13話 なぜ、死を選ぶのか

 


「一つ目の鍵は置いておきましょう。二つの目の鍵はなぜ彼女たちは自殺してしまったのかという点です」




 そうだ。


 仮に呪いが人を殺すものであるとして、なぜわざわざ自殺という形を取らせる必要があるのか。


 その理由が、僕にはどうしても理解できなかった。




 彼女たちの境遇を聞いたかぎりでは、あれは起こりうる現実だったと思う。


 追い詰められ、出口のない苦しみの中で、自ら命を絶ってしまう。




 もしかしたら、呪いなんかなくても彼女たちは自殺していたかもしれない。そう思えるほどには。




「未来誘引、呪いが可能性の高い未来を引き寄せたっていうのか、それこそ本当にただのウェルテル効果ってこともあるだろ」




「ウェルテル効果ですか、それはないでしょう」




 僕の苦し紛れの言い分もカリンはきっぱりと否定した。


 あまりにもとりつく島もない否定だったから少し面食らってしまった。




 あらゆる可能性を探る過程で、一度は立ち止まってもよさそうな仮説すら、彼女は一瞬の迷いもなく切り捨てた。




「一つ目に。巫水空音の死は、公にされなかったという点です」




 そう言って、カリンは人差し指を立てた。

 まるで法廷で証拠を突きつけるように、冷静な口調で話し始める。




「思い返してください。巫水空音の死はいつ生徒に知らされることになったのですか?」



 問いかけられて、僕は視線を落とし、記憶を探る。曖昧な記憶の中から、断片が浮かび上がってくる。



「それは確か…1人目の女子生徒の自殺後の全校集会……」



「はい、その通りです。」



 カリンの声がすかさず応じる。



「当初は他殺の疑いもあり、事件性の有無が取り沙汰されました。けれど、最終的には自殺として、関係者の内々で処理された。


 彼女の死が公にされたのは、一人目の少女の自殺後の全校集会でのことです。それ以前は、ただの曖昧な噂話でしかなかったのです」



 ああ、そうだ。


 春休み中に広まっていた、楽しまれる程度の、現実味のないゴシップ。

 まるで都市伝説のように語られていた、彼女の死。



「つまり……1人目の女子生徒は巫水空音のその噂を知らなかったかもしれないと?」




「その可能性が高いでしょう。」



 彼女は即答する。言葉に淀みはない。



 「一人目の少女は、家庭内に深刻な不和を抱えていた。学校にも来れていなかったそうですね。


 彼女は噂を知らずに、自分の事情で命を絶った。


 巫水空音の死を模倣したわけではない、ということです」




 続けて、薬指が立てられる。

 視線は揺らぐことなく、まっすぐに僕を見据えている。



「二つ目に。知れば知るほど、巫水空音の死と、それ以降に亡くなった子たちの死は、根本的に異なっているように思えるのです」




 自殺という現象は一致していても、その本質は異なる――カリンはそう断言した。


 


「異なっている?」


 


 僕は反射的に聞き返していた。その言葉の裏にある意味を、うまく掴みきれずに。



「ウェルテル効果の影響を受けるのは、“自分との類似性”を強く感じたときです。ですが、巫水空音はどうでしょう?」



 カリンの目が細められ、わずかに陰を落とす。



「巫水空音は明日には高校生ではなくなる身分だった。


 けれど、巫水空音は明日には去るはずだった学校を死に場所に選んだ。


 そこには学校に対する…いえ旧校舎の化学準備室に対する強い執着が見て取れます。」




 言葉がそこまで届いたとき、僕の脳裏に、あの静まり返った部屋の光景が浮かんだ。


 蛍光灯のちらつき、薄く積もった埃、誰にも開けられることのなかった薬品棚――。


 普通なら、そこを選ばない。


 卒業を控えた身で、すでに縁の切れかけたその空間に、どうして身を預けることができたのか。


 いや、それだけじゃない。自分の死をもって、そこに何かを“刻みつけようとした”のではないか?



「それに対して、今井詩織たちは自宅の自室で亡くなった。恐怖と孤立の中で、最も安心ができる場所を死に場所に選んだのです。」



 カリンの声に力がこもる。



「巫水空音の死はすべてが異常だった。噂として広まるほど異質だった彼女の死に、果たしてどれほど共感できたというのでしょう?」




 反論できなかった。


 推測に過ぎないと片付けることもできた。


 けれど、カリンの言葉は芯を食っていた。反論を呑み込ませるだけの確かさが、そこにあった。




「その前にシンナ、私はあなたに聞かなければならないことがあります。」




 沈黙のまま俯いていた僕に、カリンが向き直る。




 そしてそっと、左手を伸ばし、こう問いかけてくる。




「自ら命を断つ行為は愚にもつかない逃避行動なのでしょうか?」




 骨ばった手が、僕の頬に触れる。


 その微かな体温にこめられたものは、ただの優しさではない。


 逃がさない。


 この問いからは、あなたを決して逃がさない――そんな意思が、痛いほどに伝わってきた。




 琥珀の瞳が、まっすぐ僕を射抜いていた。




「今、あなたは死ぬべきじゃない。そう言って僕を止めたのはお前のはずだ、カリン」




「そうですね、私が止めなければこの空間は鮮血と共にあなたの遺体が転がっていたでしょうから」




 そう言ってカリンは僕の足元に視線を向ける。


 そこは雑多な本に埋もれたこの病室の中で唯一、空白となっている場所。


 つい、1週間前まで僕のベットが置かれていた場所だった。




「もう一度、訊きましょう。あなたは思いますか。——生きることの方が、はるかに崇高で、秩序的に正しい行為なのだと」




 彼女たちが隠れておまじないを行っていた、そして自身の死を願い、それが叶えられた可能性もあるがーー




「死ななければならない」




 その言葉が、喉の奥で鈍くこだました。




 それは誰のための使命感だったのだろう。


 誰に帰属した義務だったのだろうか。


 何を望んで彼女たちは自ら解き目のない輪に首を括ったのだろう。


 その末の死は、今の混乱は望んだ結末だったのだろうか。




「……」




 僕は、あの日を思い出していた。




 病院の白い天井の下で目を覚ましたとき、僕は失望した。


 死ぬべき人間が生きていることに。




 ――僕の罪が無くなってしまっていたことに。




 だから衝動的に、しかし理性的に僕は自分を殺そうとした。


 確かにそれが正しい行為だと確信して。




 それが僕の罪だった。


 僕が死ななければいけない理由だった。




 結局、その突発的な自殺は、この目の前の雪のように純白な少女のか細い腕に止められてしまった。




「あなたはここで死ぬべきではありませんよ、シンナ」




 そしてかけられた少女の言葉が、僕をここまで突き動かしている。




 けれど一日だって考えなかった夜はない。


 …もしも先輩が生きていたなら。


 あの人が今もこの世界にいてくれていたのなら。


 きっと空音先輩は生きていた、生きてくれていたはずなのだろう。



 あの厳しくも、優しさの滲んだ声で今の僕を叱ってくれていたはずだ。


 ”馬鹿な後輩を持って、私は悲しいよ”、なんて風に。



 今井詩織だって、もう一人の女の子だってそうだったのだろう。




「…分からない」




 ぼつりとそう呟き洩らした。




「だから聞きたいんだ。彼女たちがその結末を望んでいたとしても、それでも生きていて欲しかったと思うのは傲慢なのかな…」




 喉から絞り出された、どこか泣き出しかける寸前の、訴えかけるような自分の声。


 驚いて目を拭うが、涙は流れていなかった。



「…………」



 僕の問いにカリンは答えなかった。



 ただ、そんな僕の姿を認めて、カリンの左手がそっと離された。


 彼女は、一度だけ僕の肩に体重を預ける。


 その重みはあまりにも軽く、けれど不思議と――重かった。


 そして、まるで舞台の上で立ち位置を変える役者のように、ゆっくりと立ち上がった。




 その動きには不自然なほどの慎重さがあった。


 指先まで神経を張りつめたような、無駄のない静謐な所作。


 彼女が僕の横をすり抜けて歩いていくたび、空気が薄くなっていく気がした。




 向かった先は、この病室で唯一の空白。かつて僕のベッドがあった場所。


 今は何もないそのスペースに、彼女はためらいなく足を踏み入れる。




 そこが、彼女にとっての舞台だった。




「自殺において、人は決して突発的には死にません」




 カリンが、こちらに背を向けたまま語り出す。




「自殺に最も必要なのは、エネルギーです。死という一点に完全に向けられた、強固な意志。


 死にたいという想いを日々胸に宿していたとしても、ただそれだけでは死ねない。


 自殺とは、思考の果てにある到達なんです。」




 そう言って、彼女は勢いよく振り返った。


 患者衣がふわりと空気を孕む。


 右腕を欠いたその姿は、一瞬、天女の羽衣のように美しく見えた。




 ぶかぶかとした布のなかに、彼女の細い身体が透けて見える気がした。


 まるで現実から少しだけ浮かんでいるみたいに。




「私が思うに自殺には3つの安全装置があります。」




 彼女だけの舞台、そこでカリンは淡々と切り出した。




「一つ目は倫理。宗教や道徳、モラルといった死に至る感情や行動を忌避する社会的因子。


 天国、あるいは地獄といった目には見えない罰や救済。そうした観念が、死に惹かれる私たちの視線を逸らさせているんです。


 まるで死の予防接種みたいにね」




 そう言って、彼女は笑った。


 けれど、その笑みには感情の起伏がない。


 笑っているはずなのに、どこか痛々しく、無機質で。


 それが死という語の持つ非現実を、かえって鮮やかに現実へと引きずり戻していた。




「二つ目は精神。自分という主体――私という意識の存在です。」



 ゆっくりとカリンが左手を持ち上げる。

 そして、自分のこめかみを指した。


 正確にはその中、皮と頭蓋骨と、脳みそという不可視の領域に包まれた僕たちという意識を。




 「死が何より恐ろしいのは、それが未明の終わりだからです。


 記憶、経験、痛み、愛情……蓄積された全てがそこで断絶される。


 だから、私たちはそれを理性でもって、避けようとする」



 そう言った後、一瞬、カリンは瞳を伏せた。


 けれど、その声には慰めも感情もない。ただ、そうであるという確信だけが、硬質な響きとなって伝わってくる。


 カリンは死を憐れまず、悲しまず、ただ見つめているのだ。




「特に、産業革命以降の人間は個という意識を深く抱くようになった。その分だけ死への恐怖も強まった。倫理的ブレーキをすり抜けた先に、この精神という安全装置があるんです」



 見開いたカリンの琥珀の瞳が僕をまっすぐに捉える。


 そして——僕を指さした。

 彼女の舞台のたった一人の観客を。

 彼女の唯一の理解者である僕を。


 その視線と指さしをまっすぐに受け止める。



 カリンはこの監獄で、僕の何十倍も死を見つめ、死を理解しようとしてきた。


 巫水空音の死は僕にとっては特別で、だけどカリンにとってはただそれだけのもの。


 きっと自分の死だって、そうなのだろう。




「だから死へと向かう際、私たちはあらゆる手段で、私たちをだます。」



 心の病になったから。希望が無くなってしまったから。



 死者たちを語るとき、残された者がよく口にする理由たち。


 それは、彼らにとってはきっと現実だったのだろう。


 けれど同時に、それは死へと向かうための納得でもあったのだ。




 死を選ぶには、あまりにも人は、生きるように作られすぎている。




 だからきっと――




「遺書もその一つなんだろうな」




 僕の言葉に、答えるように。


 カリンは空白地帯――かつて僕のベッドがあった場所――で、くるりと一度だけターンをした。




「死に向かう自分に対するごまかしでもあり、生き残る人のためのメッセージでもあります。


 実際、彼女たちは遺書を用意していた。だからこそ、彼女たちの死にはある程度の可能性があったのです。」




 言い終えた瞬間、ふらりとカリンの身体が傾いだ。


 片腕のない彼女にとって、ターンひとつでさえ、重心を崩しかねない危うい動作。




 僕の視界の中で、カリンが宙に浮く。


 まるで、舞台の幕が静かに降りていくみたいに。




 思わず、僕は左手を伸ばしていた。


 反射的だった。考えるよりも早く、カリンの手を取った――そう、思った。




 だが、次の瞬間。


 逆に、引かれたのは僕のほうだった。




 予想を裏切るその力に身体が浮き、足元の世界が崩れる。


 僕は、カリンの舞台へと無様に飛び込んでいた。




「最後に――肉体です」




 視界の上から、カリンの声が降ってくる。


 耳ではなく、皮膚に直接伝わるような、冷たい音色。




「縊死にしても、水死にしても、どんな死に方であっても……たとえ心の底から死を望んでいたとしても、肉体は最後まで生きようとするんです」




 気づけばカリンがそこにいた。


 彼女の作った影が僕を覆い隠していた。


 そして彼女の左手が、そっと僕の顎に添えられた。


 骨ばった指先が、静かに、僕の視線を引き上げていく。




「縄が首に食い込む。気道が潰され、脳に酸素が行かなくなる。


 でも、それでも体は暴れる。酸素を求めて、必死にもがく。それが生存本能です。


 だから、首吊りには縄痕が残る。」




 その言葉とともに、カリンの指先が、そっと僕の喉元に触れた。


 爪が静かに肌をなぞり、やがて頸動脈の上にぴたりと添えられる。




 それは鋭さのない、けれど確実な接触だった。


 真綿で、静かに締め付けられるような――そんな弱さだった。




 けど、きっとこれで十分なのだろう。




 これだけの力であっても人は死ねる。脳に至る血流を止めれば、それでいい。


 死ねないのは生存本能があるからだ。




 死を実感した体が、苦しみや痛みを訴えて、抵抗しろと脳が決断を下す。




 したいからではなく、反射として、してしまう。




 なら僕は。




 優しい死の抱擁に、抵抗すらしない僕は、まだ死にたがっているんだろうか。




 死が迫り続ける中、ただじっと殺意のないカリンの琥珀色の瞳を。


 慈しむような、その奥の淡い水色を見続けている僕は。






「三つの安全装置をねじ伏せて、自らの意志で死と向かい合う。


 それが人間だけが持つ特殊死、自殺です。


 自殺とは、制限があったから生まれた逃避ではなく、制限を超えてなお生じる選択です」




 そう言って、カリンは僕の喉に添えていた手を、静かに離した。


 その瞬間、押し留められていた血流が一気に奔り出す。

 視界がふっと揺らぎ、白く霞む。


 生の衝動が、皮膚の下で暴れている。




「だから、自殺には何よりエネルギーが必要なんです。


 倫理を、精神を、肉体さえ振り切って、すべてを死へと向けるベクトル。


 生きたいという思いすら内に飲み込む、強大な内向性」




 ──それは、ある意味で生きるよりも困難な行為。




「だからこそ、突発的に死を選べる人間は、異常なんですよ。シンナのように。そして、巫水空音のように」




「巫水空音もそうだったと?」



 やり直すようにもう一度、くるりとターンを決めたカリンの語りに、僕は座り込んだまま訊き返した。



「はい。三人の中で、彼女だけが遺書を残さず、また……遺体にはもがいた痕もなかった。


 まるで、死を真正面から受け入れたように、恐怖に顔を歪めることもなかった。


 それは魂が抜け落ちていたからだと、私は考えています」



 まだ座り込んだままの僕に、ターンを成功させたカリンが少しだけ自慢げに左手を差し出してくる。


 さきほどまで、僕の頸動脈を止めようとしていたその手を躊躇なく手に取り――逆に引き寄せる。




「え…?」




 カリンの目が、わずかに見開かれる。


 その一瞬の隙を、僕は逃さなかった。




「お返しだ」




 不意を突かれたような表情のまま、カリンは僕の手に導かれるように、あっけなく倒れこんだ。


 掴んだ手の力に逆らわず、まるで重力に従って滑り落ちるように。




 そのまま抱きとめた彼女の体は、ひどく軽かった。




「無茶をしすぎだ」




 カリンは、少し息を弾ませていた。


 病的な白く透けるような肌に、今はわずかな赤みが差している。


 血が止まっていた僕とは反対に、それは生きている証明。




 この程度の運動でさえ、カリンにとっては毒になりうる。


 片腕がないだけではない。


 日によっては車いすを使わなければならないほど、彼女の肉体は脆弱だった。




 そのままカリンを抱きかかえ、元のベットへと向かう。




「以前、あなたに話しましたね。魂とは何か」




 カリンが僕の胸に手を当て、問いかけてくる。

 僕は歩みを止めずに応じた。




「脳に属する機能であり、精神のフィードバックを受け、倫理によって本質を決定づけられるもの…だろ」




 運ばれながら、カリンは僕の腕の中でそっと安楽に身をゆだねるように目を閉じた。




「アニマ、プシュケー、アートマン。


 名は体を表し、思考は言語によって規定される。


 魂だって例外ではありません。目には見えずとも、ね」



 魂の捉え方によって、僕たちに内在する魂は変化する。

 カリンはそう言っていた。



 日本においては魂を霊魂として捉える倫理が働いている。

 祖霊信仰の普及により、人の死後にも存在し続けるものという信仰・倫理が根付いているからだ。


 だが一方で仏教はアートマン。即ち、魂を否定し、無我を説いた。

 独立した物質たる魂は存在しないと。




 「そのように魂とは、その文化の倫理の中で、定義され、信じられ、構築されるものなのです。」




 僕は慎重に膝をつき、カリンを慎重にベットに寝かせる。


 やわらかなマットに支えられ、彼女の体は小さく沈み込む。




 その様は棺に入る前の死体のように静謐だった。




「だから、魂が抜け落ちた人間は、苦しまない。もがかない。ただ、死に沈むのみ。巫水空音の死に、それを感じました」




「それで…?」




 僕はその先の言葉を待っていた。僕が聞きたいのはその先だった。


 目を閉じたまま、カリンは続ける。




「巫水空音の死は、それだけです。魂すら捨て去って。なぜ、彼女が死ななければならなかったのか。私はかけらも興味がありません」




 それは僕の期待を裏切る言葉。


 けれど、僕はじっとカリンの言葉の続きを待っていた。


 これまでの仰々しい語りはきっと最後の結論のためのものだと分かっているから。




「問題なのは、彼女たちです」




 声が、わずかに低くなる。




「肉体は分かりません。倫理も分かりません。


 日本はもともと若年層の自殺率が高い国ですから。」




 ただの統計的な事実。


 日本は自殺が許されてしまいがちだという。


 死をいさめる倫理がほかの国よりも弱いという。




「でも精神に異常があったことは分かります。


 事前に用意した遺書をかき消してまで、突発的に自殺に臨んでいるのですから。」




『死ななければならない』




 今井詩織たちは遺書にそう残していた。


 それまでの彼女たちの思いを消し去ってまで。


 端的な動機だけが、残された者たちへの贖罪の言葉だった。




「彼女たちのような人間の自殺をデュルケムは『自己本位的自殺』と分類しました。」




 デュルケム。その名は以前、カリンから聞いたことがある。


 確か、社会学の創始者。自殺を類型化した人物だ。




「自己本位的自殺とは、社会統合が弱く、私的関心も希薄な者が、自らの内面に閉じこもった末の選択です」




 つまりは何の変哲もない。


 ただありふれた悲惨な自殺。




「言ったように、自殺は時間のかかるものです。


 精神が摩耗し、倫理が意味を失うほどの境遇において、ようやく辿り着く終点。」




 なのに――




「彼女たちは悲惨な境遇なのに、その自殺はどこか前向きのように思えるのです。


 それまでにあった思いや恨みをかき消してまで、死の末に何を望んだのでしょう。」




 死の先に何かを望むということ。


 それは絶望とは違う。


 ただの逃避でもない。


 死が目的なのではなく、手段であるような。




「呪いが人を殺す際、自殺でならなければならない理由があったのです。」




 ベッドに横たわるカリンが、ようやく目を開ける。


 浅く波打っていた呼吸が落ち着き、わずかに息づいた白い顔が僕のほうを向いた。




 そして、まるで長い結論の果てにたどり着いたように、静かに告げた。




「今井詩織たちは生贄です。まじないを持続させるための燃料だったのです。」

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