プロローグ

硝子の器に浮かぶ白い花が、風に揺れた。


小さな喫茶店――『花硝子』。

ひと気のない路地の奥、看板も出していないこの場所に、私はただ迷い込むようにして辿り着いた。


木の扉を押すと、静けさと、ほのかに甘い香りが迎えてくれた。

どこか懐かしくて、どこか遠い。

そして、そこにいた彼女は、まるで時間の隙間に佇むような人だった。


「……いらっしゃいませ」


低く、澄んだ声。

その一言が、私の季節を変えた。

名を紗良というその人と、私はまだ、ほんとうに何も知らなかった。


けれど、硝子のように透きとおった日々の中で、

私たちは確かに、何かを交わしていた。

それが、言葉でないことばかりだったとしても。


この物語は、

あるひとつの喪失から始まり、

そして、ささやかな再生へと向かう。


光と影のあわいで出会った、

ふたりの、静かな恋の記憶。


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