第21話 恋情
時は僅かに遡り、ガレンが咆哮院を抱えて孤児院まで向かう道中での一幕である。
サンクチュアリの施した催眠術式により眠っていた彼女は、唐突に目を覚ました。魔王となり、異能の影響で第六感の研ぎ澄まされた脳が、眠ってなどいる場合ではない、と強制的な覚醒に至ったのだ。
「ガレン……? ここは。小生は今、何を」
「起きた? 良かった、全然起きないから心配してたんだよ。今は、孤児院に向かってるよ」
ガレンと咆哮院の関係は、依然として敵対状態であるはずだが、孤児院に向かっているということ。そして、晴継たちが明らかに関与している状況であることから、重要視すべきではないと判断した。
「孤児院? 何故。ダンジョンでは」
「ダンジョンから逃げてきたんだよ。いや、俺様も詳しくは知らないんだけどね? なんか、道國クンが、君がダンジョンにいたら危険だとか困るだとか」
「……バジャルか! 阿呆。阿呆なお2人……!」
推理は苦手な方ではない。
咆哮院はすぐに結論まで辿り着き、晴継と道國が己を逃がしたことを理解した。
バジャルの威圧感を見ている。彼の強さを、感覚で理解している。それを踏まえた上で、晴継と道國の2人ではバジャルには勝てない、ということも……また。
理解している。故に咆哮院は、自身を背負うガレンの手を振りほどき、すぐに反対方向へと走り出した。
「おっと……【
蜘蛛糸×鋼鉄。
異常な剛性を持った鋼線が、咆哮院の後ろ姿をがんじがらめにした。バランスを崩して倒れ込む咆哮院を、ガレンがため息混じりに抱え上げる。
「離せ! 小生は、向かわなくては!」
「駄々こねちゃダメだよ。俺様も、道國クンを巻き込んだお詫びしなきゃだし……2人、強いよ。あの人たちが危ないってんだから、そりゃ危ないんだ」
ガレンは小走りになった。どんどんダンジョンから離れていき、咆哮院の胸中には焦燥が渦巻く。
言葉が出ない。ガレンが果たすべき義理が故に動いているのは、分かる。彼がそれを譲れぬことも。そして、事実咆哮院に危険が及ぶことも……分かる。
晴継たちはそれが嫌だから逃がしてくれたことも。だが、それでも……だとしても!
「こちらにも……譲れぬ事情があるのです!」
咆哮院の筋肉は膨張し、骨格は2足の獣へ。いかな剛性を強化された鋼線と言えど、魔王の異能の前には無力であり、紙くずのように切り裂かれた。
駆け出す咆哮院を見て、ガレンは即座に、拘束が不可能であることを悟った。代わりに、交渉へと切り替えるために、全速力で背後を追い始める。
「事情って……何さ! それ、あの人たちの意志を踏みにじってでも押し通すべき理由!?」
「いいえ、いいえ! 小生の身勝手です!」
「それさあダメでしょ! 俺様はどうでもいいとしても、あの人たちのこと悲しませちゃ!」
至極真っ当な正論だ。
分かっている。咆哮院とて、平時は極めて理論的な正論で動く人間。今でも、湧き上がる衝動とは正反対に位置する理性が、止まるべきだと告げている。
だが、止まらない。僅かに足先が乱れることあれど、ダンジョンへ駆ける足が止まることはない。
「っ……何が! 君をそこまで突き動かしてるんだ!」
その感情が正しいのかは知らぬ。事実、その感情が故の心の動きというものを知らぬからだ。
果たして名が合っているのかも。けれど、こうも身勝手に動いてみたいと思ったのは初めてだ。初めての衝動で、初めての……初めての!
「恋が!」
ガレンの動きが止まった。あまりにも有り触れて、あまりにも触れ難く、そして何よりも難解な。
真正面から完全に否定すべき、しかして何者も壊すことのできない、絶対の倫理。少なくともガレンは、咆哮院のソレを止める言葉を持てなかった。
全速力よりも尚速く走る咆哮院の背中に向けて、ガレンは1つの光り輝く玉を投げた。振り向きもせずに掴んだソレは、雷×ダイヤを固形にした異能。
「表層から最下層までなら、それを投げるだけでブチ抜ける……せめて、死んだらダメだよ!」
「……ありがたく!」
恋だから応援するのではない。恋だから力を貸すのではない。ただ、恋したその人の心を裏切ってでも守りたい……その心に、ガレンは覚えがあった。
憧憬。兼義に敗北する光景というのは、本来ネットに流すべきではない場面だった。だが、そうまでしてでもガレンは、兼義に日の目を浴びて欲しかった。
例え兼義が傷付いてしまおうとも。身勝手な感情は否定すべきだが、悪と断じるべきでもない。
「ごめんね道國クン……俺様の義理的にも、止めるべきだったんだけど……共感しちゃったや」
人は感情に勝てない。
「お説教はいくらでも。殴るのだけは勘弁ね☆」
そして。咆哮院の視界には、既に勝手知ったるあのダンジョンが映っていた。天高く跳躍し、ガレンからもらった玉を勢いよく下方に投げつける。
閃光。埒外の速度で直線上を駆ける、質量を持った雷鳴が轟く。咆哮院は最下層まで一気に空いた穴を自由落下しながら、晴継のことを想っていた。
(いつ、惚れてしまったのでしょうか)
道國と晴継の最初の戦闘を、朧気な意識の中で見つめていた。
かっこいい、と思ってしまったのだ。男勝りだなんだと言われてきた咆哮院が、初めて女扱いされた瞬間でもあった……とにかく、かっこよかった。
この人の隣にいたいと思ってしまった。
だから。
「――――――魔王、咆哮院。わざわざ戻ってくるとはご苦労なことだ。気でも狂ったか?」
「心配せずとも結構です。それより貴様は、これより訪れる蹂躙の未来に震える準備をした方がいい」
晴継と道國を背にして構える咆哮院。
一瞬後方に視線を送ると同時に、咆哮院は駆けた。バジャルの懐へとひと息で、疾風のように。
「千崎道國も守るか。情が移ったか?」
「かもしれません、ね! 小生、貴様らのせいで蚊帳の外ですので。何があったか分かりませんが、少なくとも今は味方のよう……故に、守ります!」
獣の本能任せの連撃。戦闘の極地に立つバジャルにとっては、防ぐことなど児戯にも等しい。そのはずであったが、彼は防戦一方だった。
理由など単純明快。あまりにも本能任せが過ぎるが故だ。ここまで理性を消せる者など。
「異能……便利なものだな」
「貴様らの、くれたものォ!」
だが、慣れは早い。
バジャルは咆哮院の頭を掴み、地面に叩きつけた。瞬時に受身をとり、咆哮院も攻勢に出るが……
迎撃される。バジャル……否、駄作衆の根幹的な部分の強みは、その莫大な経験値。如何様な戦闘法であっても、慣れれば対処はあまりにも容易い。
「……千崎道國は、駄作も駄作。これが終われば殺処分が確定している、ゴミ中のゴミとも言える」
道國に視線を送りながら、バジャルは唐突にそのようなことを言い始めた。
「任務に全力を出すでもなく、実にくだらぬ理由で寝返る未熟さ。ふらふらと、根無し草の如く正義と悪を行き来する……なあ、千崎道國」
憐憫の感情が、確かにそこにはあった。
そう見えるだけだったのだとしても。あるはずのない感情が、そこには確かにあったのだ。
「汝は何がしたくて産まれてきたのだ?」
咆哮院が天井に叩きつけられた。異常な筋力で投げ飛ばされ、クレーターの如く凹んだのだ。
魔王としての超絶の異能。それに加えてバジャルですら適応に戸惑った獣の本能。それすらも組み伏せ、あまつさえ会話することさえできる……
「憐れで、愚かな……似合いの、末路だ」
猫のように着地し、再び構える咆哮院。
青筋を浮かべる晴継と、1人冷静な道國。
「……どっちのセリフだ、クソジジイ」
最後の衝突が始まろうとしていた。
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