第6話 ニシ君の伝説
「森中クン」
ニシ君がそう声をかけてきたのは、びしょぬれ事件の翌日の火曜日だった。
チャン、チャララン、ラララン。
よく聞くけど曲名は知らない、クラシックがスピーカーから流れてくる。今は掃除の時間で、ぼくとニシ君は理科室にいた。
他のやつらがゴミ捨てに行って二人きりになった時、突然彼が話しかけてきたのだった。
ニシ君はサッカー部のエースで、瀬田第二高校を初の全国大会に導くのではと期待されている。そのせいか授業中の居眠りを黙認されている唯一の男子生徒だ。
「ちょっと質問なんだけど、森中クンはその、来栖さんのオサナジミなのかい?」
「あ、うん。幼馴染」
さりげなく訂正する。彼はイギリスからの帰国子女で日本語が少しおかしい。
「そうそう、オサナナナジミね!」
なぜ増える。
「それはどういう関係なのかい?」
ニシ君はぼくの目をまっすぐ見つめて聞いてきた。
「どういう関係って…」
どういう関係なんだろう。
ぼくは一瞬のうちに自問自答する。
やがて
「まあ、子供の頃からの顔みしりっていうか。腐れ縁っていうか」
としどろもどろに答えた。
ニシ君は眉根をよせてコクンと首をかしげる。
「?」
「ええっと」
ああ、めんどくさい。
「まあ、つまりお隣さんてこと」
ぱあっと顔を明るくするニシ君。理解してくれたらしい。
一年B組出席番号八番、ニシ君。
彼は漫画の主人公、映画のヒーローのような言動を現実にする。
これは彼が帰国子女ということもあるかもしれないが、言うことなすことはっきり言って普通じゃない。
たとえば、こんなことがあった。
入学してすぐのオリエンテーション。
ちょっとはしゃいでしまった女子生徒ふたりが生活指導の伊藤先生にネチネチやられていた。
「お前ら、いつまでも中学生気分でいるんじゃないぞ!」
伊藤は入ってきたばかりの一年生に対して、異常にしつこかった。女子はひとりはふてくされた様子で、もうひとりは目に涙を浮かべていた。
彼女たちはいい標的にされただけで、たいしたことはしていなかったと思う。他の生徒へのみせしめのために、白羽の矢が立ったのだ。
「素行についてなにかあったらすぐに退学だ。義務教育じゃないんだからな!」
「そのとおりですね!」
よく通る声がして、ニシ君が立っていた。
にこにこ笑っている。
「これが日本の教育現場ってやつですね!」
体育教師の伊藤は昭和体型。
がっちりしているが足は短くややガニマタ気味だ。対してニシ君は同じくらいの身長なのに足がすらりと長くて格好がいい。そのせいか伊藤より少し大きく見えた。
突然の乱入者にたじろぐ伊藤。
「あ、ああ?何だお前は」
「お前は腐ったオレンジじゃない!てやつでしょう!」
ニシ君はまっすぐに伊藤を見つめて言った。「オレンジ?」
「続きをどうぞ!」
目を輝かせてニシ君は言った。
伊藤は毒気を抜かれたように突っ立っていた。ややあって、目が覚めたようにもう一度むっつりと
「……今度から気をつけるように」
と言った。
フム!と興味津々顔で、今度は女生徒をのぞきこむニシ君。
さあ、どうする?みたいな表情である。
整った顔を近づけられて顔を赤らめながら、
「…すみませんでした」
二人とも素直に顔を下げた。
肩透かしを食らった伊藤が困惑顔をして、
「う、ああ…」
と口ごもる。
それを見てニシ君はホホウ、と目を丸くしてそれからなんだかわからないけどウンウンと頷いて伊藤、女生徒双方の肩をポム、と叩くと立ち去って行った。
周りのぽかんとした顔を置き去りにして。
この一件で一年生の女子のほとんどはニシ君の名前を覚え、教師の間でも同じことが起こっていたようだ。
やがてサッカー部に彼が入部してその実力を発揮し始めると、他の学年の女子にも彼の名は知られるところとなった。もてる男は嫌われるのが世の常だが、ニシ君は違った。
彼のまわりには老若男女問わず人が溢れ、常に笑いが絶えなかった。
彼の伝説は他にもある。
雨の日子犬を拾っていただの、迷子の子供を肩車して親を捜してあげていただの、交差点でおばあさんの手をひいていただの枚挙にいとまがない。
どこまでが本当かわからないが、ニシ君ならやりそう、と誰もが思っている。
女子からのみならず、優等生、不良、先輩、教師からをも注目される一年生。
それがニシ君だ。
余談だがニシ君の本名は西野タカシという。
ぼくはそんな学校のスターに話しかけられて少しドキドキしてしまった。
「お隣さんですか、そうですか」
「はあ、そうです」
何故か敬語。
なんだこの会話は。
ニシ君はにっこりと笑うと
「みんなが来栖サンと森中クンはオサナジミって話してたから気になってたのだ」
と言った。
みんなって誰だ。
またナが少なくなってるのはなぜだ。
聞きたいことは山ほどあったのだが、ぼくが一瞬沈黙したあいだに
「あー外暑いわ」
ガラリと音を立ててゴミ捨ての二人が賑やかに戻って来て、ぼくたちの会話は終わった。
それから数日は平和な日々だった。
けれども、次の週の花曇りの水曜日。あかりの問題は再び再燃した。
掃除を終えて教室に帰ってくると、ざわざわと騒がしかった。山崎と遠藤がキャハハと甲高く笑ってる。
「どーゆーこと」
「まさか自分で取り替えたとかあ?」
「いくらなんでもそりゃないでしょ」
「まじでかわいそ」
「あーねえ、新しい机持ってきてあげよっか?来栖さーん」
山崎の最後の言葉を聞いてぼくは凍りついた。
あかりの前に今にも崩れそうなボロボロの机があった。
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