すぎる俺を怪しんで「今度からズルはしないようにね」と忠告してきたが、恋を成就させるためならズルもするし、辛酸を舐(な)める覚悟を今の俺は持っている。
シュークリームはひとつでいいだろうと思っていたのだが、「二つデス」とウリエルは断固主張したので、指示通りに二つ購入した。
「私が言うタイミングで一歩踏み出すのデス。十、九、八‥‥‥」
緊張と興奮がどっと押し寄せ、指先がヒリヒリと痺れる。俺はぐっと腹に力を入れた。
「三、二、一、ハイ!」
ウリエルの合図にあわせて、大きく一歩足を踏みだす。廊下に躍り出た俺の肩に誰かがぶつかり「きゃっ」と小さく声を上げた。
「大丈夫ですか?」と急いで顔を向けると、眼前には夢にまで見たサキちゃん、もとい水原先輩が立っていた。
「いっけなーい、歩いてたら偶然ぶつかっちゃった」という少女漫画的な出会いのシチュエーションを演出してみせたのだ。あまりにも古典的で、顔を覆いたくなるほどのロマンチックさである。かーっと熱くなった血が首筋をせり上がる。
誰がどう見たって、急に飛びだしてきた俺が悪いのにもかかわらず「ああ、君はたしか男子剣道部の真壁君じゃないか」と水原先輩は微笑み、「真壁君の方こそ大丈夫だったかい?」と優しい言葉をかけてくれた。
この優しさはかつてのサキちゃんに通ずるものがあり、「彼女こそがやはりサキちゃんだ」とせっかちな脳内人物鑑定士が髪を振り乱して息巻いている。
サキちゃんに片思いをしてからというもの、サキちゃん以外の女子と仲良くすることはサキちゃんをないがしろにする行為であり、ひいてはサキちゃんへの裏切りになると自分自身を修行僧並みに戒めていた俺は女性を敬遠するようになり、ろくに会話を交わすことがなくなっていた。ゆえに覚悟していたとはいえ、現状の水原先輩との急接近は致死レベルの女性接触量であり、心臓が破裂しそうなほど激しく伸縮膨張を繰り返した。いまにも煙を吐いて倒れてしまいそうだった。だが倒れるわけにはいかない。
俺はきゅっと唇を引き締めた。ここからが正念場である。
「先輩、それ」と俺は先輩が持っているビニール袋を指さした。
「ビニール袋の中、大丈夫ですか?」
水原先輩は「あ、そうだった」と慌てた様子で提(さ)げていたビニール袋の中をのぞき、あちゃーと、口を動かす。見ると、無惨にも二つのシュークリームがぺちゃんこに潰れ、クリームが溢れ出してしまっている。
毎日開店している購買ではあるが、商品のラインナップは曜日によって微妙に変わる。なかでも月曜日だけに販売されるシュークリームは生徒の間で絶大の人気を誇っており、すぐに売り切れてしまう。入手することが非常に困難な代物だ。
「友達が、食べたことがないって言ってたから、食べさせてあげたかったんだけど」と名残惜しそうに袋の中のシュークリームだったものに目を落としながら、水原先輩が呟く。
肩を落とす先輩を狙いすまして「あの、もしよかったらこれ」と俺は自分が持っていたビニール袋を差し出した。
「ちょうど、俺もシュークリームを買ってたんでどうぞ」
水原先輩が目を見開いて俺を見る。
「いや、でも悪いよ」と言いつつ、水原先輩の目は俺の持っている袋に釘付けになっていた。
「いえいえ、急に飛びだした俺が悪かったんで。ちょうど二個ありますし、お詫びだと思って受け取ってください。お金も要りません」
彼女は凛々しい眉をしかめて俺が差し出したビニール袋を見つめていたが、顔を上げると眉間の緊張をふわりと解いた。
水原先輩は微笑んで、「じゃあ、遠慮なく」と俺の手からシュークリームを受け取った。
「お礼はいつかさせてもらうよ。ありがとう、真壁君」
そう言うと、水原先輩は雑踏へ踏み出し、人と人の隙間に吸い込まれるようにして、軽やかに歩いて行った。ピンと伸びる先輩の背中を見送りながら、激しく胸打つ心臓を抑えるのに俺は必死だった。
あの水原先輩と話すことができた。しかも剣道部の後輩としてちゃんと顔と名前を認知してもらっていた。シュークリームを手渡す際には水原先輩の指先にちょこんと触れた気がする。そのうえ「ありがとう」と感謝の言葉までいただいた。
この二年間、俺は彼女を影から見守り続けてきた。そんな紳士的で禁欲的だった鉄の恋心が、この一分にも満たない水原先輩との直接的接触によって欲望と歓喜の渦に飲まれ綿菓子のようにふわふわと甘い恋心へと変貌した。ぐっと握った手の平には滴りそうなほどの手汗が滲んでいる。
その手でスマホを取り出すとウリエルが「上手くいきましたネ」と上機嫌に言った。
「これで〈名前を知っている後輩〉から〈話したことがある後輩〉にランクアップしまシタ」
「ああ、しかしこんなスモールステップで本当に交際まで持ち込むことができるのか?」
「仕方ありません。急がば回れでスヨ」ウリエルが、うんうんと腕組みをしながら頷く。
「徐々に慣らしていかないと、あなたの心臓ももちそうにないノデ」
たしかにウリエルの言う通りだった。俺は正常な心臓の運動を取り戻すために深呼吸を何度も繰り返した。
「次は何をすればいい?」
ようやく息を整え終わった俺が訊ねると、「待てばいいのデス」とウリエルは答えた。
「待つだけでいいのデス」
「なに?」
「動かざること山のゴトシ。運命は向こうからやって来マス」
甲斐の武田信玄のめいたことを口にして、これ以上の説明は不要と言うようにウリエルは沈黙した。名軍師を彷彿(ほうふつ)とさせる静かな表情だった。
ずぶの恋愛素人である俺はそれ以上の言及をやめ、ウリエルを信頼して口を閉ざした。鼻がムズムズとして大きなくしゃみをひとつして、暖を取るべく教室へ足早に急いだ。
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